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火曜日の幻想譚 Ⅴ

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566.「いつもの」



 その喫茶店には、一品だけ隠しメニューがあるらしい。

 しかし、そのメニューを見たことがある人はとても少ない上に、なんと名前が付けられていない。ただでさえ隠されてるメニューなのに、これでは頼むことができないだろう、そう憤りたくもなるが、実はちゃんと頼む方法がある。どうやって頼むのかというと、マスターに向かって「いつもの」と言う。それだけなのだ。

 だが、一見さんがいきなりお店に入り込んで、「いつもの」と怒鳴ったところで、何にも出て来ない。じゃあ、数回、来ればいいかといえば、そんなこともない。足しげくこの喫茶店に通い詰め、常連と認定され、さらに条件を満たした数少ない人が、「いつもの」と言って頼んだ場合のみ、マスターはそのメニューを披露してくれるのだそうだ。

 しかし、ここで一つ疑問が生じる。足しげくっていうのはどのくらいか、何回程度かということだ。だが、悲しいことにこの足しげくの定義は、喫茶店のマスターだけが握っているうえに、どうやらまちまちらしい。言い換えると、毎日のように来てもなかなか常連になれない人もいれば、比較的低い来店回数で常連になれる人もいるというわけだ。こればっかりは、運を天に任せるほかはない。

 さらに次の条件というのは、その喫茶店のメニューを全て、最低一度は頼んでいる必要があるということだ。これはなかなかの関門だと思われる。悲しいことだが、アレルギーのある方は断念せざるを得ないし、そうでなくとも、好き嫌いが激しいとかなりの苦行になる。さらに経済的にも結構きつい。なかなか難儀な話だ。

 そうやって、全てのメニューを頼んだとしよう。だが、そこからまだ条件が付加される。同じメニューを二度、頼んではいけないようなのだ。同じメニューを二度以上頼んでしまうと、そのメニューが「いつもの」になってしまう。あなたがエビピラフをこよなく愛していようとも、二度目を味わってしまえばそれまで。それ以降、意気揚々と「いつもの」と頼んでも、出てくるのはエビピラフのみ。この時点で「いつもの」への門は永久に閉ざされてしまうというわけだ。

 このとおり、この喫茶店の「いつもの」へありつくのは非常に難しい。なんせ、「いつもの」が頼めるまでの関門が非常に多いのだ。ストレスが掛かって仕方がない。

 そういうわけで考えた。今はどんなものもネットの時代だ。「いつもの」が頼める常連さんと一緒にお店に行き、頼んでいるところを動画に撮ろう。それを動画サイトにアップすれば、「いつもの」を諦めざるを得なかったつわものたちもきっと浮かばれるだろうし、興味本位で見たがっていた人々の好奇心も満足させられるだろう。今チャレンジしている人や、これから臨む人には、閲覧注意という形でアクセスを控えてもらえばいい。

 そういうわけで、常連さんに理由を話して、一緒に喫茶店に入る。私の胸ポケットのスマホは、店内の映像をしっかりと記録している。

 常連さんはまず最初に置かれた水を一息で飲み干したところで、慣れた様子でマスターに話しかける。

「マスター、いつもの」
「かしこまりました」

 次の瞬間、コトリと僕らの目の前に置かれたのは、普段出されるものとは違う、浄水器から出てきた水だった。


作品名:火曜日の幻想譚 Ⅴ 作家名:六色塔