火曜日の幻想譚 Ⅴ
567.坂上さんの悩み
会社の同僚の坂上さんは、絵に描いたようないい人だ。
仕事のことでもプライベートのことでも、大抵のことは嫌な顔をせずに引き受けてくれる。つらい時や苦しい時も、常にニコニコしていて愛想がいい。もちろんそのせいで、他人に出し抜かれたり、貧乏くじを引くことが多い。けれども、それでも至って平気な顔をしている。言うなれば、三度以上なでても怒らない仏様、といったところだ。
そんな人と一緒に仕事をしていれば、当然、彼の内面について疑問を抱く人も出てくる。こんなに人のいい人間なんているわけがない。裏に何かを隠し持っているんじゃないかとか、実は打算なんじゃないかとか、そんなふうに勘繰りたくなる人が出てくるというわけだ。
先日、そんなやつの一人が社内報の記事にするという企画を通して、坂上さんに話を聴くということをおっ始めた。インタビュー形式で坂上さんを丸裸にしてやれというわけだ。
かくして数日後、坂上さんへのインタビューは決行された。以下はそのやり取りの一部を抜粋したものである。
インタビューイ(以下、A) 坂上さんは、現在、悩んでいることとかありますか。
坂上 ええ。昔から大きな悩みがあるんですよ。
A− ええっ、いつもニコニコしていて、悩みなどあるようには見えませんが。
坂上 うーん。実は私、ちょっと普通の人とは違うのかなと思うようなところがありまして。
A− ほほう。それは、どういったことですか。
坂上 はい。私、なぜか殺したいと思う人がいないんですよ。
A− はい?
坂上 いや、人間って、生きていれば殺したい人の一人や二人、いるもんだってよく言うじゃありませんか。でも、もう50年近く生きてきて、まだ一人もいないんです。人として生まれてきた以上、一人ぐらいは殺したい人を作るべきなのかなあとも思うのですが、何というか、人を嫌いになれなくて。
A− ……そうなんですか。
坂上 もしかしたら、私はものすごく運がいいのかもしれません。周囲の皆さん、本当にいい人ばっかりで、ありがたい限りです。
この後、この社員は数時間かけて坂上さんの赤裸々な本性を暴こうとしたが、ついぞそれがかなうことはなかった。
彼はインタビュー終了後、完全に度肝を抜かれていた。本当の人の良さ、ピュア、高潔、そんな言葉でも言い表せない美しさを目の当たりにしてしまった彼は、この後、坂上さんの気高さに恐れをなしてしまったのか、気が付くと逃げるように退職してしまった。
その後、坂上さんに殺したいと思う人が現れたか。それはまだ確認していないので、誰も知らない。