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火曜日の幻想譚 Ⅴ

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580.さいそく



 電話が鳴っている。

 電話の相手はもう察しが付いている。締め切りを過ぎたことについて、何かしら言いたい担当者だろう。
 メールボックスは数日前から開けていない。彼女からのメールが山ほど来ていることは見ていなくても分かっているからだ。

 彼女は仕事ができるのか、それが普通のことなのか、私が締め切りを破るとあらゆる手段を使い、ものすごい勢いで連絡を取ろうとしてくる。その追い込みっぷりは、まるで哀れな草食動物を狩る肉食獣のようだ。
 一方で、とにかく時間にルーズに生きてきてしまった私は、彼女の前では被食者でしかない。私自身が肉食か草食かは分からないが、とにかく彼女に追い立てられる運命にあり、その運命がしばらく続くということだけは、どうやら理解する必要があるようだ。

 しかし、こんなことでは惰眠もむさぼれない。ポテチをつまみながらネットだって見られない。やっすい缶チューハイでやっすい弁当をかっ食らうという快楽すらも楽しむことはできないのだ。

 どうにかしなければ……。食われてばかりじゃ駄目だ。まず、食うか食われるかの勝負に持っていかなければ。そのためには、とにかく目の前の締め切りだけはどうにかしなきゃ。そう思った私は、やかましく鳴り響く電話に出て彼女と応対することにした。

 それからしばらくし、取りあえず上記の締め切りは無事 (?)乗りこえた。

 しかし、時というのは無情なもので、すぐさま次の仕事がやってくる。だが、私はこのときを、手ぐすね引いて待ち構えていた。

 打ち合わせを終え、家につく。締め切りはまだまだ先だ。当然彼女から連絡が来ることはない。私はそのタイミングで、彼女に連絡をする。

「仕事は、まだ終わってませーん」

 その夜。多忙の彼女もさすがに眠っているだろうという頃に、私は再びメールで連絡をする。

「仕事は、まだ動き出していませんよ」

 そう。先手を取ってやればいい。いつ何時も、彼女が追い込んでくる前にこちらが追い込むのだ。彼女より先に、刀を抜く。そうすれば電話も来ないし、メールボックスもいっぱいにならない (送信履歴以外)。

 そうこうしているうちに締め切りが近づいてくる。私は報告をする回数を徐々に増やしていき、彼女に現状を把握してもらって安心してもらうことに努め続ける。

 真っ白な原稿ファイルをディスプレイに表示させたままで。


作品名:火曜日の幻想譚 Ⅴ 作家名:六色塔