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火曜日の幻想譚 Ⅴ

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485.一目ぼれ



 お客さんに一目ぼれした。

 そば屋の店員をやって数年になるけど、こんなことは初めて。その男性が注文したもりそばを私が持っていく。すると彼は笑顔で受け取り、わしっとはしでそばを持ち上げると、じゃぶじゃぶとつけ汁につけ、そして豪快にすすり込む。格好いいだけじゃなくて、食べっぷりもたまらない。
 そんなことを言っているうちに、彼はぺろりと1枚食べ終わり、おかわりを頼んでくる。あのイケメンの豪快な食べっぷりをまた見られる、そう思い、私はワクワクしながら伝票を書き足した。

 その後、彼は6枚のもりそばを平らげた。もう明らかに満足そうな顔をしている。ということは、お別れのときが近い。寂しく思いながら彼を見つめていると、突然、彼は席を立ち、勢いよく駆け出して店を出た。食い逃げというやつだ。

「ひろ子ちゃん、追って!」

 店長の声とほぼ同時に、私は店を飛び出した。言われなくたって彼を追っかけたかった。何があっても追いついてみせる。店長の指示もあるし、それ以上に私のほとばしる熱い思いが、彼を捕まえずにはいられない。

 彼は食い逃げをするだけあって、足の速さには自身があるようだった。だが、私にだって2000円弱の飲食代と、彼にどうしても伝えたいあふれる思いがある。負けるはずがない。逃げる彼と追う私は、一進一退の攻防を繰り返す。そして、数キロ先でようやく、私は彼を背中から抱きしめた。

 ぜえぜえと乱れる呼吸、その中で私は彼に、思いの丈を打ち明ける。彼は乱れた呼吸ではきそうになりながら「取りあえず、お友だちからで」と答えてくれた。

 そして、店に連れ帰り、店長に、彼の代金は私が払うから許してほしい、と伝える。しかし、それは店長に断られてしまった。そのため、彼はしばらく皿洗いで働くこととなった。
 これから親密になれそうなので、一緒に働けるのはありがたい。ただ、ホールと洗い場なので、なかなか会えないのがつらいところだけど。

 でも、見初めたのはそば屋だし、この恋愛はきっと長生きのような気がするな。そんなことを考えながら、皿を洗う彼の背中を遠目に見つめつつ、私はまかないのおかめそばをすすり込んだのだった。


作品名:火曜日の幻想譚 Ⅴ 作家名:六色塔