火曜日の幻想譚 Ⅴ
490.爪わずらい
唐突に、爪がほしくなった。
と、いうわけで彼女に連絡を取り、爪をくれるよう哀願する。不審がる彼女をさらに無理やり説き伏せ、爪切りを持って真夜中に家を訪問する。
まだためらっている彼女の手を優しく取り、指の先を見つめる。その爪はちょうどいい感じに伸び、さあ、切り取ってくれとばかりにたたずんでいた。
僕が来る前に風呂に入ったらしく、爪はやや柔らかくなっている。それを、爪切りでポクポクと小指から順に切り取っていく。
切り取られた爪は、灰色のようなそうでないような得も言われぬ色。自分の爪とそう変わらないはずなのに、なぜかとても甘美なもののように思えて仕方がない。それを一つずつ、小瓶に入れていく。
若干、引いている様子なのを無視して、今度は彼女の脚を抱えあげる。すべすべした脚に頬ずりしたくなるのをこらえて、こちらは親指から爪切りを入れていく。
手指より大きめの親指から、次第にちんまりしていくのが、奇妙に愛おしい。思わず奥まで爪切りを入れそうになってしまうが、そんなことはできない。深爪にならない程度に、ゆっくりと慎重に切り取っていく。
全ての指の爪を切り終わり、満足げに爪を入れた小瓶を眺める。思わずにやりとしてしまう。
「そんなの、何がいいんだか」
彼女はぼやいている。本人が価値を理解していないなんて、宝の持ち腐れだなと思った。
泊まっていきなよという誘いを断り、小瓶を抱えて家へと帰る。その帰り道、ふと上を見上げると、半分以上欠けた月が、冷ややかにこちらを見つめていた。
家に着くと、疲れていたのか倒れるように眠りについてしまった。
気が付くと空一面に、三日月よりも細い月が何個も浮かんでいるのを、ぼんやり眺めていた。その並んでいる月をよーく見ると、小瓶に入れた彼女の爪。手足の指から切り取った計20本の弓なりの形が、空一面に浮かんであかあかと輝いていた。
翌日、昨日の帰りに月を見たことと夢の話を、彼女に話す。
「なんだそれ。多分疲れてるんだよ」
彼女はそう言って笑い、今日こそは泊まっていくように言ってくる。僕は、彼女の言葉に甘えることにした。
一晩泊まって朝を迎えたら、また爪が恋しくなってくる。でも、彼女の爪が再び伸びてくるまで、どれぐらいの時間がかかるだろう。そんなふうに考えていたら、
「こら、また爪のこと、考えてる」
と、デコピンをされ、怖い顔をされた。謝ろうと思って顔を上げて彼女の顔を見る。
すると、怒って釣り上がった目の形までもが、昨日の爪の一つと同じ形をしていた。