火曜日の幻想譚 Ⅴ
492.敗北者の記
彼の嫌いなやつが成功した。
当たり前だが、いい心持ちじゃあない。素直に祝福なんかできそうにない、そもそも顔すら見たくないんだから。まだ、人生の決着がこれでついたわけではないし、世間に評価される、されないが物差しの全てではないという思いもある。まあ、今、それを言えば負け惜しみと笑われるのがオチだが。
せいぜい、届くことのない「おめでとう」を腹の底でつぶやいてやる。だが、できることはそこまでだ。そんなことを思いながら、パソコンの前に座る。
「…………」
気にしないようにしても、心中に巣食った思いはなかなかどいてくれない。思わず、「嫉妬」だの「嫌いなやつ」だのといったワードをたたき打って検索してしまう。平時なら興味深く読めそうな文面も、今は全く脳が受け付けてくれない。
ただ、それでも思うのは、嫌いというこの感情は素直に認めたほうがいいだろうということだ。ネットなんかで特にタイトルだけを見ていると、この手の後ろ向きな思いは抱いちゃいけないような、超がつくほど前向きなコンテンツが散見される。だが、それが彼には気に食わなかった。
無理にふたをするより、その悪意を認めた上でどうするか、そういう考え方をしたほうが可能性が広がる気がしてならない。先の超前向きなタイトルたちも、クリックして詳細な文章を深く読みといていけば、要するにそういうことを言っているんだろう。けど、それでは少々、説明が不足している気がしてならない。八つ当たり気分で、ウェブライターやユーチューバーにもけんかを売ってしまい、さらに彼の自己嫌悪は加速する。
……そして、成功したあいつは、とことん前向きなやつだった。負の自分をとことん認めないようなやつだった。そこが彼は大嫌いだった。致命的な結論に思い至り、ついついため息がこぼれてしまう。
不器用だなあ、そう思いながら、彼は窓からくもり空を見上げる。
妬ましさもあるにはあるが、自分のポリシーにそぐわないことが起きた、という事実のほうに打ちのめされているんじゃないか。灰色の雲からのぞく空は、そんなふうに語りかけているような気がした。
でも、頑固な彼は、そんな空を見ても自説を曲げる気は毛頭ない。曲げるには少々長く生きすぎたし、この現実を可能な限りフラットに━━いや、もしかしたら悲観的かもしれないが、どちらにしろ、お気楽な視点を持つことは可能な限り避けたいのだ。まあ、プライドが高いと言えばそれまでのことなのだが。
「とりあえず、今日は飲むか。悪い酒になるけれど」
やっぱり浮かない顔で彼は、長い間ほこりをかぶっていた瓶のふたをそっとひねった。