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火曜日の幻想譚 Ⅴ

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497.いぎたない



 最近、ちょっと体調が悪い。そう言えば、機嫌もあんまりよろしくない。

 別に何があったわけでもない。仕事が行き詰っているわけでもなく、人間関係に問題を抱えているわけでもない。家庭も、少なくとも表向きは円満なはず。しかし誰かに、何かに八つ当たりしたい衝動が胸にくすぶり続けている。当然だが、こういう時に欲望のまま、周囲に当たり散らしてはいけない。そう考え、むしろ反対に、元気を出してみることにした。

 まずは朝の通勤電車だ。扉が開いて乗り込んでから、テンションを上げてしゃべりだす。

「はいはいはいはい。そんなこんなで頑張って、通勤していこうと思っているんですけどね。昨日の夜、ちょっとお話したくなるできごとがあったんですよ。うちのワイフがね、隣で寝ているんですけどね。いや、別に仲がいいから隣で寝てるんじゃないですよ。家が狭いんです。で、ワイフがよだれを流しながら、寝言で「眠い」って言ってるんですよ。全く、おまえ、どんだけ寝たいんだってね。ほんと、僕よりよっぽど早く床に就いているのにこの寝言。しかも、ちょっと突っついてみても、全く起きる気配がないの。こりゃ嫁のいぎたなさは本物だと思いましたね。そう思った瞬間、妻がまた寝言で、「こんな旦那じゃ夢の中にいたほうがまし」とか言うんですよ。全くあの嫁、聞いていたんですかね。笑いながら、ちょっと背筋が寒くなりましたよ」

 私の妻を知る近所の斎藤さんだけが、ゲラゲラ笑っている。こりゃ幸先が良い。私は、手ごたえを感じつつ会社へと向かう。

 会社に着いてからも私の勢いは止まらない。部署の扉を開けて、開口一番、早口でまくし立てる。

「いやいやいやいや、先週ねぇ、こんなことがあったんですよ。ほら、僕ね、模型を作るのが趣味でしょ。まあ知らないよね。今、初めて同僚のみんなに言うからね。でさ、先週の休日に艦船の模型を作ってたんですよ。ほら、ブームになってるじゃない? 艦船を女の子に擬人化させたゲーム。あ、ほら、そこ、ひかない。僕はそのゲーム自体はやってないからね。だって、仕事がブラックすぎてやる暇がないんだもん。あ、部長。決して会社の批判じゃありませんよ。で、本題なんですけどね。模型を作ってたんですよ、プラモデル。するとね、小さい部品が一つ、何度、くっつけても外れて落ちてるんです。なんかこの部品、くっつかねえなあと思ってちょっと様子見てたら、うちの飼い猫のマヤちゃんがちょいちょいって。部品をつけるたびに外してたんですよ。で、また、そのしぐさがクッソかわいいの。だから怒る気がうせちゃったっていうなんのオチのない話」

 猫が好きな女子、三好さんがクスリと笑ってくれる。明らかに愛想笑いに見えるが、まあ、今回も上出来だ。そして仕事を無事に終え、退社時間となる。私は、近所の幼稚園に娘を迎えに足を運んだ。

 たどり着いた幼稚園で。娘のサヤカを連れて出てきた小野寺先生に、思いの丈をぶつけてみる。

「どもどもどもども、小野寺先生。いやあ、今日もお美しいですね。うちの娘のサヤカもあなたの美しさにはメロメロでしょう。きっと、ちゃんと言うことを聞いているんじゃないですか? え、やんちゃでいつも手を焼いている? またまたぁ、それは先生の気を引きたいんですよ。うちの娘も優秀だなあ。お父さんが先生にほれているのをわかっていて、そういうことをしてくれるんだもんなぁ。そういうわけで先生、今度二人でお食事にでも行きませんか? 何なら食事のあと、ともに一夜も過ごしたいんですけどね。というか本音を言うと、愛人として契約を結んでほしいんです。ああ、家庭については大丈夫。サヤカは先生に懐いているでしょうし、妻にばれたら仕方なくですが、すぐに別れますから」

 園長先生から、「出入り禁止」を言い渡されたが、本心は打ち明けられた。これ以上ないスッキリした気分で、サヤカを連れて家に戻る。


 次の瞬間、見えたのは部屋の天井。そして、傍らの妻が心配そうに言う。

「あんた、今日一日中寝てたわよ。疲れてたのね、大丈夫?」

サヤカも飼い猫のマヤも、不安そうにこちらを見つめている。

 どうやら、いぎたないのは、私のほうだったようだ。


作品名:火曜日の幻想譚 Ⅴ 作家名:六色塔