火曜日の幻想譚 Ⅴ
498.目が悪い理由
世の中にはいろいろな人がいます。その中には目が悪いという人もいるでしょう。
目が悪いと一口に言っても、遠くが見えにくい近視や、反対に近くが見にくい遠視、ものがぶれて見えたりする乱視や、老眼といったものがあります。
ところで、これらは本当に眼球の不調のせいで起こる症状なのでしょうか。
話は変わりますが、私の知り合いにとある夢想家の男性がいます。この方は本当に夢想家としか言いようのない方で、四六時中ずっととりとめのないことを考えている、ちょっとおかしな人です。この男性がやけに目がかすむので、そろそろメガネのお世話にでもなろうかと思い、メガネ屋さんに行ったそうです。そこで視力検査などをしてみたのですが、不思議なことにどれだけ調べても彼の目は悪くなく、普通に見えているはずだという診断結果だったそうです。
また、こんな言葉を聞いたことはあるでしょうか。『人間は、見たいと欲したものしか見ようとしない』。ちょっと調べてみた限り、ユリウス・カエサルの残した言葉だそうです。
さて、目が悪い人は世の中にたくさん存在します。目が悪くなかったのに、視覚の異常を訴えた夢想家もいます。人は見たいものしか見ようとしません。これら三つの話を総合すると、何だか一つの真実が浮かび上がってきそうだとは思わないでしょうか。
私はこう思うのです。世の中の目が悪い人の何割かは、決して眼球が不調なのではありません。彼らは、現実という名前を冠された都合の悪いものを、「見たくない」だけなのです。
つらくて厳しい現実、目を背けたくなるようなむごたらしさ、憤りを感じるような社会悪……。彼らは、それらが見えているのですが見えていません。いや、正確には、見ていないことにしてしまっているのです。だから、あの現実を見たくなかった夢想家のように、本当は目は悪くないのに目が悪くなってしまうのです。そういった人々は、きっと、カエサルの言の通りに見たいものだけを見続け、最終的には見たくもないものばかりになって老眼を迎えるのでしょう。
ただ、誤解しないでいただきたいのは、別に彼らを否定したいというわけではありません。また、彼らは決して弱いわけではありません。心の作用というのはなかなか制御しづらいものです。それに、彼らも頑張って世の中を注視しています。しかし、あまりにも過酷なものに対しては、心のほうが視界を閉ざしてしまうのです。
ただそれだけのこと。それだけのことなのです。