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十五年目の真実

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 この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。途中、外人に対して、個人的にムカついている言い方で書いていますので、そんな表現が嫌な人は、見ないことをお勧めします。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。ご了承願います。

              偶然の一致

 一人の男性の絞殺死体が発見されたのは、偶然だと言ってもいいかも知れない。確かに放っておいても見つかる死体ではあったが、冬の寒さやその後の捜索において、一人の人間のアリバイが完璧に証明されることになったのだから、誰かがこの事件を、
「偶然の賜物」
 と称したとしても、それはおかしなことではなかっただろう。
 その日は、今年の年末で一番寒い時期であり、先日までの暖かさがウソのように、皆が冬物を用意し始めた域だった。
 寒さに強い人もいれば、弱い人もいる。しかし、ここまで急激に寒くなったのであれば、いくら寒さに強い人であっても、たまらなかったに違いない。一気にクリスマスイルミネーションが眩しく、クリスマスソングがリアルに感じられたことか。いよいよ街は年末の装い、慌ただしくなってきていた。
 だが、それも都会だけのことであり、中途半端な都会や田舎ともなれば、昔であれば商店街の福引であったり、サンタクロースに身を包んだ人が、チラシを配ったりしていたであろう。
 そんな自戒も今は昔、
「昭和は遠くなりにけり」
 とでもいえばいいのだろうか。
 郊外型の大型ショッピングセンターができてからは、ここ数十年と、商店街は半分シャッターを下ろしている店が多く、開いている店も開店休業状態が珍しくもない。何しろ人の数は変わっていないのに、歩くスピードが明らかに違うのだ。足を止めて店に入る人などいない。ショッピングセンターで買うくらいであれば、駅前のコンビニで買う方がいいと思っているのかも知れない。
 何しろ、コンビニであれば、歩き回らなくても一軒で済むからだ。
 商店街の福引というと、一等が温泉旅行であったりしたものだ。しかし、今は温泉に当たったとしても、仕事が忙しく、そんな暇もない。家族にプレゼントするにしても、今は一人暮らしが多いので、親と住んでいる人も少ない。結婚していても、オタと同居などという人もそんなにはいないだろう。そう思うと、福引に何の魅力があるというのか。
 他の賞が貰えたとして、電化製品とかであろう。しかし、今は電化製品もさほど高くなく、一家に一つはある必需品なのだから、なのだから、もう一個あっても、狭い部屋では邪魔になるだけだった。完全に時代は変わってしまっているのだった。
 それでも、年末はクリスマスは行事としてどうしても外すことのできないものだ。昔のように子供がプレゼントをもらって喜ぶ時代から、カップルの時代へと移行している。
 恋愛が成就したカップルにはいいかも知れないが、ほとんどの人はいつもと同じ一日を一人で過ごすだけである。嫉妬に燃える人は、クリスマスを意識するだろうが。それ以外の人はどうだろう? そう思うと、世間の賑わいに比べると、実際のクリスマスというのは、単純なものでしかない。販売員はこの時期のノルマに追われて、嬉しくもないのにニコニコしながら、販売しなければいけない。客としても、自分には当日何もいい目に遭うわけではなく、一年のうちのただの一日でしかない日をどう興奮せずにいられるかというまるで我慢大会のようなものである。
 一年には、もっと悲惨な日がある。二月十四日のバレンタインデーであるが、この日ほど情けなく感じることもない。
 クリスマスだって、何もその日が、子供にプレゼントして子供が喜ぶという日でもなければ、カップルが結ばれる記念日というわけでもない。しかし、バレンタインデーの場合はもっと露骨だ。
 バレンタインデーというと、一年に一度好きな男性に、女性が告白できる日であり、チョコレートを贈る日などとされているが、本当はそんなことはない。一年に一度しか告白できないわけでもなく、チョコレートなどというのもお菓子屋さんの陰謀でしかない。
 そもそも、一年に一度だけしか告白できないなどとなると、その年を逃すと翌年まではできないということか? そんn理不尽なことがあるはずもない。
 告白だって、なぜその日でなければいけないというのか、その日に都合のある人は来年まで待たねばいけないということなのか? その日に告白して皆が結婚するとすれば、結婚式場は同じ時期に集中してとんでもないことになる。その勢いで子供ができれば、皆同じ誕生日に重なってしまうということになる。そんな非効率的なことがあっていいものだろうか。
 それこそ、クリスマスの時のケーキ屋やフライドチキンを売る店である。一年のうちの売り上げをその日だけで何十パーセントも上げるなどというと、他の時期は一体なんだというのだろう?
 バレンタインのチョコレートでも同じことである。しかもバレンタインデーというのは、お菓子屋さmがチョコレートを売るために設けたことであり、当然のことながら、ホワイトデーも同じことである。世の中のイベントなど、結局企業がその日の売り上げを挙げるために、でっちあげたものが多いのではないだろうか。
 それでも、年末のクリスマスだけは、毎年何かウキウキしたものがある。きっと小さい頃から馴染みのある行事だからであり、老若男女、古今東西関係のないことだからに違いない。
 今年もクリスマスが近づいてくると、年末を意識する自分を感じるのだが、クリスマスが住んでしまうと、お正月という雰囲気が漂ってくるのだが、
「その時期はあまり好きな時期ではない」
 と思っているのは、結構たくさんいるかも知れない。
 西村俊樹という男性も、クリスマスが終わってから正月に掛けて、嫌いであった。特に正月は子供の頃の嫌な記憶があることで、好きにはなれなかった。
 その分、大みそかまでを少しでも楽しもうと思っているのだが、思っているようにはなかなかいかないものだった。
 西村の父親は、いかにも、
「昭和の父親」
 であった。
 普段は仕事で毎日を忙しく過ごしていたので、正月くらいはゆっくり過ごしたいと思っているのだろう。そんな父親に母親も遠慮して、騒がしいことは一切しない。父親も家に会社の人を連れてくるということもなかったし、ただ、毎日忙しいようで、帰ってくる時間は決まっていなかった。
 あれは中学の頃だっただろうか。友達が正月に招待してくれた。その友達は毎年正月には恒例として友達を招いても、家族は何も言わないどころか、両親も子供の遊びに参加するくらいの親であった。
 ゲームをやったりするのだが、父親もそれなりに上手だったりした。親の方も、
「子供に戻ったようで、たまにはいいよな」
 と言いながら、結構ムキになってゲームに徹している姿を見ると、仕事をしている大人を想像することができないほどであった。
作品名:十五年目の真実 作家名:森本晃次