創世の轍(二)
「女子の後始末に使うような銭の持ち合わせは、御座らぬ。有り申さぬ。・・しかし、虫も殺さぬような顔をして、よくもまあ何人も・・」
「何の話じゃ?」
「女子の話で御座りまする!」
「そうか・・。で、融通してくれるのか?」
「うぅ・・、如何ほど御入用で?」
「多ければ、多いほど良い。」
「フン、左様で・・」
「左様じゃ。」
その翌日、
「供は、要らぬ。」
と、豊前は、左之助からの金を受け取ると、一人で出かけた。そして、彼が館に戻ったのは、五日後の夕刻であった。
「別れを惜しむにも限度がありますぞ。」
と、五日も家を空けて尚、飄々としている豊前に意見をする左之助に、
「まあ怒るな。」
とだけ言い、豊前は、すぐに寝てしまった。
更にその十日後、ついに光豊は身罷ったが、その時、豊前は、
「辛うじて間に合った。では、左之助よ、重臣達を呼べ。弔いの儀を執り行う。」
と命じ、重臣達を集めた。
その場で重臣の多くは、光豊の死を公にするには早過ぎると豊前に進言した。最後は廃人同様となって死を迎えた光豊であるが、彼の率いる軍団の武勇はそれなりに隣国へ知れ渡っていた。その光豊の死を期に、新しい領主の下で纏まりが万全でない間にと隣国が攻め寄せる危険を避ける為には、光豊の死を伏せた方がよいと考えたからである。
重臣達の前で豊前は、
「そうか・・、では、この場の皆に問うが、兄光豊が亡くなった今の今、此処に揃っている者の中に不埒な考えを抱いておる者が居るというのか? 兄が亡くなった途端に纏まりを欠く者の集団だというのか? 人は、必ず死ぬ。お前達は、これまで領主が死んだ度に纏まりを無くし、そして、また改めてひとつに纏まることを繰り返してきたのか? 領主が入れ替わる度に纏まりを崩してきたのは誰じゃ? そういう不埒者は、わしがこの場で成敗致す故、武士らしく名乗りを上げよ。また、何の某がこの国の纏まりを欠くべく働き掛けていると訴え出よ。」
と、声を大にして言った。その場に居合わせた重臣達は、豊前の言葉に驚きそれぞれ顔を見合わせた後、揃って黙ってしまった。
豊前の言葉は、新しく用人となった左之助をも些か驚かせたが、佐之助は、今が豊前を中心に纏まる好機と捉え、
「殿! そのように不埒なことを考えておる者は、只の一人としてこの場には居りませぬ。皆が一丸となって新しく領主と成られた豊前様の下で国の安泰を望んでおります。」
と、持ち前の大声で応えた。それに続き、重臣達は、我も我もと異口同音に豊前への忠誠を誓った。豊前は、
「そうか。安堵致した。・・実のところ、わしは、剣術が苦手でな。『我こそ、不埒の元凶。出来るものなら、見事に切って捨てよ。』などと言われたらどうしようかと思うておった。そのわしとは反対に、お前達の武勇は、亡き兄から耳に胼胝が出来るほど聞かされておる。その武勇で以って、今後とも、わしに代わって領民を守ってくれ。頼み入るぞ。」
と言った後、一段高い処からではあるが、重臣達に頭を下げた。
次の日、朝早く目の前に現れた左之助に、
「葬儀の一切をお前に任せる。良きに計らえ。」
と、豊前は言い残して姿を消そうとする。
「殿! 良きに計らえ だけで御座りまするか。」
「そうじゃ。」
「そうじゃ とだけ言うて、何処へ向かわれますのか。」
「気にせずとも良い。おっ、そうじゃ、忘れるところであった。」
「何で御座りまするか。」
「葬儀の日取りなど、一切が決まったら知らせるように。」
「そのような事、当たり前で御座りまする!」
「では、頼んだぞ。」
「殿!・・」
「・・・」
左之助は、親しい重臣に愚痴を言いながら、景尾家の菩提寺である賢那寺での葬送を準備して、光豊を恙なく送り出した。
昔の出来事を懐かしむように話していた豊前は、
「喉が渇いた。白湯を・・」
と、部屋の隅に控える千尋を見る。そして、用意された白湯を一口飲み、ほっと一息吐いた後、
「久々に長い話をした。」
と言い、また黙った。佐太郎は、
「仰せの通りで御座います。殿が長い話をなさるのを初めて聞きました。で、その後は・・?」
と問う。豊前は、
「ん・・?」
と、何のことじゃとでも言いたそうに佐太郎を見る。佐太郎が、
「その後が・・、肝心な話かと・・・」
と、言うと、
「おう、そうじゃ。実はな、亡き兄の葬儀に前後して七人の者が姿を消した。その七人は、少々変わり者でな、わしは、変わり者が好きじゃ故、予てから頻繁に彼等と親交があった。」
と、豊前が話を続けようとしたところへ須間三郎の手の者が戻ってきた。
彼は、逃げた佐太郎の暗殺者の後を物陰に隠れながら追っていたうちの一人で、庭先で跪き、
「賊は、綾目の庄を通り抜け、河内の国に在る矢頭昌宗の屋敷に逃げ込みました。」
と告げる。豊前は、
「やはり、そうか・・」
と応え、庭先に控えている旗本の一人を呼んだ。そして、城内で松明を点すように命じた後、須間三郎に向けて、
「では、行くがよい。」
と、短く告げると、三郎は、彼の郎党と共に闇の中に消えた。
豊前がただ一言発するだけで、須間三郎は、全てを心得ているかのように淀みなく動く。佐太郎は、そこが知りたくて、
「お教え頂きたいことがあります。殿は、我々家臣にいちいち細かく差配なさらぬのに、何故に須間三郎様のように殿の意を解した行動が取れるのでしょうか。」
「さあ、何故であろうか・・ わしも教えて貰いたいわ。」
「予ねてより、どのような指図をしておられたので・・?」
「お前の仕事をする様にと、ただそれだけじゃ。」
「ただそれだけで、殿の意に沿う働きが三郎様は出来るということでしょうか。」
「そうじゃ。森羅万象と僅かに距離を置きながら、尚且つ一体となっておれば良い。そうすれば、己は他であり他は己と分かる。全てが見えぬ糸で繋がっておると分かる。その糸は、意図でもあるが、人という生き物は、万能ではないが故に、全ての者の意図が分かるべくもない。何も言わずとも、その人の意図が分かる者、つまり、糸が繋がっているとはっきり分かる者とだけは、俗に云う以心伝心で双方の考えと、その考えを元に執る行動が分かるものじゃ。わしは、三郎に細かな指示を与えておらぬが、奴は、間違いなく河内の国の矢頭昌宗の首を持ち帰る。」
「・・・」
「それに・・、話が少々逸れるが、人は兎角、落ちることを嫌う。」
「・・・」
「覇者に成ろうとすれば、先の覇者を落とさねばならぬ。そして、覇者に成ればなったで、それ以後は、己が狙われ続ける。だが、逆にとことん落ちればどうじゃ・・、落ちた者を人は見向きもしない。しかし、落ちたと雖も、その為人(ひととなり)に何の変りもない。医者も学者も侍も、みんな変わりはない・・ 分かるか、佐太郎。」
「何やら、はっきりとは分かりませぬが・・分かるような気も・・」
「そうか。では、分かるように努めよ。ところで・・」
と、豊前は、庭の方に目を遣り、
「誠伍、あの者は?」
と、一人の農夫を問う。
「一軒先に住んでおります多作という者に御座います。」
と応える誠伍に、
「そうか。あの者、何故に空を見上げたまま一歩も動かぬのじゃ? 既に半刻は、経つと思うが・・」