創世の轍(二)
と、問う。問われた誠伍は、平伏して黙ったまま固まっている。声を掛けた人は、陪臣の身でも誰かの仲介でやっと話が出来る相手である。まして、今の誠伍は、一介の農民として領内に住んでいる。如何に直接聞かれたとはいえ、果たして直接応えて良いものかと迷っている誠伍を見て、佐太郎が、
「誠伍、遠慮は要らぬ。直接お応え申せ。」
と、彼を促す。それでやっと、
「我が娘に御座いまする。」
と、誠伍は応えた。
「名は?」
「千尋と申します。」
「そうか・・ 千尋、今日より三日の間、世話を掛ける。賄いに付いては、握り飯と白湯、漬物、それに少々の酒を用意する様に。」
千尋は、黙って頭を下げる。続いて豊前は、
「佐太、賄いの金子(きんす)を誠伍に・・」
というが、佐太郎は、
「生憎、持ち合わせが御座いませぬ。」
と返す。
「何? 持っておらぬのか。」
「はい、左様で・・」
「左様か・・ ただ飯を食う訳にも行かぬのぅ・・ 誠伍、これを遣わす故、我慢致せ。」
と、豊前は、腰に差していた脇差しを抜いて誠伍に差し出して、
「備前長船じゃ。」
という。誠伍は、床板に頭を擦り付けて、
「殿に賄い賃を頂くなど、恐れ多いことで御座います。金など頂けませぬ。それより佐太郎様を襲った輩を一刻も早く捕えて・・」
と、豊前の脇差しを受け取ることはなかった。豊前は、一旦は下げ渡すつもりだった脇差しをあっさりと収めた。そして、佐太郎が千尋を召し抱えるつもりだと告げると、
「そうか。」
と、応えただけで、特に人払いをするでもなく佐太郎に向かって話し始めた。
今から二十八年前、嫡子と決まっていた豊前の兄は、流行り病で急死した。豊前が十三歳の時である。
その当時、父である当時の領主、邦豊も数年前から病の床に就いていた。嫡子の死を知った邦豊の病状は、日を追う毎に悪化し快復は到底望むべくもなかった。
邦豊は、重臣達に後継を誰にするかを諮った。彼には、男三人、女二人の五人の子供がいたが、嫡子が亡くなり、残っている後継候補は、次男の光豊と三男の豊前の二人であった。重臣達は、次男の光豊を推した。
光豊は、やや短気な性格ではあったが、体躯もがっしりとして武術に秀でた若者であった。また、事に当たる時、その身分に関わらず善か悪かで判断を下すという、はっきりとした性格を持っていた。
一方、豊前は、どちらかというと武よりも文を好む静かな生活を好み、戦国の世を生き抜いて行く当主としては、些か不安を抱かざるを得ないと見られていた。
病の床で、重臣達が光豊を推したのは当然の成り行きであると、邦豊は考えた。従って、
「然らば、わしを含めた此の場に居る者すべての意として、光豊を後継と致す。」
という、邦豊の言葉に、重臣達は、揃って従う旨を口々に述べた。
その半年後、領主の邦豊は逝った。そして、光豊が若干十八歳で新しい領主となった。
光豊が領主となったことは、忽ち隣国にも知れ、予てから肥沃な土地を持つこの国を狙っていた隣国の諸将は、若い光豊を甘く見て頻繁に戦いを仕掛けてきた。だが、光豊は、攻め寄せる敵に向けて真っ先に馬を駆け、事ある度に外敵を退けた。
だが、或る時、光豊の逆鱗に触れた一人の重臣が領内から放逐された。その重臣は、夫のある身の女に横恋慕し、謀(はかりごと)で好いた女の夫を死に追い詰めて女を我がものにしたのだ。事の是非で云えば明らかに重臣に非があったのだが、重臣は、放逐されたことを根に持って光豊の命を奪おうとした。
そして、放逐された重臣は、或る賄い方の一人を金で唆して、光豊の食事にごく僅かずつ毒を盛り始めた。光豊の体調は、その半年後から徐々に悪くなり、目の淵には隈が出来て身体も細くなり、嘗ての威風堂々たる姿は見る影もなくなった。そのうちに光豊は、動くことさえ侭ならぬ状態となって、生来の短気は、家臣の僅かな失態でも声を限りに罵倒するようになった。
それでも、彼は、更に二年余り生きたが、寒風が大嶽山から雪を運んで来る或る夜、ついに帰らぬ人となった。
光豊が余命幾許もないという時、豊前は、当時守役であった遠藤左之助と共に、臥せている光豊を見舞った。光豊は、豊前の名を呼び、
「お前が、戦よりも本を読み、米や野菜を如何にすればより多く収穫出来るのかと考える方が好きなのは分かる。わしは、それも戦で領土を守るのと同様に国の為じゃと思うておったが・・ お前も見ての通り、わしの傍では、地獄の使いが既にお待ちの様子じゃ。向後、後を継ぐのは、豊前しか居らぬ。わしの亡き後、重臣どもと力を合わせて先祖代々の国を守ってくれ・・」
と、息も絶え絶えに告げた。豊前は、光豊最後の言葉に黙って頭を下げたが、その期に及んでも内心乗り気ではない。
光豊の元を辞した豊前は、
「左之助、俺は、領主に向かぬ性格じゃ。本など読みながら生涯を終えれば満足と思うておったが、このような事態になるとは・・」
と、当時守役であった左之助に言う。
「若、あなた様は、気が優し過ぎますぞ。」
という左之助に、
「わしは、優しくはない。兄の跡を継ぐ者は、俺しかいないと分かっていながら、庶民のことより我が好む生き方を優先したいと考える冷たい人間だ。」
と、豊前は言う。
左之助は、豊前が生まれると当時の領主、景尾邦豊から豊前の守役に任ぜられた。以後十八年の間、豊前の傍を離れず過ごしてきた彼の心配は、豊前の心の優しさだった。人が人の命を狙うことに何の躊躇もしない者が多い乱世に、珍しく温和な性格の豊前を冷たいと感じたことなど一度もなかった。ただ、生一本な性格の左之助には理解出来ない部分が多い豊前ではあった。
或る時、左之助が、
「若、腕に蚊が停まっておりますぞ。」
と、蚊を払うように促すと、豊前は、
「蚊も苦労じゃなぁ、追われても払われても尚、血を求めねばならん。・・おっ、左之助、こうして腕に力を込めると、停まっておる蚊が動けぬようじゃ。何故かのぅ・・」
と、左之助に語りかける。それを見て、
(この方は、生まれた時代を間違えた。近寄る蚊を打ち殺すようでなくては生きて行けぬ世であるのに・・)
と、左之助は、豊前の先行きを少なからず不安に思った記憶が蘇った。
彼は、間違いなく近い将来光豊の跡を継がねばならない事態に至った時、その記憶を豊前に話した。
「おお、そのような事があったのう・・、左之助、ありがとう。」
「は・・?」
「礼を言うたのよ。出掛ける。付いて参れ。」
「はぁ・・?」
と、訳の分からない左之助を放って豊前は館を出る。
彼は、幼い頃から共に野山を駆け回った親しい家臣の家を次々と訪ね、庭先で暫く何やら話をしては別れることを繰り返した。
夕方、一日じゅう豊前に引き回された左之助が、
「若、あちらこちらで何を話されたので・・?」
と、問うと、
「左之助、お前は、相当の吝嗇家だとの噂じゃが、幾らか融通してくれぬか。」
と、佐之助に言う。
「若! わしは、何の為に一日中領内をうろつかれたのかと聞いております。」
「うん、だから、お前、自由になる銭を幾ら持っておる?」
「うっ・・、女子(おなご)で御座いまするか?」
「ん・・?」