創世の轍(二)
以来十五年が過ぎ、この度刺客に襲われて誠伍父子に助けられ、久々に千尋を目にした時、もし自分が父の言い付けに従って誠伍の下で真丈流を習っていたなら、千尋の人生も今とは違っていたであろうと些か感傷的な考えで以って部屋を出た彼女の残像を追っていた。
そこへ小弥太が、大嶽山で暮らしている須間三郎の訪問を伝える。
三郎は、佐太郎の傷を気遣った後、
「大嶽山をうろついておりました如何わしき輩です。もう一人は、捕り逃がした体で後を付けさせております。」
と告げた。佐太郎は、庭先で縄を掛けられている刺客に目を遣りながら、
「此処で拷問したとて、何も話さぬであろう。暫く牢に入れておけ。飯も食わせてやるように。」
と、静かにいう。
「飯・・で御座りますか。」
と、誠伍が笑いながら言うと、
「善悪に関わらず人であれば腹は空くであろう。まして、この賊は、任を果たせず逃げ帰っておる処を三郎殿に取り押さえられたのじゃ。牢に入れば親父殿があの大声であれこれと詰問するに違いない。そうなれば飯どころの騒ぎではない。だから、今のうちに何か腹に入れておく必要がある。」
と、佐太郎は真面目な顔で応え、続いて捕えられた賊に打たれている縄を解く様に命じた。そして、
「賊よ、飯を運ばせる故に腹いっぱい食べろ。城中に入ればどの道食事など思いも浮かばぬ程の苛酷な調べが待っているであろうからな。」
と、静かに告げ、傍に控えている足軽に賊から取り上げていた剣を彼の脇に置く様に命じた。
足軽は、怪訝そうな顔をしながら佐太郎の命じるままに剣を賊の脇に置いた。それをじっと見ていた佐太郎が再び賊に言う、
「食べながら聞くがよい。城中で例え如何なる拷問にも耐え、お前が一言も応えず命を落としたとしても、もう一人逃げ帰ったお前の同輩が何かと教えてくれる手筈となっておる。それ故に、お前の脇に返した剣は、わしからのせめてもの餞じゃ。拷問に耐え、気骨を見せて息絶えるか、それとも腹を満たした満足感と共に武士の端くれらしく自ら命を絶つか思いのままに致すがよい。」
と。すると、賊は佐太郎を見据えながら、
「生まれてこの方、我が名前さえ碌に呼ばれず只々主に命じられるまま人切りを繰り返してきた。その様な人間の末路など察するに易い。どうせ踏み潰される蟻同様に生き死になど見向きもされず果てると覚悟しておったが、最後の最後に侍としての自覚を持っての死を賜るとは・・、有難い事じゃ。」
と、頭を下げた。
「そうか。良い覚悟じゃ。では、そのちっぽけな侍の気持ちに介錯を付けてやるほどに、ゆるりと最後の飯を食せ。」
と、佐太郎は応え、須間三郎と誠伍を残して他の者を庭先から遠ざけた。そして、
「三郎、同業の誼じゃ。介錯を・・」
と、須間三郎に命じた。
三郎の配下が刺客の屍を片付け終えるのと殆ど同時に、城の方から蹄の音が聞こえてきた。その音は、庭先からやや距離を置いて止まり、馬上の者が叫ぶ。
「景尾豊前が旗本、堂前五郎左衛門、先ぶれとして参じた。殿は、この度、遠藤佐太郎が襲撃されたことを至って御心痛である。加えてこれは、領内に易々と賊の侵入を許した忌々しき事態でもある。そのことを踏まえ、殿は、急遽山狩りを致すと仰せられた。付いては、遠藤左之助が元家臣、誠伍の宅を仮の陣屋として、殿御自ら指揮を執るとの旨、確かに先ぶれとして伝え申したぞ。」
先ぶれを庭先で跪いて伝言を聞き終えた者達は、豊前自らが出向いて来ると聞き俄かに緊張の度を高めた。特に、我が家を仮の陣屋にと名指された誠伍の慌て方は尋常ではない。彼は、家人に向かって、
「おい! 取り敢えず一部屋だけ綺麗に片付けるのじゃ。灯りも増やせ。それから、座布団じゃ、殿に使うて頂く。・・何? 座布団が無い・・? 隣で借りて来い。・・・何と! 隣にも、そのまた隣の家にも無いじゃと? う~~、常々我が家は、貧乏じゃとは思うておったが・・」
と、これが先程、あっという間に三人の刺客を切り倒した真丈流の使い手かと疑うほどの狼狽ぶりである。
それもその筈、佐太郎の館に仕えていたということは、豊前の家臣である左之助の家臣である。この場合、誠伍は、直接豊前に目通りは叶わず、偶さか豊前と話す機会を得たとしてもその間に人を介して話さねばならない。つまり、直接会話が出来ないのである。諄いが、その会話の模様を描いてみると、
豊前 『誠伍、そちは、今年で何歳であるのか。』
某 『誠伍、殿は、お前の歳を聞いておられる。』
誠伍 『私は、四十七歳に御座りまする。』
某 『誠伍は、四十七歳と申しております。』
という具合で、お互いに声ははっきりと聞き取れる位置に居たとしても、この窓露かしい形態を執らねばならなかったのである。
その所謂雲の上の人とも云える豊前が、陪臣の誠伍宅を陣屋にと指定したのである。誠伍が、慌てて常軌を逸するのも想像は出来る。
佐太郎は、その誠伍を見て、つい笑いを誘われた。そして、更に見続けている間に少々可哀そうになり、
「誠伍、座布団など必要ない。部屋の筵をすべて取り除き板の間にせよ。先ぶれを聞く限り、これは戦じゃ。戦時は、板の間が当たり前。湯さえ沸かして待てば良い。」
と、誠伍を落ち着かせる。
間もなく、松明を連ねた百人ほどの行列が見え始める。その百人が到着すると、誠伍の近くの家々にも灯りが設けられ、それぞれの家人達は、武具で身を固めた兵を自分の家から離れて見守るしかない。
豊前は、佐太郎を見て、
「佐太、傷の具合は如何じゃ。」
と、声を掛ける。佐太郎は、十日もすれば杖無しで歩けるだろうと応えた。それに、豊前は、
「そうか。養生致すように・・」
と言い、その後すぐに、
「三郎、お前の配下の僧、照源を今日より佐太郎に付けよ。」
と、短く言う。三郎は、黙って頭を下げ、彼の後ろに控えている配下を振り返り見る。その配下は、三郎に軽く頭を下げて忽ち姿を消した。
豊前は、佐太郎と三郎に声を掛けたことなど忘れたかのように、
「城中で申し渡した通り、それぞれに出立致せ。期限は、三日じゃ。その間にあらゆる情報をかき集めよ。わしは、三日の間、一歩も動かず此処に居る。」
と、凛とした声で家臣に下知した。既に、細かい指示を受けていた集団が一斉に動き始めた。
豊前は、それを見届けて、誠伍が用意した部屋に落ち着いた。彼は、部屋の中を見回し、
「左之助が言う通り、簡素な部屋じゃ。」
と言うと、誠伍は黙って平伏した。
「ところで・・」
と、豊前は、続ける。
「佐太、賊に襲われる覚えはあるのか。」
「いや、一向に・・」
「そうであろうのぅ・・」
「どころで殿、御自らお出ましとは、何か不測の事態でも・・?」
「いや、覚えがない。覚えはないが、戦国の世とは、こういうものじゃ。お前も今後用心致せ。」
「何やら、よう分りませぬが、そう致します。」
「うむ・・」
訳の分からない話の最中に、千尋が白湯を運んできた。
「造作をかける。」
と、豊前は、白湯を口にする。そして、部屋の隅に小さくなって控える千尋を見て、
「誠伍、そこの女(おなご)は?」