短編集114(過去作品)
最初はまったく意識なく、違和感もない男性だった人が気になり始めたのは、
――どこかで遭ったことがある人だ――
と感じたからだ。
彼も意識していたはずなのに、素知らぬフリをしている。
もし、彼が信子を意識しなければ、爽やかな男性として違和感なく、客とウエイトレスとして接することができただろう。だが、意識してしまうと、それだけでは終わらないのは信子の性格なのかも知れない。
彼はそれからこの店の常連になった。いつも話しかけてくるのは信子に対してで、どうやらお目当ては信子のようだった。
そんな彼が彼女を連れてやってきた。どうしてなのか分からない。信子に自分に彼女がいることを知ってもらうことで、自分の中で何かのけじめをつけようとしているのかも知れない。
「可愛らしい彼女ですね」
「ありがとうございます」
客とウエイトレスの日常会話のはずなのに、どこかぎこちない。
ぎこちない会話をしながら思い出した。
――そうだわ。彼は風俗にいた時のお客さんだったんだ――
違和感がなかったのは、自分が奉仕に目覚めた時で、ある意味自分を見つけた時だったからだろう。彼に好意を抱いていたのは間違いのないことだった。
彼の幸せそうな顔を見ていると、あきらめるしかなかった。冷めた目が戻ったつもりはないが、なるべくぎこちないように接しようとしていたことで、彼が近づきにくくなったと感じていた。
だが、実際は彼に意識させる結果になった。
「付き合ってほしいんだ」
といわれた時はビックリした。
「彼女は?」
「実は、妹だったんだ」
本当かどうか分からないが、二股を掛けるような人ではない。その言葉を鵜呑みにしてもいいと感じた。
だが、実際には彼女は恋人であって、その彼女を気の毒に思うようになり、自分が悩むようになった。悩みを植えつけた彼を恨むようにもなっていた。
だが、今度は恨まれるようになると、まるで他人事のように思えてきた。まわりが騒いでいても自分だけが冷静なのだ。
そのうちに信子は小さい頃の遼と葉月を思い出していた。
――今頃どうしているだろう――
風の噂では、二人はずっと付き合っていて、最後は自殺をしたと聞かされた。最悪の結末を迎えたはずなのに、なぜか信子には分かっていたように思える。
信子は次第に自分が分からなくなってくる。
鏡を見るのが嫌になり、自分が鏡に写っていないのではないかとさえ思うようになっていた。
信子にとって彼は遼とダブって見えたが、まわりの人間には、彼が遼に見えているようだった。
一体、信子は誰を見つめることで、鏡に自分の姿を映すことができるというのだろう。そして、それを演出しているのも、自分以外の何者でもないことにいつになったら気付くのか、それは鏡に写っているはずの信子にしか分からなかった……。
( 完 )
作品名:短編集114(過去作品) 作家名:森本晃次