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オオサカタロウ
オオサカタロウ
novelistID. 20912
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Fray

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「おれが白が好きだって、言ったから。あの子はシロツメクサを取りに行ったんじゃないのか。あの川は危ないんだ」
 楠木はそう言うと、自分の想像しうる最悪のことが起きたように、顔をしかめた。それは力任せに殴られたような、鈍い痛みだった。若菜に似ていると、ずっと思っていた。同じように、自分が見殺しにしてしまった。
「申し訳ない」
 楠木は、真里佳に向かって頭を下げた。真里佳は手を真横に振って否定すると、顔を下げたままの楠木の傍に回った。
「そんなことないです。事故だったんですよ」
「ごめん……」
 楠木は呟いた。真里佳は、丸まった背中に手を置いた。今のは、若菜に対してだろうか。
「何も、楠木さんのせいじゃないです」
 真里佳がそう言って顔を覗き込むと、楠木はようやく落ち着いたように顔を上げた。真里佳は言った。
「あの、若菜さんが亡くなったことで、誰かと話しましたか? もし誰にも話せてないなら、私が聞きます」
 楠木は小さくうなずくと、真里佳に若菜が死んだ後のことを話し始めた。両親の家に火つけたところを省略した以外は、家族という単位をどれだけ憎み、それにどれだけ縛られてきたかということを全て。ほとんど相槌を打つこともなく聞き役に徹していた真里佳は言った。
「どんな話でも、自分以外の誰かが知ってくれてるのって、多分悪い気はしないと思うんです」
「そうだな。ありがとう」
 楠木はそう言うと、少し軽くなったように感じる体をしっかり起こして、姿勢を正した。真里佳は呟いた。
「あの、もう少しいいですか? クラッシーって名前を知っている人が、もう一人いるんです」 
 楠木は丸めたティッシュを鼻から抜き取ると、部屋の端に放り投げた。
「おれ、殺人事件のサイトみたいなやつに登録して、メッセージを送ったんだよな。その相手だと思うよ」
「四十二番」
 真里佳が言うと、楠木は目をまっすぐ見返した。真里佳は、スマートフォンを見つめた。ロック画面に、電話番号と名前が表示されている。
「ちょっと、見ていいですか」
 楠木が同意を示すように体を引くと、真里佳はロック画面を解除した。メッセージの送り主は『七瀬乃亜』となっている。
『突然の連絡失礼します。七瀬乃亜です、覚えてるかな? 最近、お姉ちゃんと仲良くしてるお客さんがいて、一応分かっていることだけ共有しとく。名前は山田芳人、勤め先は徳井エンジニアリング。結構北の、寒い地方の出身だって』
 真里佳はしばらくその文面を眺めていた。間に耐えきれなくなった楠木が、言った。
「大丈夫か?」
「四十二番って確か、地元民だから怖いって」
 真里佳がサイトを開こうとしたとき、記憶を呼び起こした楠木が言った。
「確か、そう書いてあったな」
 四十二番は、山田で間違いない。真里佳は、乃亜のメッセージを再度読んだ。どうして、地元民なんて嘘をついたのだろう。すぐに消された記事を読みたかっただけなら、単純に内容を聞けばいいだけな気がする。それ以上の何かがあるのだろうか。真里佳は、梨子の番号を履歴から辿り、通話ボタンを押した。
 楠木が立ち上がり、真里佳は思わず振り向いた。
 着信音が家のすぐ外で鳴っている。楠木が駆け出して玄関の扉を引き剥がすように開けるなり、叫んだ。
「逃げろ!」
 梨子が飛び跳ねるように後ずさったとき、真っ暗になった死角から人影が飛び出した。そのナイフが逃げ出した梨子に追いつく直前に、楠木が体当たりで山田を弾き飛ばした。そのまま地面に引き倒された山田は、飛んで行ったナイフを拾おうとしたが、楠木が真上に覆いかぶさって体重をかけ、頭を掴んで引き上げた。その顔を見て、合点がいったように苦々しい表情を浮かべた。
「またお前かよ……」
 山田はその顔を見上げて、笑った。
「見てたのは、あんたか」
 楠木は、山田の体を押さえつけたまま、うなずいた。真里佳が軒先に現れ、梨子が目を丸くした。
「真里佳?」
「姉ちゃん、分かった」
 真里佳はふらつきながら、梨子に歩み寄った。梨子がその体を支えると、真里佳はうわごとのように『分かった』と言い続けた。
「何が分かったの」
「クラッシーは、殺されたんじゃない。事故だった」
 そこまで言ったとき、梨子は自分が陥った状況をようやく理解したように、その場にへたり込んだ。今、自分は殺されかけたのだ。
「山田さん……、どうして?」
 梨子が言うと、代わりに楠木が顔を上げた。
「おれは、牧田流花がこいつに殺されるところを見てた。止められなかったけどな」
 コメントの四十二番。千草工業地帯連続殺人の犯人。真里佳は梨子の体を支えるように背中に手を回しながら、自分の体も同じように震えているのを感じて、鞄を力いっぱい掴んだ。楠木は、この場にいる人間の中で最も関係性が出来上がっている真里佳の方を向くと、言った。
「こいつをとりあえず押さえとくけど、二人とも現場から一旦離れたほうがいい。この道を抜けたらコンビニがある。ちょっとそこで待っててくれるか?」
 真里佳はうなずいた。楠木は初めて人と正常なコミュニケーションが取れたように、頬を緩めた。山田を見下ろしながらスマートフォンをポケットから取り出すと、言った。
「ここらの警察は、呼んでも三十分ぐらいかかる」
「分かりました。あの……」
 真里佳は続けざまに言おうとして、一度口をつぐんだ。現実が遅れて洪水のように押し寄せ、静かに川を流れる水の音をかき消した。楠木が続きを待つように顔を向けたとき、真里佳は言った。
「姉を助けてくれて、ありがとうございました」
 梨子が震えながら小さく頭を下げて『ありがとうございます』と続いたとき、楠木は肩をすくめると、笑った。
「姉妹なのか。まあ、怪我しなくて良かったよ」
 真里佳はうなずくと、仕切り直すように梨子の手を引いた。
「姉ちゃん、行こう」
 梨子は立ち上がると、現実ではない世界に足を取られたように、よろけながら歩き始めた。
「わけわかんない……」
 熱病に浮かされたように繰り返し呟く梨子に、真里佳は言った。
「私も」


 楠木は、コンビニがある方へ歩いていく二人の後ろ姿を見送りながら、小さく息をついた。偶然だけじゃない。妹の意志の強さが、姉を救った。
「家族ってのは、いいもんだな」
 山田は、背中を圧迫されたまま呻き、言葉にならない唸り声のような返事を漏らした。楠木は、山田のポケットから財布を抜いて、中身を確認し始めた。体を捩ってどうにか息を吐き出すスペースを確保した山田は、言った。
「警察、呼ばないのか?」
 楠木は財布の中身をそのままにしてポケットに返すと、山田の質問を完全に無視して、地面に落ちたナイフを見ながら言った。
「いい道具持ってんな」
「おろしたてだ」
 山田が呟くと、楠木は笑った。
「昔の話で申し訳ないが、牧田は待ち合わせ場所にここを指定しただろ? どうしてだと思う?」
 山田は、自由の利かない顔をできるだけ曲げて、目を合わせようとした。楠木は少し体を傾けて、山田の目を覗き込んだ。
「おれは、自殺したいなら殺してやるって、あの子をずっと誘ってたんだ。お前も同じようにしたんだろ」
作品名:Fray 作家名:オオサカタロウ