小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」
オオサカタロウ
オオサカタロウ
novelistID. 20912
新規ユーザー登録
E-MAIL
PASSWORD
次回から自動でログイン

 

作品詳細に戻る

 

Fray

INDEX|15ページ/23ページ|

次のページ前のページ
 

 二〇一六年も、暇な年だった。牧田を殺し損ねて二年が経ち、誰かが住んでいるということに気づいたらしい警察が、二度聞き込みに現れた。その前後は警察車両が前を通り過ぎることもあったが、手がかりが途絶えてから慌てるように始まった捜査は、すぐに勢いをなくした。
 別のことを考えようと試みたとき、意思に反して、頭の中にほとんど色落ちしていない鮮明な記憶が蘇った。楠木は天井を見上げたまま、あの日に限って、どうして柄にもなくデリカのワイパーを交換しようと思いついたのか、そのきっかけを思い出そうとしたが、そっちはすでに頭の中から消去されていた。ただ自分はあの日、外にいて、家の前を通り過ぎていく小学生のバッグが、ぱちんと音を立ててバラバラになった。ワイパーのブレードを手に持ったまま目が合い、最初に考えたのは目を逸らせることだったが、見通しの悪いところでしゃがみこんでいたら、車に轢かれるかもしれない。そう思って、中身を拾い上げるのを手伝い、とりあえず道からどかせた。赤い郵便ポストの上に拾ったぬいぐるみを並べていると、その小学生は『倉敷友香』と名乗った。薄いブルーのバッグは手作りらしく、水筒や教科書だけでなく、裁縫道具も満載されていて、強度試験でもしているようだった。とりあえず家に帰れるよう、業務用のホチキスで二か所、取っ手の部分を留めなおした。倉敷はお礼を言い、帰っていった。
 それで終われば、何も考えずに済んだ。常に人を殺しかけているからといって、悪人とは限らない。それを証明しただけだ。ただ、倉敷の薄暗い表情は、若菜によく似ていた。何も吸収したくないように、心に蝋を塗り固めている。それでも外との関わりを断つことはできないし、時折その蝋を溶かすような出来事が起きたりするが、嫌なことが起きたときだけ蝋を塗るのとは根本的に違って、いいことがあったときだけ、溶ける。その繰り返しだ。変わった色合いのぬいぐるみは、その悲しさを外へお裾分けする手段なのかもしれない。そんなことを、当時思った。
 何日か経って、倉敷はまた現れた。今度は『ここは通学路じゃないよ』と、やんわり注意をした。あまり人がうろついている様子を見られたくない。その目には、一度決めたら譲らない芯のようなものが通っていて、遠くでぼんやりと燃えているかがり火のような立ち姿からは、想像もできなかった。実際今でも記憶に一番焼き付いているのは、その目だ。
 それからは、こちらが生家へ立ち寄るのをやめた。川沿いの家は再び廃墟に戻り、ほとぼりが冷めた頃に戻ったら、勝手に家の中へ入り込んだ倉敷が、漫画を読んでいた。不法侵入だと怒ろうとしたが、言葉はどうしても出なかった。そのとき頭に浮かんだのは、倉敷がどんな家族と住んでいて、どうして家に帰ることを選ばないのか、ということだった。
『学校はどうしてんの』
 多分、あのときの自分は、できるだけくだけた口調を心掛けたと思う。こちらの予想に反してあまり話すことはないらしく、倉敷はすぐに帰っていったが、棚にクマのぬいぐるみが三体置かれていた。それぞれ日付が書かれていて、三体目はその日の日付で、来るたびに置いていったのだということが分かった。
 楠木は体を起こすと、本棚に置かれたクマのぬいぐるみを手に取った。二体は廃屋に置きっぱなしだが、一つは持ってきた。漫画を読んでいる姿を見つけた日以来、倉敷は前を通るだけで、家の中へ入ってくることはなくなった。こちらも、これ以上の不法侵入を避けるためにまた廃屋に顔を出すようになっていたし、それでバランスは取れていたはずだったが、倉敷はある日、デリカのワイパーに青色の花を挟み始めた。家から出て確か、こう言ったはずだ。
『綺麗な色だな』
 本当に言いたかったのは、『雨が降ったらどうすんだ』という文句だったが、どう頭を働かせても、叱りつけるような言葉は出てくる直前で検問に引っかかり、当たり障りのない誉め言葉に変換された。若菜がもう少し成長すれば、あんな風になっていただろうと、今でも思う。まるで、若菜の一部が転生したようだった。
『好きな色はありますか?』
 そう聞かれて、デリカが白色だったから、咄嗟に『白』と答えた。しかし、それで倉敷は、初めて笑った。そして、栓が抜けたように自分のことを語り始めた。勝手に上がり込んで漫画を読んでいた日の続きみたいに、学校のことから、仲の良い数少ない友達や、どうしても帰りたくない家のことまで。
『誰にも、言ったらダメですよ』
 そうだったな、申し訳ない。楠木は自分が送ったメッセージを読み返した。自分が捕まるんじゃないかと思って、ちょっと焦りすぎたかもしれない。
 クラッシーというのは、友達と決めた秘密の呼び名だったのに。
     
     
 インフラ更新作業が完了して、二週間が過ぎた。若い社員からの評判は上々だが、年寄り連中はセキュリティ関係の手続きが増えたことで、少なからず貴重な御意見をほざいている。山田は、休憩室で高島の登山話を聞きながら、それでもスマートフォンを時折チェックしていた。夏美とのやりとりがほとんどだ。昭人の写真と、日常の会話。買い物のお願いごとや、休日の行動予定。その内容は平和で、誰が見ても平凡な三人家族そのもの。だからこそ余計に、そこへ入り込んできたリリカの存在は大きい。もし高島が見たら、普通の人間なりの解釈をするだろう。綺麗な夜のお姉さんにハマったと。もちろんハマったのは事実だが、目的が違う。
 先週注文したハンティングナイフは、刃渡りが十三センチでテフロンコーティングされている。コンビニで受け取ったのが、三日前の話。それまで話を続くか不安だったが、先週の金曜日に一人で店に行き、リリカが営業を諦めないように金を落とした。店長が何も言うことなくリリカを呼んだところからすると、新たな顧客として店の中で目立っているのかもしれない。あまり有名になりたくはない。顔が売れすぎると、その身に何かがあったときに、こっちも疑われる。
 現実的なことを考えていると、夏美からメッセージが届いた。
『えー、最近増えてきたね。体調が心配』
 その通り。飲み会の数は確実に増えている。しかし、今回ばかりは、高島が完全に悪い。あの図体だけがでかい間抜けは、よりによって椎名課長に店の話をしたのだ。そんなことを言えば、おれも連れてけと言われるのは目に見えている。高島になら『一人で行ってこい』と言えるが、椎名相手にそれは通用しない。
『椎名課長が、ご乱心なんだよ。ほんとにごめんね。早めに切り上げる』
 出世を求めているのは、夏美も理解してくれている。昭人が、休日以外は残業で中々顔を合わせられない父のことを忘れないように、常に写真を見せて話をしているぐらいだ。外で思い切り働いておいでと言ってもらえるのは、ありがたいことだ。
 夜の七時、繁華街と山田の組み合わせがまだ飲み込めないように、椎名はしかめ面のまま言った。
「お前がこういう遊びをする奴だとは、知らなかったよ。念押しの根室も大好物だから、いつかくすぐってやれ。お前なら、すぐにおれを追い越せるよ」
「根室さん、酒癖悪いらしいじゃないですか。ここ、出禁になりたくないです」
作品名:Fray 作家名:オオサカタロウ