ウラバンナ(朱夏紀ー1)
私はホテルでの夜を想い出していた。柊とは雪嵐の一夜限りの関係であったが、今にして思えば私の子供である可能性を否定できなかった。
「その辺は曖昧だけど、多分そうじゃあないの……。あの頃は今と違って、未婚の女性が子供を産むのは余ほどの決心がいったはずよ……。ましては田舎だと隣近所の目もあって子育ても苦労が多かったと思うの……」
女将は矢納孝夫の子供だからこそ、シングルマザーの道を選択したのだと黙示していた。
あの夜、人妻の柊がヴァージンだったことを知って驚いたが、その翌朝には忽然とホテルから消えていた。女将の話しを聞きながら、私の情熱の迸りを痛みの中で受けとめた柊の顔を思い出していた。
池澤捷一は実家に戻ってきた柊のことを一度も話題にしたことがなかった。それは横浜で柊が訊ねた手紙の行方と関係があるのかもしれなかった。
「矢納ちゃん、明日帰省するのでしょう、一度彼女に会ってきたら? アクアマリンのリングことも、矢納ちゃんは玩具だと笑ったそうだけど……。彼女はリングに特別の思いを託していたと思うの……」
女将の話ではアクアマリンは三月の誕生石という以外に、女性を幸せに導く象徴とされていた。
あの日、彼女も幸せのパワーストーンだと言っていた。わざわざ玩具のリングをつけてきたのはその魔力にすがろうとしていたのかもしれなかった……。
あの夜から起算すれば、女将の言うように柊の娘の年齢とも符合していた。そうであれば私に黙って出産したことが解せなかった。
彼女がホテルに残していたメモを思い出していた。もしかすると、妊娠のことを予感していたのかもしれなかった。
矢納孝夫様
あなたから、希望の光を頂きました……。
これからはアクアマリンと朝顔と一緒に生きていきます。
あなたはあなたのままで、変わらずにいてください。
決して私を捜さないで……。
秋津 柊
作品名:ウラバンナ(朱夏紀ー1) 作家名:田中よしみ