悠々日和キャンピングカーの旅:プロローグ(前半)
■趣味の棚卸し:大学生
勉強ばかりの高校生活だったが、往復約20kmの自転車通学の3年間で、次第に体力が付いたせいか、大学生になった頃は病弱ではなくなっていた。そうなると、そうではない頃を忘れてしまいそうだが、“人生とんとん”が始まった気がしていた。
これまで、あまり向き合うことがなかったアウトドアに興味を持ち始め、バイトで稼いだ小遣いや長い夏休みや春休みがあったことから、色々なアウトドアの活動にはまっていった。
その原資を稼いだバイトは、普通の大学生があまり経験しないものも多く、その一部を紹介する。
最初のバイトは競馬場でのバイトだった。レース開催前日の金曜日から日曜日の2泊3日の夜警を含むガードマンの仕事だった。馬券を買うのは禁止されていたが、競馬場のスタッフの扱いになっていたのだろうか。競馬場の雰囲気から、ギャンブルの楽しみというよりは虚しさを感じたのか、これまで、パチンコすら殆どやったことはない。
次は肉体労働だった。学生も職安(公共職業安定所の略、一般的にはハローワークと呼ばれる)でバイトを探すことができると聞いて、その前でバイトを探していた時に、どこかの土建業の人から声を掛けられ、ライトバンに乗り込み、連れられて行った先は河川工事の現場で、肉体労働に従事したが、体力が持たず2日で終わった。
大学の掲示板に貼られていたバイトで、蒲鉾の材料を運ぶトラックのドライバーの助手。主な作業は荷物の積み下ろしで、遠方まで運ぶ際はドライバーとの会話や車窓風景を楽しむことができた楽な仕事だった。
大学の先輩から頼まれた泊まり込みの小学校の夜警のバイトでは、何も起きはしないのだが、懐中電灯を持ってひとり、夜の学校の校舎内や外を見回る際の不気味さは体験しないと分からない。それでも次第に、放課後に遊びに来る小学生もいて、大学生活に興味を持つ小学生との愉快な時間を過ごした。
そして家庭教師、中学受験を目指す小学生が通う塾のホテル合宿での講師、中学生が通う塾の講師と、15歳以下の子供相手が続いたが、大学の教授からの依頼で、歯科技工士専門学校の非常勤講師という珍しい経験をさせてもらった。
これらのバイト代でバイクを購入し、自動車の普通免許も取り、色々な趣味を始めることができた。
このように、幾つものバイトを並べてしまうと、それらに夢中になり過ぎて、学業が疎かになったと思われてしまいそうだが、そこはしっかりと勉学に励んだ。
大学生の頃の趣味は先ず、長い休みにはリュックを担いで旅に出る、いわゆる「カニ族」だった。特に北海道が気に入ってしまい、地元の九州から急行を乗り継ぎ、津軽海峡を数回渡った。
リュックを持っていたことから、ワンゲル部のOBだった先輩が率いる「あしびきの会」に入会し、主に九州の山々での「登山」を始めた。2泊3日の単独山行もやった。誰もいない山の中で、ひとりでテントに泊る時の、何とも言えない怖さを今でも憶えている。時折吹く風でテントが揺れ、それが拍車を掛けていた。そこで気付いたのは、風は大きな塊だと、遠くからテントに近付く風にざわつく木々の葉擦れの音で、そう分かった。
そして、バイクを持っていたため「日帰りツーリング」が趣味になり、旅が好きだったことから、ユースホステルを使った数日間の「ツーリングの旅」に出ることもあった。
その内、バイトと旅の両立を考え始め、夏休みの1ヵ月間、北海道の牧場に住み込んで従事するバイトに応募し、道北に向かった。主な仕事は、牛舎の清掃と冬の間の飼料になる刈った牧草を牛舎の2階やサイロに貯える仕事で、搾乳はプロの仕事なのか、バイトの身の私は従事しなかった。
そこでは貴重な経験が幾つもあった。8月でも毎朝炊かれるストーブ、搾ったばかりの牛乳の美味さ、毎朝食べた牛乳から作られる豆腐のようなチーズ、牛の出産、サイロの中で上から降ってくる短く切られた牧草を平らに詰め込むこと、牧草地で食べたジンギスカンの美味さと味の濃いアイヌねぎ、数えれば切りがない。そしてバイト代で2週間ほどの旅を楽しんだ。それに味を占め、翌年は北海道の阿寒湖の旅館でバイト、もちろん、その後も旅を楽しんだ。
北海道の旅での珍しい経験としては摩周湖で泳いだことだ。当時、裏摩周展望台から湖岸に下りることができ、冷たい湖水ではあったが泳いだ。最初は見えていた湖底が、突然吸い込まれそうな真っ青な深みに変わってゆく。その瞬間は忘れられない。今は、湖面に下りることさえ禁止されているので、貴重な体験になった。
その一方、アウトドアではないが、ドラムを叩いてみようと、大学のフォークソング研究会で、二人でギターを弾きながら歌っていた友人に相談したところ、他のメンバーも入れてバンドを作る話に進展し、そのバンドで「ドラム」を担当することになった。練習用にドラムを買っても、保管スペースが無かったため、部室内のドラムで練習した。フォーク研の定期コンサートに出場し、その司会も務めた。私たちのバンドのコンサートも開いたこともあり、至福を味わった。
今、日本のあちらこちらに住んでいるフォーク研の仲間たちと月1回のリモート飲み会をやっており、近況報告や世情等の会話を楽しんでいる。
作品名:悠々日和キャンピングカーの旅:プロローグ(前半) 作家名:静岡のとみちゃん