悠々日和キャンピングカーの旅:プロローグ(前半)
■趣味の棚卸し:中学生
中学生の頃は「ラジオを聞くこと」とSLの「撮り鉄」が趣味だった。
親戚の人たちと一緒にキャンプに行った時のこと、皆はテントで寝ていたが、私は車の中で寝た。ふと目が覚めた時、ラジオのスイッチを入れたところ、「オール ナーイト ニッポーン」の歌声に続き、何やらごちゃごちゃと話して曲が掛かって・・・、これが、ラジオの深夜放送との出会いで、新鮮な感じがしたが、直ぐに眠りに戻った。
中学校の友達の間ではラジオが流行り始めた。それは、少し背伸びがしたくて、大人ぶりたかったのかもしれない。バイトで小遣い稼ぎはまだできないので、私も親にねだって、ラジオを買ってもらった。それは確かナショナルのラジオで、高価な私有物を初めて手に入れた気がした。
それまでは午後の9時頃に寝ていたが、テレビよりラジオが面白くなり、気付くと11時頃に寝る生活に変わっていた。そして、宿題や高校の受験勉強をしながらではあったが、ラジオの深夜番組を聴くようになり、私の中に知らない世界が次々に広がっていった。
日曜の深夜を除き日課になったラジオで聴いていた番組は、午後10時半から12時までは地元福岡県の番組「ヤングポップス」に「スマッシュイレブン」、12時からの1時間は日本海を越えて福岡県まで届く札幌放送の番組「アタックヤング」、深夜1時からは、亀さんの「オールナイトニッポン」だったが、木曜の深夜だけは白石冬美さんと野沢那智さんがDJ(パーソナリティ、当時はディスクジョッキーの略のDJが使われていた)を務める「パックインミュージック」を聞いていた。この二人の掛け合いは懐かしく、もう一度聞いてみたい。
その頃はまだラジカセは少なく、ラジオにカセットテープレコーダーを接続し、主にポピュラー(洋楽)を録音していて、ビージーズやシカゴ、そしてカーペンターズがお気に入りだった。
ラジオ番組のDJの語りに憧れ、その真似を始めた。カセットテープレコーダーのマイクに向かって、日々のことを話しながら、音楽も吹き込み、わずか10分ほどだったが、オリジナルの番組を作っていた。 そして、同じような番組を作った友人とカセットテープを交換する遊びを始めた。今ならば、YouTubeへの動画アップなのだろう。そういう意味では、私と友人の二人は時代の先取りをしていたのかもしれない。
もう一方の、当時はそういう言葉はなかった「撮り鉄」は、父のフィルムカメラ(コニカⅢA)を譲り受け、当時まだSLが走っていた田川線(現:平成筑豊鉄道)の山間の場所まで自転車で約2時間も走って行き、貨物列車を牽引する大正生まれの9600型、通称キューロクの雄姿を撮り、客車を牽引するC11の写真も撮っていた。
古いアルバムにはそれらの白黒写真が残っており、今見ると、稚拙なアングルのものばかりだが、キューロクの重連後押しのセメント輸送の貨物列車の写真は、吐き出す煙の具合も良く、最高傑作の写真なのかもしれない。
その頃、SLの姿が次々に消えていたが、走るSLの姿が登場するテレビ番組「鉄道100年 大いなる旅路」が放映された。小椋佳が歌う主題歌で始まるこの番組は、鉄道建設からの国鉄に携わる人々の哀歓を描いた作品で、夢中になって見ていた。自宅のテレビはブラウン管の木目調の大型の白黒テレビだったが、4Kのカラーで、もう一度、見てみたい。
そして今、最もお気に入りのSLはC11で、ノスタルジーからなのか、その鉄道模型のNゲージを手に入れたいと思っている。更に軽便鉄道にも興味が湧き、もし買ってしまうと、他のSLや仕様の違う客車や貨物車を揃え、ジオラマ製作まで趣味の範囲が広がってしまうのは自明の理。最も金が掛る趣味の中の趣味と言われる鉄道模型のため、そこには絶対に立ち入らないように自制心を働かせている。
作品名:悠々日和キャンピングカーの旅:プロローグ(前半) 作家名:静岡のとみちゃん