天界での展開(4)
「今、この桃を手から放せば、半分以上が泥にまみれて喰えなくなる。食べ物は、大切にしなきゃ・・ それより、あんた、誰だ? この桃を作ったお方か? 流石に愛情を込めて丹精込めて作った物の味は違うなぁ。やはり、何かい? ここまで美味しい桃を作れるまでには、相当な時間が掛かったんだろうな。土壌改良には、鶏糞を使ったのか? それとも牛糞か?」
「桃の品種に依って使い分けておる。今、お前が食べている桃には、牛糞を使っておる。」
「そうなのか? じゃあ、鶏糞で育てた桃とどの様に違うんだ?」
「それはじゃな、味は、双方とも甲乙つけ難いが、牛糞使用の桃が、やや柔らかい。」
「そうかい。道理で湧き出る果汁と共に口の中で果肉が溶けて行く・・ あ~、美味しかったぁ・・ ここまで美味しく作れるなんて、もうあんた、芸術の域だぞ。流石だ。」
「ありがとう・・・おっと、その口には騙されんぞ。ん・・? お前、その死装束はどうした? 何故にその様なものを着ているのじゃ?」
「これはですね、人間界から来たばかりの者が着るものでしてね、つまり、俺は、つい先ほどと言っても構わないくらい最近死んだのでありまして・・それが、話せば長~~い話になるのですが、最初から話しても構いませんか? それとも、重要な処だけ掻い摘んで話しましょうか?」
「つい最近死んだ人間が、どうして此処に居るのじゃ? お前、地獄が怖くて逃走でもしたのか。」
「だから、早く決めなよ、爺さん。」
「このわしに何を決めろと言うのじゃ?」
「俺が死んでから、此処で桃をたべるまでを細かく聞きたいのか、それとも、掻い摘んで要点だけを聞きたいのか早く決めろよ。」
「その落ち着き払った態度を見ると、何かそれなりの事情が有りそうじゃの。まあ、わしも特に急ぐ用事も無いから・・」
「では、詳しく話すけどな、実は・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・という訳で、牛糞で以って土壌改良をした畑で見事に熟した桃を頂いたということだ。ついでだから、鶏糞を混ぜた畑で育った桃も頂ければ・・」
「何を言うか! 礼儀を知らぬと言っても程がある。此処の桃をひとつ食べただけでも万死に値するのだぞ!」
「死んだ俺に、そう言っても怖くない。おい、爺さん、一度死んだ人間をもう一度殺してみろよ。」
「その不届きな口のきき方は何じゃ! どこぞの阿呆が迷い込んだ事にして大目に見てやろうかと思うておったが、もう許さんぞ! 閻魔に言うて、未来永劫地獄に送り込んでやる。」
「良い歳をして、告げ口かい! 桃の一つや二つ食べたからといって、そんなに怒る事などないだろ?」
「う~~、言わせておけば何処までも・・生殺与奪の権を持ち供えたる寿老人を甘く見るなよ。」
「えっ? あんた、寿老人なのか? ・・嘘だろ?」
「このわしを嘘吐き呼ばわりするのか!」
「だって、俺が生きていた頃に絵で見たのとまったく姿形が違うぞ。寿老人ってのはだな、背丈よりも長い杖を持ってだな、白くて長い髭を蓄えた老い耄れ・・いや、かなり歳を取った爺様だったぞ。それに、何よりも目立つのは、異常に長い頭部で天辺が禿げ上がっている筈だ。」
「何? そんなにまで 不細工に 描かれているのか・・・」
「ああ、そうだ。」
「そうか・・そうなのか・・・」
「あ、爺さん、大丈夫か? 何だかヨロヨロと今にも座り込みそうだぞ。急な目眩か?」
「・・目眩も起こるわい・・ この、嘗ては、天界で一、二を争う程の美形として女神どもの注目を一身に集めておったわしが・・その様に・・・描かれておるのか・・」
「おい、爺さん。フラフラと何処へ行く・・?」
「済まんが、暫く一人にしてくれ。このショックから立ち直るには少々時を要すわい・・」
「分かった。暫くそっとしておくから・・ その間、鶏糞で土壌改良をして育てた方の桃を頂いても良いかい?」
「ああ・・・ん? ・・好きにするが良いわ・・ この・・このわしが・・・ 嗚呼、世間の冷たさが急に襲ってきた。このわしの事を、面白おかしく笑っておる人間どもの顔が浮かんで来る・・ 嗚呼、神も佛も無いこの様な世の中に誰がしたのじゃ・・ みんな嫌いじゃ・・もう放っておいてくれ・・」
「だから、放ってるんだけど・・ とは言っても夢遊病者みたいなのを放っておく訳にも行かないし・・ まず、桃をもうひとつ頂いてから手当てを考えよう。爺さ~ん、桃を頂くぞぉ!」
「好きにすれば・・? 嗚呼・・」
北方を 守るのだけど
「双六の奴め、わしが止めるのも聞かず禁断の桃源郷へ入ってしまったわい。どうも奴は、考えるよりも先に身体が動く質じゃから扱い難うて困るわ。・・しかし、戻って来んのう・・まさか桃園の番人に見付かって・・・、いやいや、その様に不吉な事は考えん事にしよう。奴には、どうも降り掛かった災難を何時の間にか切り抜けるという妙に運の良い処がある。今回も、そう考えれば、後で桃源郷の様子など聞く事が出来るから、わしもひとつ物知りになるという事じゃ。・・ん? 向こうから近付いて来るあの雲の塊は・・ご主人の毘沙門天様の一団を運ぶ雲か・・そうじゃ、間違いない。一体、何故に・・」
「サル。サルではないか・・、お前、急に居なくなったと思えば、妙な処で出遭うたのぅ。此処で何を致しておる?」
「これはこれは、ご主人様。実は、斯く斯く然然で御座いまして、その双六という小者を、このわし同様にご主人様の下で使って頂けないものかと北方守備殿に向こうておる最中で御座いました。ところが、双六の奴め、急に空腹を訴え始め、わしは我慢する様にと説得致したのですが、奴め、異常に嗅覚が発達しておりまして、おまけに視力も100メートル先の蝿が雄か雌かも見て取れる程人並み外れておりまして、その視力と嗅覚で以って、この先の桃源郷の桃を見付け、あっという間に畑の中に消えてしまったという次第で御座います。」
「そうか。それで?」
「はい、一人取り残されたわしは、禁断の地域に入る事もままならず、さりとて我が友を見捨てて一人で守備殿に帰る訳にも行かず、思案に暮れて居った次第で・・」
「そうであったか。わしの配下の長命福管理部と豊穣福管理部の双方から、殆ど同時に『桃源郷で異臭がする。』との通報があって、確か桃源郷には、今は寿老人も滞在しておるので特に案ずる事などなかろうとは思うたが、万が一を考え馳せ参じた処じゃ。して、そのお前の知る小者は北東桃源郷と北西桃源郷のどちらに入り込んだのじゃ?」
「西か東かは分かりかねますが、あの方向へと消えてしまいました。」
「相分った。サル! お前は、此処で待っておれ!」
「ははっ!」
「他の者も、此処で待つが良い。たかが小者一人、大勢で静かな桃源郷に踏み込む事もない。」
「・・・・・」
「嗚呼、神よ・・、仏よ・・」
「これ、そこでフラフラと夢遊病者の様に定まらぬ眼つきで徘徊しておるのは、寿老人ではないか。」
「ん・・? あっ、これは、北方守備殿の毘沙門天・・」