天界での展開(4)
しかし、間もなく彼等は飛び道具を造り、本来の目的を忘れ、人を殺す事だけに血道をあげ始めたのです。この天界で暮らす者には難しいかも知れませんが、想像してご覧なさい。あなたと誰かが傷付け合う。その方法は、拳しか用いない。拳が相手に当たれば、自分の手も痛みを感じるが、当てられた相手は、その数倍もの痛みを感じる。だが、その痛みを堪えて、どちらかが倒れて動かなくなるまで拳を振るい合う。相手を倒した方は、息も切れ切れになるでしょう。だが、倒された方は、もう立ち上がることさえないのです。切れ切れになるどころか、気付けば相手は息をしていない。いくら待っても、二度と起き上がる事は無いのです。
そこで勝った方は何を感じますか? 下世話な言い方ですが『ざまあみろ』と勝ち誇り、後も見ないで立ち去りますか? 立ち去る事が出来ますか? 天界に住む者であれば、今、自分が奪った命を想うでしょう、嗚呼この私さえ蛮行に及ばなかったなら・・と、悔やむでしょう。
誰しも失敗はあります。私と雖も、後から思い返してみると、相手の命を奪ったり、傷付けたりこそしていませんが、意見の違いで討論などをして、やや気分を害して別れた後、如何に意見の相違があったとしても、互いに笑顔で『じゃあ、また話しましょう』と何故言えなかったのかと自分の至らなさを責める時があります。その様な時、拳で撃ち合ったり、向かい合っての討論が白熱した時、その後で必ず相手の姿や表情を思い出しながら、今後衝突しない為の方法を考えるでしょう。
それは、何故か? それは、我々が失敗を犯した時、必ず目の前に相手がいたからです。相手の喜怒哀楽が、目に焼き付いて離れないからです。その目に焼き付いた相手の様子から、あの時、相手は一体どの様な気持ちであったのだろうかと考えるからです。そして、思案を巡らせるうちに、自分の至らなさに気付くのです。気付いた時、撃ち合いや討論に勝ったとか負けたとか、そういった次元の低い思いは消し飛んでいるでしょう。
重要なのは、問題が起こった時に相手が目の前に居たという事です。自分の目で、すべてを確認出来たという事です。
だが、これが飛び道具など使い、自覚の無いうちに相手の命を奪ったとしたならどうでしょう。
『この銃で数十人の命を奪ったぞ』『いやいや、わしなんぞ、この大砲で数百人殺した』『何だ、たったの数百人だと? 俺が考え出したこの兵器は、只の一発で数十万人殺せるぞ』と、本末転倒の話が繰り返されるでしょう。ひとつの命は、最早塵芥よりも軽いのです。戦いの後の反省などあろう筈がないのです。
今、人間界は、あろう筈のない世界となり果てているのです。
勿論、天界からも多くの志願者が人間界に赴き、手を変え品を変えして安心・平和の世界を目差して動いています。その者達の中には、長年に渡り人間達に『このままで良いのか?』と真剣に考えて欲しいけど、言葉だけでは気付く数など知れている。いっその事、天界の力で一気に事を為したらどうかという者も居ます。だが、それは、大神様のお望みになる方法ではないのです。あくまで自分達で気付き、時間は要せども再生の道を歩んで欲しいというのが、大神様のお気持ちなのです。
此処に居る主倍津阿教授と純真は既に承知している筈ですが、所長に聞かせる為にもう一度私から申します。この度、閻魔殿の閻魔大王の下命により、人間界をゆっくりと安心・平和な世界にする為に、主倍津阿教授と純真、それに、魔術・妖術を扱う者を取り締まっている妖魔管理部の霧靄雲刻斎の娘である桃花が、人間界へ派遣される仕儀となったのです。そして、既に人間界へ行き来している地蔵菩薩をリーダーとして、その任に当たることが決定しています。
更に付け加えますが、地蔵菩薩のたっての願いに依り、所長、あなたの頭を悩ませた権蔵が閻魔の手によって人間界での命を無理矢理絶たれ、再び人間界へ舞い戻る様に図られたのです。」
「な、なんと! ・・では、これまで人類初めてのバカではないかと疑われていたのは、あの死人の単なるバカのふりで御座いましたのか・・ それにしても、人間は侮れぬ。あの人を喰った様なバカを演じ切るとは・・」
「所長、権蔵は、バカを演じていたのではありません。」
「えっ? それでは・・一体、あの死人は・・」
「まあ、世界は広い。という事にしておきましょう。ただ、所長の疑問にひとつだけ答えておきましょう。あの権蔵は、明らかに他国語を話します、それも日常的に何の苦も無く英語・中国語・タガログ語を話しています。但し、彼には他国語を話しているという自覚の欠片もありません。ですから、例えば英語を日本語に訳すとか、日本語を中国語に訳すなどという芸当は出来ないのです。
これには理由が有りましてね、ある時、彼が仕事を終えて、例によってあのとぼけた表情で歩いて帰宅の途中、ひとりの女性を見て立ち止まった。そして、
『おい、姉さん。そこで何をしてるんだ?』
と尋ねた。声を掛けられた女性は、日本で働いている娘さんに会う為にアメリカから初めて日本に来たのだった。彼女は、地図を片手にを娘さんの住む住所にむかっているつもりだったが、どこでどうなったのか道に迷ってしまった。彼女は、目的地への道を何人もの日本人に聞こうとしたが、どの日本人もI don’t know. とか、分かんないね と日本語で言うや足早に遠ざかった。困り果てていた彼女に声をかけた権蔵に、彼女はWhere am I ? と問う。
『え? 何だって?』
と、権蔵。
彼女は、地図を見せながら、身振り手振りで目的地までの案内を権蔵に頼んだ。
人の良い権蔵は、何十回も日本語で話しかけ、彼女は彼女で何十回も英語で頼み続ける・・
そのうちに、
『ああ、あんた、何処か地方から出て来たのかい? そりゃ大変だなぁ・・ それにしても、一体何処から来たんだい? 相当訛ってるな。だが、安心しなよ。俺が必ず目的地まで連れて行ってやるからな。』
と、彼女が持っていた大きなスーツケースを担いで、通り過ぎる通行人を引き留めて地図を見せながら歩き通して、ついに5時間後に目的の娘さんが住む家を探し当てた。
母と娘、感動の対面の後、
『アリガトウ。オカゲデタスカッタ ト ママ ガ イッテマス。』
と、娘が言う。権蔵は、
『あんたのお母さんは言葉が凄く訛ってて、ちょいと苦労したけど、その分り難い言葉の他は、良い人じゃないか。』
と、訳の分からない返事を返し、そのまま帰ってしまったそうな。
以来、権蔵は、家庭菜園の野菜などを届ける様になり、最初は、警戒していた母と娘も、ちょっと変わっているけど悪い人ではなさそうだと食事に招待などし始めた。
権蔵が彼女達の家を訪ねた時、母と娘は英語で会話する。最初は、
『その訛り、何とかならないのかい?』
などと言っていたが、それを聞いた娘さんは、権蔵特有の冗談だと思い、英語での母との会話を続けた。二人が楽しそうに話しているのをおしゃべりの権蔵は面白くない。訛りの強い会話の所為で、彼が話の中に入って行けないからだ。彼は、考えた。
(この訛りの強い言葉を俺が話せる様になれば良いだけのことだ。)
と。