Disillusion
計画を実行に移す。『セカイ』は私の手であるべき姿に。私の生は、身体は、この世界のために心身を捧ぐためにあったのだ。
「やぁ、向日葵。二ヶ月ぶりかな。」
なるべくライトに振舞った。勿論、ソレは未来(さき)の見えた結末のワンクッションに過ぎないけれど。
向日葵は答えない。
「帰ろう?仕事ほったらかしてるから玲子さんがお冠なんだ」
向日葵の手はゆっくりとポケットに移る。それは僕の考えうる、且、頭に浮かんでいた事実上の、最悪の結末。
向日葵の手がポケットから出たとき、見えたのは柄だった。その先には、磨き上げられた刀身。向日葵はそれをゆっくりと僕に向けた。
「遊ぼうぜ、葛。命を賭けてさ」
向日葵が僕に差し出したものは手ではなく殺意だった。僕はポケットに手を伸ばす。しっかりとは握れないそれは、ナイフ。向日葵が通常二刀流で使うナイフ。一つ事務所に置いたままだった。返すために持ってきたのに。なんて、事。
「…いいよ。その代わり、僕がかったら一緒に帰ろう?」
向日葵は答えずに歪んだ顔で笑った。とても微笑むとはいえない狂気に満ちた顔で。
勝算は無かった。実力的にも、今は精神的にも戦えない。ソレでも僕は、最善の手を打つために、持たせることにした。
一撃目。右から。本能的にかわして距離をとる。だが、向日葵は目前にせまっていた。
「甘いな、葛」
詰も、心も。そういいたげに向日葵は嗤った。
一撃は致命にはならなかった。僕の腕を貫いただけで。
「簡単に殺しはしないさ。お前は弱っちいからな」
どこか愉しそうで、どこか哀しげなその顔でまた微笑む。そんな顔は、
「…見たくない!」
一振り。向日葵の腕を切る。きる寸前で少しよけた。僕の手がそうさせた。向日葵の腕は少し切れた。
「…おい、なんだそれは。本気で殺そうとしないと悦(たの)しくないだろ」
まるで自分の存在意義を否定されたように屈辱の色が見える。
「…ああ、殺してやるよ。君のその捻じ曲がった心をな。」
僕にしては珍しく物騒な言葉だ。自分でもそうわかるくらいに僕は怒っていた。自分でやろうとしたことを終わらせる気はない。守ろうとした手で握りつぶす気もない。
「はぁ!」
一歩で間合いが無くなる。僕はナイフを振り上げた。向日葵がソレを弾く。そしてすぐさま刺…さずに膝蹴りが来た。ちょうど胃を直撃する形で。胃の内容物をすべて吐き出す勢いで何かを吐き出す。ねとねとして、君が悪くて、赤い。
血だ。
「!…うっく…!」
叫び声はあげない。向日葵をこれ以上愉しませるわけにはいかない。
バキッ
遅れて鳴る鈍い音。間違いなく肋骨が折れた。
「うあ…ぁっ…!」
まずっ…た、何本いった…。叫び声をあげかけ、堪える。そして慣れない戦闘で軋む身体を鞭のように撓(しな)らせて向日葵にぶつける。お世辞にも華麗に、とはいかないが不意打ちは成功した。
「くっ、」
向日葵は崩しかけた体勢をすぐさま整える。僕はそのまま倒れた。向日葵の陰が走る。こんなところで死ぬわけにはいかない。まだ、まだ、沢山やらないといけないことがある。資料の整理、玲子さんの煙草の御遣い。向日葵に珈琲を入れる。そんな何気ない日々を、こんな処(ところ)で、
「こんな、事で」
向日葵の手が振りあがる。僕は必死に転げまわる。無様に、不恰好に立ち上がろうとして、何度も転んだ。体勢を立て直した。だが、状況は絶望的。目の前に向日葵がいた。向日葵の手が伸びる。その手は、僕の首を掴んだ。骨ごと圧し折らんばかりの力で。
「がっ」
そんな短い音と喉元を逆流する唾液しか漏れない。
「どうした葛。オレの心を殺すんじゃなかったのか。」
「ぼ、く…あ、、がっ、。。」
声にならない。頭が白くなっていく。
「もういい、つまらない」
グッ
そんな絶望的な決定打が僕の首にかかった。意識はそこで切れた。
最後の段階も過ぎた。さてもう実行に取り掛かろうか。
「あっははははははは。馬鹿なヤツ。勝てないことを承知で手加減するなんてね。」
十分に膨らんだ闇。うむ、良好。
私はソレの前に立つ。
「さぁ、もう十分だ。心行くまま、壊れろ。」
ずぷり
ソレの身体の奥の奥まで浸透していく。そして、核にたどり着く。
「これか」
ソレを引きずり出す。それは同じ形をした闇。それを並べる。まるで乱れ無き頃の分かたれた世界。そのイメージを重ねる。
「具現・破壊」
世界の境界線を顕現させる。そしてソレを壊す。
「向日葵、君ごと壊れるが、まあいいだろう?」
剥がれ落ちる。そして、混ざりだす。世界は狂う。そこから濃い闇が広がってゆく。
「さらばだ、もう会うこともないだろう」
イメージは死。実質は恐怖。光(わたし)と闇(わたし)が混ざっていく。
あれ?私が求めていたのはこんなものだったのかな。こんなにくらくてさむくてこわいものだったのかな。
…違う。私が求めてたのはこの歪んだ世界の矯正。次に求めていたのは…
『僕?僕は葛。葛 恵雅。』
男はそう名乗った。
『せっかく待ってたんだからもっと嬉しそうにしてよね。』
男はそう拗ねた。
『恵雅、ってよんでくれるんじゃなかったの?』
男はそう尋ねた。
ここにはいつも私がいる。面倒なことに。そこにはいつも私がいた。誰も近寄らない。私は、私じゃなかった。それは前者ではなく、後者だった。そう、今の私は、私じゃない。あいつといた時間だけ(、、)、私は私でいられた。恵雅は、私を壊している風でいてその実、私を元に戻そうとしていた。ああ、また私は罪に罪を重ねて。私は一人だ。せっかく戻れる結末(みち)を見つけたのに、また自分で孤独な末路(みち)を選ぶ。いつだってそうだ。何も変わらない。
お前は光? 闇?
私(ヤツ)は私に問う
どちらも同じことだ。
私は私(ヤツ)に答える
もっと楽になれ。何でも諦めてしまえば、傷はつかない。
私(ヤツ)は私を誘(いざな)う
見慣れた自分以外の誰でもない、病的なまでに白い腕が伸びてくる。
ドクドクと血液が巡る。手は私の数センチ前で差し出される。
そうだ、もう諦めよう。邪魔なものは無視してしまえ。
そうだ、そうだそうだ。消えてしまえ消えてしまえ消えてしまえ消えてしまえ消えてしまえ消えてしまえ消えてしまえ消えて
しまえ消えてしまえ消えてしまえ消えてしまえ消えてしまえ消えてしまえ消えてしまえ消えてしまえ消えてしまえ消えてしまえ消えてしまえ
消えてしまえ!!
「ジョーダン」
目を醒ませ。私はこんな処(ばしょ)にいるのは御免だ。燈条向日葵(この身体)は私だけの所有物(モノ)だ。他人に壊される筋合いはない。
さぁ、起きて行こう。また、そして今度はもっと深い闇へ。その至る道で、普通でありたいという願いを捨てる自分への約束。
意識が薄くなる感覚のまま、僕の時は止まった。僕は自分が死んだと仮定して行動してみることにした。そこにある物は、何もない。死後、こんな風に考察が出来るかは定かではないが、ある意味、これは地獄なのかもしれない。地獄とは自分の罪悪感から創られる一種の想像なのか。そこで悔いがなくなるまで、自分の生前の罪を購う。自分の苦しみを対価にして。
作品名:Disillusion 作家名:紅蓮