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Disillusion

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水滴が霧状になり、地面へと落ちて、跳ねて、排水溝へと飲まれていく。建物にぶつかった雫は少しの猶予を有して、屋根から滴り、同じ末路(みち)を辿る。人は虚無(イナイ)。
サァァァァ
止んだ突風がまた吹き、木を揺らし、軋ませ、数本の枝を攫(さら)って行く。折れなかった枝も不可解な方向に歪み、次の大きな風を受けて、同じ末路(みち)を辿る。空気は静止(ナイ)。
「何処にいるんだ」


私はこんなにもお前らを求めているというのに。渇望する物も、結局はこの手で壊してしまうのだろうけれど。辺りは電灯も切れ、光はない。あるのは濃い闇と喪失感だけ。ただそれだけが、何をするでもなく漂っている。浮いているわけでも、飛んでいるわけでもなく。ただ、空気に同化して暁による緩やかな破滅を待つ。
 そんな空気が一瞬揺らぐ。そしてまた無に戻る。
「見つけた」
背中が疼く。ゾクリ、ゾクリと何度も鳥肌とは違う何かが走る。とても快(うれ)しい。
「遊んでやるよ」
また同じ影が身体を覆っていく。


「玲子さん、あれから…」
「ああ、ここ周辺だ。向日葵は徘徊する綾川特製ダミーの壊狂者(ブラックアウトサイダー)を狙ってるんだな。」
玲子さんはいつもの如く、二日酔いで痛む頭を揺らさないように保って眉間に皺を寄せている。さすがに煙草は吸ってない。
「ダミー…?初耳ですけど」
「ああ。お前のことだ。教えれば向日葵を追うだろう?」
玲子さんの言葉は遠まわしに向日葵の危険を示唆した。
「この前調べて解った。壊狂者(ブラックアウトサイダー)に触れるだけで十分壊れるんだ。触れた奴自身がな。このままでは、向日葵は大事な物を失うかも知れんぞ。」
「…あなたの判断ですね。」
玲子さんの調べたことは僕にとってはあってもなくても一緒だ。だってそれは僕が一番わかっている。でなければ僕はここにはいない。きっとあのナイフで死んでいた。
向日葵は孤高の少女。その強さ故に、自分についてきて朽ちる者に目を奪われることはない。その僕の単純な、それでいて寂しい評価はことごとく打ち破られた。
「たわけ。全く、無茶するものを見て苦しむ者の配慮にも気づかないとは。御人好し故の愚考だな。」
あからさまな侮蔑だった。そんな。向日葵が僕の無茶を案じて黙って姿を晦ましたと…? あの馬鹿。僕はすごく脆くて、それでもとても堅固な彼女が好きだったのに。その彼女の壊したのは僕だったのか。
「…たわけは向日葵だ…。僕はあの向日葵が好きだったのに」
そう一言玲子さんに残して飛び出した。
「あの向日葵、か。向日葵にあれもこれもないのにな。いい加減気づけ葛。向日葵(ヤツ)は壊れたんじゃない。戻ったんだ。」
そんな声も夢中の僕には雑音にしか聞こえなかった。


私はあの日、壊れた。
一人の少年にデアイ、壊サレタ。


人の中に必ずある衝動。
私ノ目覚めたショウドウハ、なんとも物騒ナモノだった。
破壊衝動。私は元々、幸福なんて求めてはいけなかった。よく見れば気づけるのに。回りはすべて嘘と虚構で構成された紛い物だったのに。

『おとうさん ぼくは「にんげん」なの?』
私は問うた。
『当たり前じゃないか。パパとママの子供。人間だよ』
父は答えた。
『じゃあ、どうしてぱぱみたいにわらえないの?』
私は問うた。
『うーん、難しい質問だな。まだ向日葵が子供だからだよ』
父はさり気無く誤魔化した。
『じゃあどうしてままはぱぱじゃないおとこのひとといるの?』
私は問うた。
『…はは』
父は答えずに寂しそうに笑った。

父が母を殺したのはその翌日だった。
『いい加減あの男とは手を切れ!』
『言いがかりよ!私浮気なんかしてないわ!』
『もう探偵社に調査してもらった。証拠の写真も押さえてる。手を切らないなら訴訟も起こせるぞ。』
『それ、脅迫でしょう!今は寝てるからいいけど、あの子が聞いたらどうするのよ!』
『話を逸らすな!』
父の一際大きい怒声が聞こえた後、乾いた皮膚を叩きつける音が聞こえる。
『痛っ…!何すんのよ!』
その後、数十分に渡る醜い争いが家、ともすればマンション中に響いた。
カチカチカチカチカチカチ
体が震える。歯が鳴る。
音はない。ただ、一瞬の間が空く。
『ああああああああああああああああああああああああああああああああ!!』
悲鳴というには程遠い叫び声があがる。その叫び声が切れた後も音は漏れ続けた。ただ、声ではない何かとしか喩えようのない程、無様な呻き声。
 私は静かに目をを開けた。リビングに通じる襖が、なぜか真っ赤に染まっている。幼い私はそれが何かわからなかった。ただ、と


ても綺麗で、汚れた色をしていたのを覚えている。その襖を開けると、父が立っていた。その手に握られていたのは、勿論包丁。父はいつもの笑顔ではなく、歪んだ苦悶に満ちた顔をしていた。
「ごめんな。おとうさん、もう我慢なら無かったんだ。なぁ、向日葵?一緒に逝こう?」
父は私に殺す、と予告した。
「いや。いつものおとうさん、すき。でも、いまのおとうさん、きらい。」
私は言った。いつもの膨れっ面、幼い口調で。
「父さんはいつも笑っていた。隠したつもりだったんだ。でもオレには見えたよ。殺したいって感情が溢れ出してる。」
私は言った。凍て付くほどに覚めた、玲瓏な笑みを浮かべて。
「一緒に逝こう?向日葵。」
聞こえていないのか、半径をじりじりとつめる。包丁をより強く握り締めて。
「くどい」
私はそんな懇願に近い言葉を一言の元、断ち切る。
ガチャリ
ドアが開き、住民が押し入ってくる。
「あ、相原さん…!」
住民が驚きの声をあげる。私は相変わらず冷めた顔だ。
「向日葵…」
最後の最後まで気持ちが悪い。だが、それは私の生み出した結末(さいご)。母が知り合った男は、保育園の実習生。つまるところ、私さえいなければ一つの命が消えずにすんだ。一つの愛が失われずにすんだ。人間はつくづく業に満ちている。私は自嘲気味に嗤った。これが私のする最初で最後の後悔。最初の後悔が人と愛を殺したことだなんて。ああ、なんて運の悪い。いや、運命か。その運命すら捻じ曲げられなかった。それも後悔なのかな。
音も無くナイフが突き刺さる。父は自分の後ろにナイフを回し、脊髄を断ち切った。
周りにあるものは、醜いものを見るような嫌悪の目。
もうどうだっていい。私は、私のために生きると、そう決めていた。

目が覚めた。嫌な夢を見た。そうやって意識すると、私がこうやって夜で歩くのは獲物を探してるからではないのか。私という破壊衝動が、向日葵(わたし)を突き動かしている。だとしてもそれは間違いじゃない。破壊衝動だって立派な私の一部なのだから。
 私は今日も夜を歩く。殺す事よりも壊す事を快楽する私は、とっくに壊(い)かれていた。そんな馬鹿らしいほど簡単なことを、今頃になって気付きなおした。

「待っていろ」
今迎えに行くから。














/3




時は満ちた。私の作戦というソフトを動かす機械、向日葵の状態が整った。自らの闇と光が対等に膨らんだソレを使って、私は歪んだ世界を調律する。
作品名:Disillusion 作家名:紅蓮