Disillusion
「自身の望みの為なら、犠牲の数は問わない。直向きと言えば聞こえはいいが、それでもやってることは外道だぞ。」
私は理解できない、とばかりに頭を垂れる
「どんな理由でも人を殺してはいけない。それだけはやっちゃいけない事だ。」
恵雅は真顔でそんな一般論を述べる。
「正論ではあるが、異端側(アウトサイド)に普遍側(インサイド)の理は通じない。昇のやろうとしているのは殺戮じゃなくてあくまで確立だからな。」
確立。『セカイ』の理を替えて新しく世界を確立する。結局この『セカイ』の理は矛盾対等論で説明がつく。全称肯定命題である現界(リアル)(値は光)を真とするなら特称否定命題である幻界(ファントム)(値は闇)は偽になる。二つの世界は互い共に真であることも偽であることもできない。昇はその原型的な理を崩し、分かたれた世界を一つにしようとしている。以前、まだ摩擦が生じていない時は、二つに分かたれた世界の一つは現界(リアル)、真として光を現し、もうひとつは幻界(ファントム)、偽として闇を表し、その存在意義の通りの役割を担っていた。だが今はその境界が崩れ、混ざり始めている。だから昇は思い至った。いっそ混ざりきってしまえばいい、と。
「それでもその過程で人を殺している。やっぱりそれはいけないことだ」
とんだ御人好しだ。今の世界じゃもうそんなものは形式(カタチ)だけに成り下がっているというに。
「履き違えるな。昇は確かに人間は殺してはいるが人は殺していない。よく見ろ。被害者はうちの学校の荒れてる奴らだろ。こいつらは人じゃない。人間という種類ではあるがな。」
「じゃあ人間なら殺していいって言うのか?生きてる以上死に面したときに『生きたい』と思うはずだ。強く生きたいと思う人間にこそ生きるに足る権利と品格を持てるはず「話題を逸らすな。だいたい危機を前に生きたいと願ったところで、大半は同じ事を繰り返す。そんな奴が権利だとか品格だとかを持ちえると思っているのか、この馬鹿」
恵雅は言葉を失い黙る。だが、コイツの言うことにも一理ある。コイツの人としての道徳は鋭くなくも少なくもないダメージを私の認識に与えてくる。きっとどちらも正しいからこうして揺らぐのだろう。
「今日は帰る。」
私は言葉と同時に立ち上がった。恵雅も合わせて立つ。
「また明日、事務所で。」
そして私は恵雅の家から出た。もう雨雲がそこまで来ている。
ガチャリ
黒の静寂が漂うその夜。私は全身に一粒一粒刺さるような雨が吹き荒む中、また散歩に出かけた。今にも消えそうな電灯。気が滅入ってくる色合いは、普通の人間なら狂(おか)しくなってしまうに違いない。黒いその世界が連想させるのはやはり、終りや死だけだ。
そんな中、何故だか私は恵雅の事を思い出していた。恵雅の考え方が少しずつ沁みてきて、私の今までの単色の強さを濁らせ
る。単色は他と交じり合わないからこそ単色なのに、アイツはパレットの隔てを超えて混ざってくる。
そこまで考えて、ふと気がついた。
「ああ、なんだ。私は抵抗すらしてないじゃない。」
ふと足元に目をやると、水面に写る私の口元は喩えようもなく歪んでいた。
「さて、殺るか(、、、)」
背後に巨大な影が伸びる。
ガチャ
「…。今日は早いんだね。向日葵」
事務所の扉を開けて入ってきた男が、私へと声をかける。
「折れた」
曲がった腕を男に突きつける。
「まったく。もっと身体を大切にしなよ」
そういいながら男は私の腕に目を向ける。碧い光が私の腕を満たす。
「少しは良くなったみたいだね。」
男は私にそういう。
「なんだ、気づいてたのか。」
男は焦らすように少し間を空けて口を開いた。
「さぁて、ね。」
/2
その日は珍しく静かな夜だった。普段は面倒がってここで寝る向日葵を恵雅が引っ張って行ってくれた。おかげでやっといろいろ纏められる。
綾川の策には大体見当がついていたんだ。奴は一番相違摩擦の生じやすい日本を核にして境界を引き寄せ、そのまま断ち切るつもりだろう。引き寄せるだけでも歪み、不安定になる。だがまだ綾川の策は不完全だ。境界は『セカイ』を二分したモノ、正確な位置や割る方法はまだ分かるわけが無い。かといって安心も出来んのだがな。大規模な属性反転はもういつ起こってもおかしくない。綾川はどのような方法で境界を消失させるつもりなのか。もともとそんなものは目に見えない。問題は山済みだ。
「ふう…。そうか、今日は満月か。」
ふと見上げると、神々しいまでに光る月があった。だが、綺麗には見えない。一点の淀みも無いのに。少し顔をしかめ、また仕事へと戻った。
「…はい? すみません、もう一度いっていただけると嬉しいんですが。」
「だから、酒飲む金を貸して頂戴っていったんだ。聞こえなかった? 」
まるで空飛ぶ鯨でも見たように恵雅は呆けていた。
「昨日も同じ台詞を呟いてませんでしたっけ。」
「呟きは他人に聞こえんものだ。言うの間違いだろう。」
「どうでもいいですよ!絶対もう貸しません。っていうか昨日貸した二万返してくださいよ。明日返すって昨日言ってたじゃないですか。」
「金返せなんて貧乏人に言っていいと思ってるのか。」
「借りたの分かってるじゃないですか! 誤魔化すつもりですか。」
「君を雇ってるのは誰だ。」
「頼んだ覚えは御座いません! 」
やけにわざとらしいため息が二人の約一メートル後ろのソファーに横たわる女性から流れてくる。
「お前ら少し黙れ。五月蠅い。」
恵雅は向き直り、腰に手を当てて不機嫌に言い放った。
「と、に、か、く! 貴方にはもうお金は貸しません。神にでも悪魔にでも誓います。ええ、誓いますとも。」
怒ってバタンと扉を閉める。
「二万や四万くらい貸してくれてもいいじゃないか。不愉快だ。」
その当人の方が不愉快なのは確実だ。
「神にでも、悪魔にでもね。神など存在しないんだがな。」
なんて事を呟いて、玲子はまた煙草に火を灯した。
「それで? さっきいいかけただろ。」
「ああ、ここのところ近くに出るんでな。警戒を促…。」
その姿は既に前に無い。扉をくぐり、階段を下る足音が聞こえる。
「全く、性急な奴だ。」
「ところで玲子さん。向日葵はどこですか?」
「さぁ」
玲子は聞かれてすぐに返答した。
「三國さんは?」
三國は少しあごに手を当て、
「いや」
若干かかって答えた。そして優に聞こうとするその前に答えられた。
「僕も知らないよ。」
「ほんと、どこいったんだろ。近頃には仕事にも来ないし」
恵雅は、考えないように、いや考えてないふりをしていた。だけれど、やはり自分には嘘をつけない。その頭に映る映像は、向日葵がいつものように事務所のドアを開けて、ちょっと不機嫌そうにソファーに座る何気ない日々じゃなく、何処かも判らない寒々しい場所で、独り血に染まって壊れていく姿だった。それは世で言う悪い予感という奴だ。恵雅はそんな嫌な想像を頭からなぎ払う。あの何時か見た笑顔がもう見れない様な予感も、この輝いている日々に亀裂が入り燃え逝く様も。
サァァァァ
作品名:Disillusion 作家名:紅蓮