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田中よしみ
田中よしみ
novelistID. 69379
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ウラバンナ(青春紀ー2)

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「矢納ちゃんは、横浜の女性を忘れるために本社に転勤してきたと言ったことがあったけど……秋津さんはその相手を知らない?」
女将はその相手が目の前にいる秋津柊ではないかと訝っていた。
「異性に淡白な矢納君に、そういう女性がいたのかしら……」
柊は茶化すように言ったが、私の関心が柊にあることは彼女自身がよく知っているはずであった。
「それも高校生の頃からの片想いだそうよ……。その初恋の人が矢納ちゃんの深層に今も住み続けているのではないかしら……」
柊は高校を卒業して上京する時に、孝夫と一年後の再会を約束した手紙を近所の池澤捷一に託していた。


凍裂
 柊は横浜で再会した時に、その手紙が孝夫に渡っていないことを知って衝撃を受けたことがあった。やはり彼が約束を破ったのは彼女の出自のことではなかった。
「矢納ちゃんは夏に出張する時はいつも鉢植えをここに持ってくるのよ……。水やりとか細かいことを指示するの、それもたかが朝顔よ。独身寮に置いていても枯れはしないと思うけど、なにやら大切らしいのよ……」
柊は孝夫が未だに朝顔を育てていることを聞いて、彼の気持ちが今も変わっていないことを知らされた。
「その朝顔って、紫色の花が咲きませんでした?」
女将は柊の驚いた様子を見て、二人の間には深い事情があることを感じ取っていた。
「矢納ちゃんって、いい男だと思わない? 勤務先も一流で仕事もできるみたいだし、私だったら何があっても矢納ちゃんを離さないけどなぁ……」
女将はエリート街道を行く中山や寺本と違って、高卒で頑張っている矢納孝夫に弟を重ねて何かと応援していた。弟は中学を卒業すると名古屋で就職したが、結局日本社会に行き詰まっていた。結局はヤクザの世界に身を落として抗争で亡くなっていた。
「矢納ちゃんが見合い話に見向きもしなかったのは、その朝顔と関係があるように思うの。その紫の彼女一途に五年……、五年よ……。遊び盛りの年代だけど、その想い人をずっと大事にしてきたの……」
女将は朝顔が秋津柊の化身であることに気付いていた。
厳寒の森で凍結した樹木が音を立てて裂けた時のように、柊の心に凍裂現象が起きていた。
「あなたも二十七歳になったのだから、そろそろ結婚すれば……」
柊がやっと呟いた言葉の間には、せめて彼だけは幸せな結婚生活を送って欲しいという願いが秘められていた。
吉川とは同棲したものの籍にも入っていないことが分かったし、体だって穢れていなかったので矢納孝夫と再出発することもできた。でも、吉川との五年間を消しゴムで消したように白紙に戻して、孝夫の元に身を寄せることはできなかった。今さら吉川との偽装夫婦や離縁を報告するつもりもなかった。この後は予定通り九州に独り旅立つ気でいた。

曼殊沙華の宿命
 高三の盆に姉の計らいで矢納孝夫に再会した。彼が高校を卒業した春に東京で待っていた時には彼から約束の連絡がなかった。それから更に二年待っても音沙汰がなく、出自のことだと思って彼を待つことを諦めていた。
それから二十三歳で吉川弘文と同居した途端に横浜で巡り逢ったものの、その時には孝夫を諦めるしかなかった。その暮には東京に転勤したので、二人がゆっくり心を通わせる時間はこの十年間なかったのである。
初夏の新緑が茂る頃に、葉を枯らしていくのが曼珠沙華である。秋の彼岸には緑色の茎の先端に輪状の真っ赤な花を咲かせるが、その時には葉がない宿命を負っていた。普通の草花のように赤い花と濃緑色の葉が出揃うことが永遠にないのが曼殊沙華だった。柊はこれまでの孝夫との関係を曼殊沙華に見立てて運命だと思って諦めていた。それでも不安定な揺らぎの狭間で孝夫への背徳の愛を育んでいたが、それも今日で終わりにするつもりでいた。

「高校時代からの知り合いで、しかも横浜で失恋したのなら相手は特定されるわね……」
女将はじれったくなって、敢えて孝夫の意中の女性が柊であるかのような言い方をしていた。
「ち、違いますよ……。彼は昔から年上の女性は彼女として圏外だと言っていますので……。ね、矢納君、そうよね……」
柊は取り乱して彼に救いを求めていた。年下の男性が圏外だと言ったのは彼女の方であった。それは女将の推理が正しかったことを認めているようなものだった。
「矢納ちゃん、どんな事情があるか知らないけど、意中の人と決着をつけないと、新しい恋も始まらないわよ……。秋津さんも、自分の気持ちに素直になって大事なものを見失わない様にしないと一生後悔するわよ……」
女将は上京してから二十年間、生きるだけが精一杯で男ともドロドロした愛憎劇を繰り返していた。それだけに郷土の後輩には普通に幸せになって欲しかったのであろう……。

 女将が暖簾を取り込んでいると強風に煽られた雪が吹き込んで、温かい店内は忽ちのうちに冷えていった。
「吹雪なので電車も乱れているそうよ。こういう夜はホテルを早くリザーブしておかないと……、今なら部屋を確保できると思うけど、どうする?」
女将は銀行家の寺本光太郎の伝手を使えば、まだシティホテルが確保できると思って二人に訊いていた。
「シングルを二部屋、お願いできますか?」
私は柊の意向も聞かずにホテルの予約を依頼したが、柊はもの思いに耽っていたのか、それに異を唱えなかった。
女将が店仕舞いを終えた頃に寺本光太郎から電話が入ってきた。
「これからホテルに行ってチェックインしてくれとのことだったわ……。私も支配人に挨拶があるから、タクシーで一緒に行きましょう」
タクシーは吹雪の中を徐行運転したが、歩道には既に雪が積もっていた。


ホテル
 三人でホテルのカウンターに行くと、黒スーツの支配人が奥から出て来て女将に恭しく頭を下げた。
「寺本様からのご依頼でツィンが一部屋用意してございますが、それでよろしかったでしょうか?」
「え! シングル二部屋を頼みませんでした?」
女将は念のために、支配人に確認していた。
「そうでしたか、当方の手違いで申しわけありません。今はこの通りのお客様で、生憎満室になっております……」
支配人は申しわけなさそうに詫びたが、女将のことだから意図的にツインで予約を依頼したのかもしれなかった……。
「そうですか満室ですか、矢納ちゃん、ツインでも仕方がないわね……」
女将は支配人に承諾の意思表示をすると、私にチェックインを促した。
支配人は手続きを終えるとカウンターの奥に消えて行った。女将は二人によく話し合うように念を押すと、待たせていたタクシーでそそくさと帰って行った。
「困ったわね……、どうする?」
柊が困惑顔で言った。これから九州に向かうことは諦めていたが、孝夫と同じ部屋に泊まることに逡巡していた。
「シングル二部屋をツインと間違えたのだと思います。折角ですから、柊さんだけでも泊まって下さい……」
この雪嵐でラウンジは混雑しており、先程から柊の美貌は酔客の垂涎の的になっていた。
「柊さん、ここにいては人目につくので早く部屋に行ってください……、これは部屋のキーです……」
私には背徳の思いがあり、二人でいる姿をこういう場所で曝したくなかった。