元禄浪漫紀行(34)~(40)
ところで、俺は書き物をするので、貸本屋で借りた本も、この時代の書物の勉強に読んでいた。
初午の日という事で思い出したので、家に帰ってから俺は、井原西鶴の「日本永代蔵」を紐解いていた。
もはや新刊として井原西鶴の著書を読めるだけで有難いのだが、書いてある事がまた有難い。
内容は大体こんなものだ。
“ある年の初午に、大阪の水間寺(みずまでら)という寺へ、二十三、四の逞しい男が訪ね、「金一貫文貸してほしい」と頼んだ”
水間寺という寺では、皆、自分の立身出世と金持ちになる事を願い、お金を借りて、翌年には倍にして返すのが風習だったらしい。ちなみに一貫文とは、およそ千文である。
お断りを入れさせて頂くけど、これは「初午」に関する事で、稲荷神社ではなく、観音様を祀っているお寺の話だ。
“男の要求があまりに多額だったので寺の主は驚いたが、とりあえずは貸し付けて、「きっとこのお金は戻ってくることはないから、これからは多額に貸し付けるのはやめよう」と、寺方では話し合いがされた”
ところが、結末は全く違ったものになった。
“水間寺に現れた男の正体は、現代の日本橋にあった、江戸の小網町で船問屋をしている者だった。彼は、お得意の漁師たちに「観音様からの有難い銭だ」と言ってその金を貸し付け、もちろん貸し付けられた人はきちんと倍返しをした”
“やがて、「観音様から銭をお借りして、幸運に恵まれた」と言った噂も聴こえるようになり、貸付先はどんどん増えた”
この辺で俺は、信心深いこの頃の人々を敬う気持ちになった。
“とうとう十三年目に、水間寺にお金を返しに行く時には、金一貫文は八千百九十二貫文にまで増え、船問屋は通し馬でそれを返済しに行った。その話は広く伝わり、男の営む小網町の「網屋」は、大層繁盛して、関八州で有数の物持ちになれたそうである”
“しかしその繁盛も、そう長い事は続かず、いつか「網屋」の噂も絶えてしまった…。”
金持ちになりたいとはみんな考えるが、その身が潰えてしまえばおしまいだし、身に余るほどの物を望むばかりではいかがなものか、というメッセージが、物語の大きな盛り上がりと、呆気ない終わりで、そのまま伝わってくるような気がした。
俺がそんな事を考えていると、耳元で、低い声がした。
「とうちゃん」
俺が本から顔を上げると、秋夫が憮然と俺を睨みつけているのが見えたが、それをどうと思う暇もなく、秋夫は、俺の顔目がけて凧を押し付けた。
「な、なんだ秋夫!こら!押し付けないでくれよ!」
どうやら秋夫は、俺が本に熱中していて構ってくれなかったのが嫌だったらしく、しばらく俺の顔に、紙で出来た凧をぐいぐい押し付け続けた。
「わ、わかった、凧を上げに行こう!」
堪らなくなって俺がそう言うと、秋夫はこくっと頷き、「よし」と言った。
秋夫にもそんな可愛い時があり、その可愛さは、なんとも言えない形でずっと続いていた。いつになっても自分の子は自分の子。どこか可愛いものである。
作品名:元禄浪漫紀行(34)~(40) 作家名:桐生甘太郎