元禄浪漫紀行(34)~(40)
第四十話 初めの過ち
秋夫が八つになる頃、おかねはもう一人子を産んだ。女の子だった。
俺達はその子に、「おりん」と名前を付け、育てた。
おりんは、おかねに似て大層美人なのが、赤ん坊の頃からよく分かった。
丸い頭を薄く覆う、茶色っぽく細い髪の毛、長いまつ毛、くりくりの大きな目は少し吊り上がり気味だけど、赤ん坊だからか、まだ柔らかい印象だった。つまんだらなくなってしまいそうな小さな鼻、それから、唇も桃色で小さい。
おかねが三味を引くと、おりんは体をパタパタと動かして、喜んでいた。
秋夫ももう八つだし、おりんの世話をよく手伝ってくれたが、いつも渋々とおりんを抱き、あまりおりんを可愛がっているようには見えなかった。
おりんは赤ん坊だから仕方ないのだが、秋夫からしてみれば、両親が急に赤ん坊にばかり構うようになったのが、寂しかったのかもしれない。
だから俺は、おかねがおりんを抱いてあやしていたり、お乳をあげたりしている時に、秋夫に本を読み聞かせたり、おやつをやったりしていた。
でも、秋夫はおやつをあまり食べたがらず、本を読んでやっても、退屈そうに、疑わし気な顔をしていた。
そして、俺達がおりんに掛かり切りになって少ししてから、秋夫がとんでもない事をしでかした。
秋夫は、指南所をとっくにやめていた。
手習指南所は、就学期間などは定められておらず、本人が通いたがれば、十年だってそこに居られる。逆に言えば、十日でだってやめられる。秋夫は読み書きを学び終わるくらいの一年半で、「飽きたからもう行かない」と言い、それっきり行かなくなってしまった。
秋夫は、小遣いをもらうと家を出て行き、日の暮れ方には家に帰る。だから、外で何をしているのかは、俺達夫婦はそんなに詮索はしなかった。おりんの世話もあり、俺達は忙しかった。
でも、ある晩におかねがはばかりへ行きたくて目が覚めた時、秋夫が布団から居なくなっていた事に気づいて、俺を起こした。
「どうしたんだ、いつ居なくなった?」
「わからないのさ。あたしが起きたのはついさっきだから、はばかりへ行ってるのかと思って、待ってたんだ。でも、それからもう小半刻は経つからねえ…」
「じゃあ俺が探しに行って来よう。お前はおりんを見ててくれ」
そう言って俺が戸を開けた時、ぴゅうと北風が吹いた。
「ううっ、さみいなぁ…」
「気ぃつけなお前さん。ほら、羽織を着て」
おかねが後ろから羽織を着せてくれて、俺はそのまま、どこへ行ったかも分からない秋夫を探しに、外へ出て行った。
作品名:元禄浪漫紀行(34)~(40) 作家名:桐生甘太郎