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桐生甘太郎
桐生甘太郎
novelistID. 68250
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元禄浪漫紀行(34)~(40)

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「三行半ん~?」

「はい…」

俺たちは、ぶつかって出会ったすぐそばにあった屋台見世で天ぷらを買い、神田への道道、食べながら話をしていた。「どうせのろけみてえなもんだから、おごれ」と言われたのだ。

栄さんは、俺が「三行半のことなんですが…」と話し始めたのを終いまで聞かずに、海老天を喉に詰まらせていたので、俺は背中を叩いた。

「なんでぃ、本当にもう捨てられっちまったのかおめえさん」

「いえ、そういうわけではないんですが、大家さんが、「すぐに書かれないように気をつけなさい」と言って…私が、稼ぎがないものですから…」

その時いきなり、俺は栄さんにぐいっと肩を引かれた。驚いて振り向くと、栄さんはふてくされたような顔でこちらを睨んでいる。

「おめえよ、もすこし亭主らしくしゃべんな。それじゃあ丸っきり前とおんなじ下男じゃねえか」

「と、言われましても…もう癖で…」

俺は急にそう言われても、前に使っていた言葉は現代言葉だし、それでこの時代にしゃべるわけにはいかなかった。

でも栄さんとは本当に古い付き合いだったし、初めて会った日には俺が「何も覚えていない」と言っていたことを覚えてくれていたのか、大きくため息を吐くだけで許してくれた。

「で?大家に言われたことに怖気づいてるってなわけか」

「はい…まさかおかねさんがすぐにそんなことをするはずがないと思うんですが…」

「まあお前さんは好い奴だからな。あんまりいい男とは言えねえが」

「そうですか…」

そこからしばらく、俺たちは無言で歩いていた。栄さんは海老のしっぽを噛み砕くのに苦労しているようだった。

“ああ、もうすぐでお店が見えてしまう”

俺が失意の中でまだ迷ったまま栄さんを見ると、彼はにかっと笑った。

“何か明るいことを言って吹き飛ばしてくれるだろう。彼ならそうしてくれるはずだ”

そう信じて俺も彼に笑いかけると、突然それはにんまりと面白そうな笑い顔に変わった。そして栄さんは立ち止まる。俺も彼の言葉を待って立ち止まったけど、何か不安を感じた。栄さんの顔が、俺をからかおうとしているようにしか見えなかったからだ。

夕焼けがだんだんと暗い闇に閉じられる中、栄さんはくいっと首をひねって俺の顔を覗き込む。

「まあ、ねえ話じゃねえ。いいや、気にくわなかったらすぐに離縁できるのが江戸の女だ。次の相手ならいくらでもいるからなぁ」


“やっぱりそうなのか。そういえば江戸の男女比はおそろしく差があったはずだ…”


俺が呆然と立ち尽くしていると、栄さんは突然ふき出して、笑い出した。

「な、何を笑うんです!」

栄さんは背を逸らせて笑い続け、しばらくおなかを抱えて体をよじらせていたが、やがては俺の方を向き、「すまねえ、すまなかったよ」と言ってくれた。

「おめえはからかいがいがなくって困るぜ。お師匠がおめえを放すわけがねえやな、おめえほど甲斐甲斐しい亭主もねえからな」

「えっ…」

俺は栄さんをちょっと睨んでいたけど、彼がやっぱり俺を応援しようとしてくれたことがわかって、すぐにお礼を言おうと思った。でも、その間がなかった。

「じゃあよ。またな」

そう言って栄さんはすぐに、薄暗がりの人ごみの中にまぎれて、消えて行ってしまった。

「あっ、栄さん…」


そこで、家に帰るのがずいぶん遅くなってしまったことにも気づいたので、俺はあわてて長屋の木戸をくぐって、夕闇に背を押され、家へ入った。

「ただいま。遅くなって、悪かったね」

俺は漬物屋の包みを畳へ置き、土間に腰かけて、足を拭く。

栄さんの前では「癖でこのしゃべり方しかできない」と言っていたけど、おかねさんの前では少しずつ言葉遣いを崩し様子を見て、彼女が嫌な顔をしなかったので、俺は少しずつ敬語以外でもしゃべるようになっていた。

「ずいぶん遅かったじゃないのさ。どこで油売ってたんだい」

俺は確かにちょっと遅くなったけど、おかねさんはなかなかこちらを向かずに、ちょっと言葉を尖らせていた。

「ちょっと栄さんに会って、話をしてたんだよ」

皆さんお気づきかもしれないが、俺が言葉遣いをコピーしているのは大家さんだ。“これもいつか限界が来そうだな”とはわかっていても、べらんめえ調は俺にはできないのが悩みどころでもある。

「栄さん、ねえ。ほんとかねえ」

俺はその時、十分にわかった。おかねさんは俺の帰りが待ち切れなくて、少しすねてしまったのだ。


“なんだ…惚れられてた”


「本当だよ。おかね、こっちを向いて」

仕方なくといったようにおずおずと振り向くと、おかねさんは俺を切なそうに睨み、「なんだい」と言った。

「うん、すごく綺麗だ」

おかねさんはあっという間に真っ赤になってしまい、「ごまかしたりなんかして」とか、「油断のならない人だね」なんて言っていたけど、その間で俺は茶碗にごはんをよそって、お漬物と、買ってきたお豆腐を皿に盛り付けた。