元禄浪漫紀行(34)~(40)
第三十五話 夫婦の理
俺たちは、夫婦だ。この時代では、「めおと」と言う。そして、男女の付き合いにつきものの現象が、夫婦生活にはある。
夜、ごはんを食べたあとで布団を敷き、二人でそこに横になって灯りを消し…。
これはちょっと子供にはあまり聞かせられない話なので、詳細は省く。立ってお聞きになりたいという方がいらっしゃれば、後から楽屋の方へ…いやいや、三笑亭可楽の真似をしている場合ではない。
大変だ。大変なことになった。俺は、彼女の婚礼の儀を上げてからちょうど丸五カ月経った頃、大変なことを告げられたのだ。
最近、彼女の様子がちょっと変だな、とは思っていた。
時々、一人で首を傾げては少しおなかをさすったり、時には「いらない」と言ってごはんを食べなかったり。
「大丈夫なのかい。食べないと、おなかがすいちまう」
俺がそう声を掛けると、彼女は首を振って「なんともないよ」と言ったけど、その表情は不安げで、俺は彼女をよく見ていて、何かの病だとしたらすぐに医者に見せないと、と考えていた。
そして、その日がやってきた。
その晩、俺たちはいつもの通りに冷や飯を食べて布団に包まり、新しく損料屋で借り直した大きな布団の中で、手を握り合っていた。
おかねは…ここで一つまたことわっておこう。
俺は最近、彼女に対してあんまり照れなくなった。
結婚する前までは、「おかねさん」と口にするだけでも顔が熱くなったものだけど、婚礼の次の晩に、また詳細は省くが、彼女が意地を張る分、照れ屋だと知って少し安心したのだ。
“どうしたんだい、早くおいでな”
そう言いながらも、決して顔を上げずに俺の腕を引く、真っ赤な頬を、ちょっと思い出した。
俺ばかり彼女を想っているわけではない。それに彼女は、年下娘を引き倒してしまうくらいのやきもちやきだし。このへんは、今のところ気を付けているし、大家さんのお説教も効いたのか、何も起きていない。
だから俺はいつでも彼女のことを「おかね」と呼んで愛しみ、彼女は今まで通りに、「あんた」とか、「お前さん」と呼んでくれた。「秋兵衛」と呼ぶときは、大抵おかねは、怒っている。
「おかね」
俺は彼女の手を布団の中で握って、体を引き寄せようとした。すると、今晩に限っておかねはそっぽを向きながら、俺の胸を押し返したのだ。
「どうしたんだい。体の具合でもよくないのかい」
俺がそう心配すると、彼女はちょっと言い淀んで、きっと睨むほど俺を見つめる。そしてそのあとで、ほろりと涙を流した。
「なんだい、どうしたんだい」
本当に心配になったけど、どうやら彼女は悲しくて泣いているのではないらしく、小さな手で涙を拭いながら、微笑んでいた。
「お前さん…しばらくね…お客が来ないんだよ。もう一月になる…」
「えっ…!」
“お客”。それは女性の月に一度の生理現象を言う。この時代はそう呼ぶものなのだ。
それが、来ない。
俺はもちろん成人男性だから、そのことがどういう意味を持つのかは、もうわかっていた。
「ってことは…おかね、もしかして…!」
「そうさ!授かりものだよ!うちに、赤ん坊が生まれるんだ!」
その時の俺の喜びようたるや、大したものだった。
俺は布団から飛び上がって戸を開け、外に駆け出し木戸にぶつかって、あっという間に表通りへと走り出た。
嬉しくて嬉しくて、「やったー!」と何度も叫び、それから呆れながらあとをついてきていたおかねに抱き着いて、「ありがとう!ありがとう!」と彼女を抱きしめた。
「ちょっと、苦しいじゃないかさ。それに、ご近所が起きちまうよ。まったく、まだ産まれてもいないのに…」
「そうだね、でも…本当にうれしいなあ。明日は何かご馳走を買ってくるよ。俺は大家さんのおかみさんにでも、話を聞きに行こう。お産は大変と聞くし」
「はいはい、わかったから。もう寝るよ」
「うん」
俺はその晩、やっぱり眠れなかったので、ずっと赤ん坊の名前を考えていた。
作品名:元禄浪漫紀行(34)~(40) 作家名:桐生甘太郎