Shellshock
予定外のことが起きたら。そのときの振る舞いを教えてくれた男は、さっき後部座席で三十センチの距離から45口径の拳銃で狙っていた。裏を取ったら死ぬかもと忠告してくれた女には、いびつな水筒のようなサプレッサーが取り付けられたライフルで顔を狙われた。ウィンダムを国道に合流させると、稲場は震える手で墨岡の携帯電話を鳴らした。岩村の組織に、揺さぶりをかけている人間がいるのだ。おそらく身内の犯人捜しが始まっていて、稲場の頭の中で鳴り続ける『直感』という名の危険信号は、龍野をはっきり名指している。三年前に墨岡が冗談めかして言っていた『海外に拠点を移す』という言葉。それが具体的に何を指すのか分からないが、村岡と佐藤の行動から見ると、あまりいい動きではないのは確かだ。柏原も含めた三人がどんな手段を使うかは、分かりきっている。そもそもあの三人が、話し合いが通じなかったときの最終手段なのだ。
取り返しがつかなくなる前に、何としてでも墨岡と青山を逃がさなければならない。
「逆に、増えてんだ」
龍野が言い、臙脂色のテーブルを囲む墨岡と青山は、薄暗い店内でカクテルグラスに視線を向けながら話すその姿を見ていたが、ふと顔を見合わせた。ここ最近、龍野の言葉には主語がない。自分でもそのことに気づいたように、龍野は顔を上げると口角を上げて笑った。
「でかい声では言えない件だよ」
青山は肩をすくめた。龍野の関心事。それは中東で製造され続けるヘロインだ。戦争が始まって以来、目立たない程度に一枚噛んで小遣い稼ぎをしているらしい。そうなれば船の警護が課題になるはずだが、龍野は組織が抱える三人の『商材』には手をつけることなく、行き来させることを考えている。誰もはっきりと言わないし、全てを知ろうとすることもない。龍野はカクテルを一口飲むと、グラスを持ったままの手で青山の方を指しながら、墨岡に言った。
「で、どこまで話してんだ?」
「自分も、今聞いたばかりですよ」
墨岡が言ったとき、ポケットの中で携帯電話が震えた。その揺れ方で稲場からの着信だということを悟り、墨岡は言い訳をするように肩をすくめたが、結局、携帯電話をポケットから取り出すことはなかった。一連の動作の中で、青山はその横顔を盗み見た。墨岡は龍野の言葉に対して、同意も否定もしない。ただ、龍野が聞きたがることを最善のタイミングで答えることで、時間を引き延ばしているように見える。その間も給料は支払われるのだから、当然の話ではある。自分から泥沼に足を突っ込みたくはないのだろう。龍野はグラスを置くと、テーブルから少しだけ身を引いて言った。
「お前ら、外交官って知ってるか?」
「外交官? そういう仕事ですよね」
墨岡が言うと、龍野は肩を揺すって笑った。独りよがりの間が流れた後、その会話は続くことなく、もう一度、墨岡のポケットの中で携帯電話が鳴った。墨岡が断りを入れて離席したとき、龍野は青山に言った。
「外交官ってのは、殺し屋のグループだよ。海外で戦闘経験を積んだプロだ。今後お世話になるかもしれないから、よく覚えとけ」
青山の反応を見ることもなく、龍野はカクテルのグラスを脇にどけて、中断された話題を再度、テーブルの上に乗せた。
「今後は、ヘロインの流通を外交官にやらせる。金輪際、国内でのいざこざはなしだ」
契約期間は来週で終わる。三年探偵ごっこをするだけで、決して倹約家ではない四人の大人が不自由なく生活できるだけの報酬を得た。松戸は、定期的に龍野へ報告してきた『納品物』をおさらいした。三年間で、ほとんどの行き先は分かった。ただ、全員が同じ場所に集まる機会だけは、結局のところなかった。
大橋と別所はお互い猫背で向かい合って、カードゲーム。八女は簡易ベッドに転がって、天井を見上げている。この三年間、ほとんどの仕事は一般人に紛れやすい日中で、夜は基本的にこうして過ごした。総括するとしたら、壮大な有給休暇。問題は、次の仕事がまだ決まっていないということ。次の仕事というのは、この三年間よりも前にやっていた仕事、という意味でもある。つまり、また戦争状態の国に足を踏み入れる必要があるということだ。物理的には可能だろう。少なくとも、体力が失われないように全員が訓練を続けてきた。ただ、その間一発も銃を撃っていない。現場に戻ったとき、そのブランクがどのような形で現れるのか、想像もつかない。松戸は二階から他の三人を見ていたが、階段を下りて裏口から出た。外の空気を吸っている内に、無意識にポケットに手を突っ込んでマルボロを探ったが箱すらなく、ランドクルーザーのドアを開けた。サイドブレーキ後方のポケットに置きっぱなしになったマルボロの箱を掴むと、残った中から一本を抜き取った。ドアを開けっぱなしにしたまま、火を点ける。一人で考え事をするには、これが一番だ。四人で長く仕事をしてきた。八女が一番長く、七年になる。解散するにも力は必要だが、その後は力を入れずに生きていく方法を探さなければならない。
今は夜だが、毎朝こうやって煙草を吸うついでに、オドメーターを点検していた。それも終わりを迎える。自分が死を免れているという前提で生きるのは、意外に気楽なのかもしれない。松戸はしばらくオドメーターを見つめていたが、煙草の煙が突然邪魔になったように全てを吐き出した。
今朝確認したときより、二十二キロ多い。今日、大橋と別所はランサーで坂野の倉庫を見張っていた。自分がこのランドクルーザーを使っていないことははっきりしている。動かしたのは、八女だ。一度使った車を、一体どこに。松戸は倉庫の中へ戻ると、八女を手招きした。大橋と別所がちらりと顔を上げたが、八女が颯爽と倉庫の中を横切る姿を目で追っただけで、またカードゲームに戻った。そこには、後から入った人間だという控えめさが、常に付きまとっている。八女が外に出るなり、松戸はドアを後ろ手に閉めて、言った。
「お前、こいつを動かしたか?」
八女はランドクルーザーの味方をするように、前に立った。猫のように尖った口元が少しだけ開き、それは笑顔に変わった。
「今朝、倉庫の前を流しました」
「お前、相手がプロなのは分かってるだろ。同じ車を二回見たら、どういう風に受け取るかも」
松戸が言うと、その口調に含まれる焦りを馬鹿にするように、八女はゆっくりと瞬きをした。
「松戸さん、もう辞めたいんでしょう」
「不用意な行動をするな。そう言ってるだけだ。来週で終わるんだぞ」
松戸はそう言いながら、言葉だけが独り歩きして、まるで自分の言葉でないように感じていた。昔の自分なら、決して言わなかったこと。
七年前、路肩に乗り捨てられた車に仕掛けられた対戦車地雷。気づいたとき、まず体が動いた。ハイラックスが横転しそうな勢いで傾きながらも、自分と車体の間だけに会話が成立したように道筋が見えていた。そして、その高揚感こそが本当の報酬であり、戦争中毒の証だった。ほとんど症状のようなその性質を自ら証明するように、八女は口を開いた。
「来週で終わるのは、分かってます。私は、自分の力を試したいんです」
作品名:Shellshock 作家名:オオサカタロウ