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オオサカタロウ
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novelistID. 20912
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Shellshock

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 この界隈だと、稲場が好きなフランス産のレバーパテは隣町の業務スーパーにしかない。自転車で三十分、車で十五分という、さっと出かけるのを億劫にさせる絶妙な距離。二十四時間営業で常に放射状の白い照明をつけており、留美は『マザーシップ』と呼ぶ。
「仕事モードね」
 留美が言い、稲場は作り笑いを浮かべながら頷いた。
「話が早いね」
 声のトーンは全く違うが、共同生活を続ける期間が長くなるにつれて、稲場の話し方には、留美の言い回しが浸透しつつある。稲場は、キッチンペーパーで壁に飛んだ油の雫をさっとふき取り、シャツの胸元をわざと開けた。留美は歯を見せて笑い、空いた手でシャツごと稲場を押しやった。
「そのアピール、もういいから」
 冗談めかしながらも、その横顔にまとわりつく寂しそうな空気。付き合い始めてから今までの六年間、日常の一部だった。稲場はうなずくと、真っ白な二枚の皿にフライパンの中身を盛りつけた。箸を二組洗い終えたとき、居間から戻ってきた留美が言った。
「手を挙げなさーい」
 指輪で彩られた右手に、ピンク色の銀玉鉄砲が握られている。稲場は箸を持ったまま手を挙げて、笑った。子供時代から引き継がれた数少ない持ち物のひとつ。墨岡と空き地で撃ち合いをしたことは、他の記憶に押しつぶされないよう大事に脇へ退けてある。
「はーい」
 稲場が緊張感のかけらもなく言うと、留美は満足したように銀玉鉄砲を下ろし、テレビで見るギャングのように、ズボンの前に挟んだ。
「これ、本物やったらお腹めっちゃ冷えそう」
「最近はポリマーの銃が多い」
 稲場が解説するように言うと、留美は口をへの字に曲げた。
「すーぐ語る」
 食卓を向かい合わせに囲み、食事が始まった。それでも頭の中の大半を占めるのは、毎日三食食べるように日常の一部となっている、契約殺人のお手伝い。いつもなら、この時間から出向くとすれば装備の清掃か、仕事で使う車の点検。しかし今日は途中で岩村を拾うことになっている。少し前、村岡に『予定外のことが来たら裏を取れ』と言われた。しかし佐藤は『裏を取った相手がグルやったら、その場で死ぬかも』と言って、からかうように笑っていた。
「稲場幸一君……」
 フルネームで呼ばれ、稲場は思わず下がっていた顔を上げた。留美は自分の額に指先で触れながら言った。
「眉間にしわが……」
「ちょっと考え事してた」
 稲場は繕うように笑ったが、眉間にしわを寄せていた間に冷めた熱量は取り戻せなかった。そんな場で頭に浮かぶのはいつも、切り札のひと言。
『辞めるよ。足を洗う』
 頭の中ではどれだけ饒舌に言えても、いざとなったらどう息を吸い込めばいいかも分からない気がする。切り札を底へ追いやるように食事が進み、終わった。
 ここからは別行動。多めに着込み、駐車場に降りてウィンダムのドアを開ける。エンジンを掛けると、留美が昨日聴いていたブランキージェットシティの『悪い人たち』が途中から再生された。これは予定内。岩村が指定した場所は、ナビには登録しない。この車を乗り捨てた場合に、拠点の位置まで知られるわけにはいかない。夜十時、道は空いていて、一部の信号は黄色点滅に変わる。制限速度を意識しつつ、防犯カメラやNシステムの設置が進んでいない広域農道を間に挟む。いつも通りの行動。稲場は無意識に額の汗をぬぐい、ヒーターを弱めた。指定された場所は、墓場と工場が隣り合わせに建つ土地の、ちょうど道路から死角になっている一角。稲場はウィンダムを停めると、エンジンをかけたままにして周囲を見回した。車は一台もいない。
 待ち合わせのはずだ。稲場の頭の中で危険信号が光ったとき、運転席側の窓がこつこつと鳴った。古い造りの巨大なサプレッサーの銃口と目が合い、稲場は観念したように窓を下げたが、それを構えているのが佐藤であることに気づき、無意識に両手を挙げた。
「あの……」
「鍵を開けて」
 佐藤に言われるままにドアロックを解除すると、後部座席に村岡が乗り込んでドアを閉め、身を低く下げながら言った。
「ちょっと、聞きたいことがある」
 ただでさえ厚着をしている中に流れる冷や汗は滝のように溢れ、シートとの隙間全てを埋め尽くすように流れていった。AKS74Uを右手に持った佐藤は暗闇に姿を消すと、真っ暗な山道を降りていった。
 村岡は後部座席に座ったまま、ようやく安全が確保されたように小さく息をついた。
「ここには、おれら二人しかいてない」
 稲場が当たり前だと心の中で呟いたのを見透かしたように、村岡は一度咳ばらいをした。稲場はそれに応じることはなかったが、無言のまま考えを改めた。誰かに尾行されていたり、監視されているリスクは常にある。
「今までは、そうじゃなかったんですか?」
 からからに乾いた喉から声を絞り出すと、バックミラー越しに目が合った村岡はうなずいて、呟くように言った。
「墨岡は、最近どうしてる?」
「先週、昼飯を一緒に食べました」
 稲場が言うと、村岡は精密機械のように整った顔を少しだけ歪めて笑った。
「待ち合わせはどこで?」
「この車で、墨岡を家まで拾いに行きました」
 村岡は満足したように歯を見せて笑うと、シートが稲場の体の一部であるように、その背をぽんと叩いた。
「質問は終わりや。こっからは、よく聞いてくれ。柏原が、二年前に見たのと同じランクルを見たらしい」
「そんなん、覚えてるもんですか?」
 稲場が思わず普通の口調で訊き返すと、村岡は呆れたように笑った。
「お前も在庫の車と装備、全部覚えてるやろ? 仕事ってのはそんなもんや」
 村岡の言葉がきっかけになって、稲場は思い出した。ついさっき佐藤が持っていたライフルは、AKS74U。サプレッサーはPBS−4がついていたが、在庫にはない銃だった。
「あのライフルは今日、おれと佐藤で引き取ってきた」
「青山を使わなかったんですか? 今日は確か……」
 稲場はそこまで言ったとき、唐突に言葉を切った。村岡はおそらく、墨岡や青山のことを信用していない。村岡は突き刺すような視線を向けたまま、少し身を乗り出した。
「今日は何?」
「いえ、多分ですけど。龍野さんと墨岡がメシ行くんで、そこに合流してると思います」
「どこの?」
 村岡はプリペイド型の携帯電話をスーツの胸ポケットから抜いた。今までに何度も見た仕草。人が死ぬときに用意される必需品。稲場は墨岡から一方的に伝わってくる情報を隠しきることはできないと悟り、言った。
「龍野さんがよく行く、山林飯店って中華料理屋です」
「お前は、なんで行かんかったん?」
 村岡は、携帯電話の画面で薄暗い緑色に照らされた目を向けた。稲場はバックミラー越しに愛想笑いを浮かべた。
「新婚なんで」
「そうやったな。ほな」
 村岡はそう言うと、後部座席から唐突に降りた。スーツのシルエットにすぐかき消されたが、右手にステンレス製のコルトディフェンダーを持っているのが分かった。稲場は今まで呼吸を忘れていたように息を全て吐き出した。答えを間違えていたら、撃たれていた可能性もある。職業病のように、二か月前に整備したばかりだという記憶が割り込んできたが、そのおかげでどうにかウィンダムのシフトレバーに触れるだけの力が手に蘇った。
作品名:Shellshock 作家名:オオサカタロウ