Shellshock
岩村との仕事。結果的に金とセットで、ありとあらゆる火種がついてきた。麻薬なら、そのノウハウは同業と共有できるし、雇われ時代にもやっていたお決まりの商売だ。中東はヘロインの製造元だし、これから戦争で混乱が起きるにつれて、その供給ルートには無数の穴や綻びが生まれる。手元で殺しが起きている状態よりは、その穴をつついているほうがはるかに気楽だ。頭の中で繰り返していると、それが唯一の正しい解決策であるように思えてきて、龍野は目を開けた。岩村が抱える三人と会ったのは数えるほど。直接国内に引き入れる手助けをした佐藤のことは良く知っているが、後の二人は顔見知り程度だ。不安要素を挙げればきりがないが、どう転ぶにせよ、これからの三年間で色々なことが変わる。龍野はサイドブレーキを下ろすと、呟いた。
「まあ、潮時だろ……」
昼の二時、掘っ立て小屋のようなラーメン屋の駐車場で、稲場は墨岡と合流した。港湾道路を延々と歩いてようやく辿り着く僻地に建っていて、トラックドライバーでもない限り辿り着けない場所。稲場が爪楊枝をくわえたまま片手を挙げると、墨岡はまだ二日酔いで頭が痛むようで、しかめ面でうなずいた。
「おはよう、酒が抜けんな。三十歳でこれはヘコむわ」
「そろそろ自制せな」
稲場はそう言いながら、メンマの切れ端を爪楊枝でどかせた。もたれかかっている車は、買い物用のライトエース。現行よりひとつ古い型で、飾り気のない白い車体にはあちこち錆びが浮いている。助手席には、緊張しきっている青山。その人形のようなたたずまいに、墨岡は笑った。
「背中に棒でも入ってんのか?」
「胃に入ってんちゃうか。あんまり食べよらん」
稲場がそう言って運転席に座り、墨岡はスライドドアを開けて後部座席に乗り込んだ。
「おはようさん」
墨岡の挨拶に跳ねるように振り返った青山は、頭を下げた。
「おはようございます」
「ほぼタメやんな? 敬語いらんで」
墨岡が言うと、青山はそれに対しても頭を下げると、稲場と墨岡の顔を代わる代わる見ながら言った。
「しばらくは、敬語続けてもいいですか?」
「好きにせえや」
稲場が言いながら笑い、クラッチを踏み込んでシフトレバーを動かした。坂野のところまで行って、商品を引き取る。ただそれだけの用事だ。しばらく走った辺りで、唸るエンジン音に顔をしかめた墨岡が言った。
「これ、なんかあっても飛ばせんやろ。チャリも振り切れんのちゃう」
稲場が笑い、青山もつられて笑った。墨岡は身を少し乗り出して、青山に言った。
「あんま緊張せんでいいから。昨日、岩村さんには会ったな? あと、例の三人と。それに比べたら、俺らなんかマシやろ?」
「はい」
青山が即答すると、稲場がからかうように笑った。
「はっきり言いよるな」
「いえ、そんな悪い意味では……」
青山が即座に訂正すると、稲場は笑った。
「いや、分かるよ。一応真面目な話をしとくと、あれは青山くんに紹介してるんじゃないねん。あの三人に、うちらの顔を覚えさせるためなんよ」
すでに同じことを経験している墨岡は笑ったが、青山は背中に棒が入っていることを思い出したように姿勢を正した。
「それは、なんかあったときにこっちが狙われるってことですか? あの三人に口封じをされるってことですよね」
墨岡が、青山の座る助手席の背をなだめるように叩きながら答えた。
「急にめっちゃ喋るやんか。まあ、最悪の最悪な。交通事故みたいなもんや。例えばやけど、今時速六十キロで走ってる。タイヤが破裂したら、路肩に乗り上げるやろ。壁に当たっただけやったら笑い話やけど、たまたま電柱が生えてるとこに行ったら、俺らは三人とも死ぬ。その違いでしかない」
青山の緊張が最大に達したとき、稲場が呟いた。
「つまり、心配してもしゃあないってことや。それより道とか覚えてくれよ。メモには残されへんから。これから行くのは、坂野さんとこ。それ以外には、吉松っていう廃車ヤードのオーナーと、車両置き場の金城駐車場とか、とにかく覚えることはようさんある」
「はい。あの、岩村さんには、長生きしたかったら質問はあまりすんなと言われました」
青山が怖い話の持ちネタを披露するように、低い声で言った。墨岡が口笛を吹き、稲場がハンドルを握り直しながら言った。
「それは多分、死ぬ覚悟ができてから、色々聞けってことや」
「さすが翻訳機」
墨岡が言った。稲場は、岩村の言葉の真意を汲み取ることができる、地球上でも数少ない人間の一人。稲場はハンドルを切って業務スーパーの角を曲がったとき、青山に言った。
「今の交差点の名前、言うてみ」
「総合運動公園前です」
青山が即答すると、稲場は前を向いたまま笑顔を見せ、運転に戻った。
十キロの道を車で往復。間に信号はなく、片道は約十五分。それを一か月繰り返すだけで、一年分の生活費を稼げる。なぜなら、走るたびにこれまでの人生全てを賭ける羽目になるから。それが戦争状態の国における、物流の実態。そういう業界に身を置いて、四年の内のほとんどを海外で過ごした。八女は、二十五歳になった自分の顔を、仮住まいとして用意された整備工場の洗面所で点検しながら、自衛隊から抜け出した二十一歳の自分との接点を見出そうとしていた。ちょうど辞める一年前から、カウンセリングや心理テストを何度も受けさせられ、その度に結果を肴にあれこれ言い合うスーツ姿の人間が、周りに増えていった。今は、その集まりが何だったのか、はっきりと理解している。何らかの『素質』を見出だされたのだ。おそらくは、普通の人間が持っているはずのものが、すっぽりと抜け落ちているというのが正しい。
松戸とは、スーツ姿の男の仲介で『民間企業』にスカウトされてからの付き合い。寝袋に包まって昼寝をするその姿は疲れていて、表情だけが険しい。しかしその能力の高さと冷静さは、リーダーにふさわしい。八女は、入社して初めての仕事を思い出していた。配送の依頼を受け、型落ちのハイラックスを走らせていたとき、無造作に放置された車に対戦車地雷が設置されていることに気づいた松戸は、トラックが迫る対向車線をさらに跨いで路肩まで蛇行させ、爆発を回避した。タトラ製の巨大な八輪トラックとの正面衝突を避けた『ジャーナリスト』の運転能力に、疑問を持った通行人がいた可能性はある。しかし、生きるか死ぬかの世界では、そういった異例の出来事はすぐに忘れ去られる。助手席にいた八女は顔色ひとつ変えず、ドアグリップを掴み損ねて右手中指の爪を割っただけだった。その全く変化しない心拍数を松戸が確かめ、八女はお返しに松戸の胸に触れた。気まぐれで正面衝突を試みただけのように、松戸の動悸もまた落ち着いていた。
二人の死に対する考え方は、完全に一致していた。どれだけ準備しようと、戦闘というものは存在しない。そこにあるのは、有利な方から不利な方への一方的な暴力で、作戦が立案された時点で、誰が生き残って誰が死ぬかは、ほぼ決定されている。一年後に、より柔軟な作戦を立てられるよう、東南アジアを主な活動域とする警備会社から大橋と別所を引き抜いた。火器を扱うことに関しては、二人は松戸と八女よりも経験が豊富だった。
作品名:Shellshock 作家名:オオサカタロウ