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オオサカタロウ
オオサカタロウ
novelistID. 20912
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Shellshock

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 少しでも不安を解消したがるような稲場の口調に、墨岡は肩をすくめた。
「それは、龍野さんが言うてたまんまや。でも、龍野さんやぞ」
 怪しい判断力。龍野の言葉は、どこまでが本気か分からない。ただ、龍野と岩村は真逆の性格をしているように思える。稲場は少し体を起こすと、言った。
「ピンクの銀玉鉄砲で、カチコミ行きそうやな」
「はは、懐かしいな」
 墨岡は同じように体を起こすと、笑った。しばらく思い出話が続いた後、稲場は言った。
「帰るわ」
「おう」
 短い相槌に返答するように、稲場が財布をポケットから抜いて万札を一枚カウンターに置くと、墨岡はまだ足りないようにボトルをちらりと見たが、腰を上げることなくうなずいて言った。
「もーちょい粘るわ。結局のところ、俺とお前が生き延びさえしたら、万々歳や。ほな、また後ほど」
 稲場はうなずくと上着をひっかけて、バーの籠った空気を割るように外へ出た。雑居ビルの階段を早足で下りて、繁華街をくぐり抜けてタクシーを止めると後部座席に滑り込み、行先を伝えた後は目を閉じた。また後ほど、確かに予定はある。買い出しだ。もちろん非合法な手合いの。青山は今ごろ顔合わせを済ませているはずだから、明日からは本格的に動くことになる。つまりいつもの墨岡とのドライブではなく、青山に色々と教えながらになる。しかも、龍野が何かを考えているということと、その余波を受け止める衝撃吸収材が本当に青山かもしれないということを知りながら。稲場は、顔を知らないタクシー運転手の後頭部を眺めながら、自分を知る人間がいない車中の安心感に、大きく息をついた。運転手が肩をすくめて、呟くように言った。
「あの、まっすぐでいいですよね」
「はい、まだまだまっすぐです」
 稲場はそう答えて初めて、自分の外見が運転手を少なからず委縮させているということに気づいた。後部座席でじっと動かない客が突然大きな息をついたのは、何かを間違えたからだと思って、緊張しているのかもしれない。稲場は愛想笑いを浮かべながら言った。
「いや、仕事のね……。運転手さんとは関係ないんですよ。色々あるんですわ」
 その言葉で、はっきりと車中の空気が和らいだ。稲場は再び目を閉じて、自分がそれまでとは『別人』になった二十一歳のときのことを思い出していた。当時一緒につるんでいた仲間の名前は、もう覚えていない。ただ、小柄だからという理由で天井伝いに倉庫に忍び込む役に選ばれ、キリル文字が書かれた木箱を掻き分けながら、目当てのものを探していた。警備員に呆気なく見つかり、警察に突き出されるとしても不法侵入で二日ほど拘留されるだけだろうと思っていたら、警備員は通報せずに別の番号へかけた。スーツを着た長身の男が神経質にネクタイの位置を調整しながら現れ、その左右には男に足りないものを補うような、大柄な男が二人いた。
『誰の仕事?』
 スーツの男が言い、返事を促すように左右の男から拳と足が飛んできたが、口を割らなかった。三十分ほど続いた辺りで、スーツの男の目つきが明らかに変わっていき、その頃には稲場の胴体にある骨はあちこちヒビが入ったり、折れたりしていた。
『口が堅いな。うちで働くか?』
 スーツの男の、感心したような言葉。答えるために息を吸い込むのも辛くて黙っていると、男は『龍野』と名乗った。仲間として迎えられて、非合法の商品を管理する役割を与えられた。持ち場はよりによって、あちこちの骨を折られた例の倉庫。一年ほど続けた後、龍野が突然『昔の知り合いから連絡が来た。新しい仕事が始まる』と言った。その昔の知り合いが実質的なリーダーで、岩村と名乗った。
 運転手が目的地の手前でゆっくりとタクシーを停めてハザードを焚き、稲場はレンガの壁とそのすぐ手前の電柱がオレンジ色に照らされては真っ暗闇に戻るのをしばらく眺めた後、体を起こした。
「どうも。いくらっすか」
 会計を済ませてタクシーから降り、街灯がほとんどない住宅街を歩く。レンガの壁はマンションの裏口で、入口につけないのは一応そういう『稼業』の人間という自負があるから。しかし、十代のころからこれだけの悪事に関わっていながら、未だに逮捕歴はない。墨岡は一度塀の中を見て来いよと笑うが、墨岡自身も経歴はまっさらだ。稲場は表口に誰もいないことを確認すると、ロビーに入ってエレベーターを呼び、六〇七号室のドアを開けた。玄関には気取ったポーズをとるようにばらばらのスニーカーが一足と、健康サンダル。稲場は玄関で靴を脱ぐと、居間にちらりと見えた人影に向けて言った。
「ごめん。遅くなったわ」
 人影が動きを止め、廊下に出した顔がちらりと見えた。一緒に暮らして、二年になる。藤谷留美のトレードマークは、何かが起きるのを待ち受けているような、好奇心の塊のような目。普段、顔の輪郭がぼやけるような伊達眼鏡をかけているのは、目が合った相手が気圧されるということを理解しているから。墨岡が短期間だけ付き合っていたバリスタの友達で、飲み会で何度か顔を合わせている内に話が合い、そのまま交際を始めた。二十六歳で、自分の立場が弱いときは三歳年下だということをしきりにアピールする。留美は後ろ歩きまで廊下まで出てくると、言った。
「おっそいなあー、アウトローとはいえ日付が変わるのはありえん」
「アウトローの基準、カタギより厳しいんかい」
 稲場が言うと、わざとらしいしかめ面を作った留美は目の前まで歩いてきて、首と肩を傾けながらずれた寝間着を修正し、言った。
「それは、時と場合による」
 稲場が憮然とした表情で立ち尽くすと、留美は真面目な顔のまま直立していたが、ひっくり返った寝間着の襟が頬に当たっているのを自分の目でちらりと見て、続けた。
「これ、直して」
 稲場が襟を元の形に折り曲げて形を整えていると、堪えきれなくなったように留美が笑い出し、稲場も口角が上がるままに笑った。襟元だけが余所行きになった留美は、言った。
「おかえり。楽しかった?」
「仕事の話が大半やから、楽しさはあまりないかもな」
 稲場はそう言うと、期待が外れたように目をぐるりと回した留美を居間まで押していき、ソファに腰を下ろした。留美は冷蔵庫から缶ビールを出して隣に座ると、あぐらをかいて肘をだらしなく突き出した。稲場はその様子を横目で見て笑いながら、言った。
「なんで家の中でイキってんねん」
「墨ちゃんと、こんな感じで飲んでたんやろ? あーおれらの町がや、どないなってや、こないなってや、みたいな」
 留美は茶化すように巻き舌を真似て言い、稲場が同じようにだらしないポーズを取るのを見て笑いながら、続けた。
「また四人で飲みたいねー。墨ちゃん、カオリとは会ってるんかな?」
「別れたらしいで」
 稲場はそう言いながら、今度は本当に足を伸ばしてだらしない姿勢を取り、気が抜けていくのを実感した。現実に足を下ろした話は落ち着く。誰と誰がくっついて別れて、子供ができたり、会社で嫌な目にあったり。留美はカオリの顔を思い浮かべるように宙を見上げると、ぽかんと口を開けたまま缶ビールのプルトップを開けた。
「マジかー、いい子やったのに。墨岡夫妻になるとばっかり」
作品名:Shellshock 作家名:オオサカタロウ