山と生き物
この蝶、渡りをすることで有名でもある。その渡りの行動は北は北海道から南は台湾あたりにまで至る。その距離200キロメートルにも及ぶ。春から夏に本州を北上し標高の高い山地で繁殖し冬は暖かい地に南下するそうだ。 以前、比良山の八雲が原でこの蝶の調査捕獲がされているという新聞記事を読んだことがある。捕獲して羽にマーキングし放つ。その後移動先の地で捕獲されたものから行動範囲を調べる。このようにして上記の渡りの範囲がわかってきたようだ。
八雲が原では僕もアサギマダラをみたことがある。北上中だったのか南下中だったのかはわからないが滋賀県の八雲が原はちょうど渡りの中間点だ。あんな小さな生き物が場合によってはその後1000キロもの距離を飛ぶのかと思うと愛おしくも感じてくる。 蝶をはじめ昆虫は紫外線が見えているらしい。鳥は紫外線も地磁気も感知できるらしい。紫外線はさておき、地磁気は方位を知る手立てとなる。アサギマダラは地磁気を感知しそれを頼りに渡りをしているのだろうか。北海道や本州の高地で生まれたものは地磁気で飛んでいくべき方向を決めているのか。しかし、蝶に地磁気を感知する器官があるとは聞いたことも読んだこともない。地磁気ではなくただ風に乗っているだけなのだろうか。もしそうなら北上するには偏西風や海流の影響を受けることができるかとは考えるが、南下は困難なはず・・・。台風の風に乗る? などと想像するにアサギマダラに限らず生き物の能力と行動の不思議が深まる。
さて、先日仕事先の自然公園でフジバカマにとまるアサギマダラを見つけた。この先の道のりはまだ遥か。存分に栄養を補給しなければならない。邪魔をしないよう離れて見ていたが、しばらくすると元気よく花から飛び立った。次の栄養補給地を目指して。
チョッキリのイリュージョン
8月の末から9月に入る頃、森の散歩道に木の葉付きのドングリが落ち始める。あるコナラの樹下の地面は、落とされた葉とドングリで敷き詰められている。それらは落葉ではなく木の病気によるものでもない、犯人はチョッキリだ。チョッキリはゾウムシの仲間。僕が散歩する森で見かけるコナラの実を落とすチョッキリは灰色チョッキリというやつらしい。夏の終わりになるとコナラの実に卵を産み付け、実が付く枝の少し上を噛み切って落とす。落とされた実、ドングリの中でチョッキリの卵は孵り幼虫となってドングリの実を食べて大きくなる。 落とされたドングリを注意深く観察すると傘の上から実に貫通するかすかな穴が認められる。卵を産み付けた跡である。彼女たちのこの子孫を残す戦略には感心せざるを得ない。木の実に卵を産み付ける虫は他にもたくさんある。山で拾う栗にも虫の幼虫がよく入っているものである。しかし、それらの実は自然に落ちてきたものであって、虫が落としたものではない。チョッキリは目的をもって意図的に落とす。それもそこにひと工夫がされていてとても小さな虫の仕業とは思えないところがある。実だけを切って落とすのではなく実の上にある2~3葉を残して一緒に落とす。実と葉の少し上を齧るのだ。何故葉を付けて一緒に落とすのかを推測するに、これには落ちた後の実を雨風から守ったり幼虫の後の食料にするという意味合いがあるのかと考えたり、さらにはドングリが落ちる時の衝撃を緩和する意図があるのかなと思ったりもする。ドングリに着いた2~3葉はパラシュートになってゆっくりと落ち、地面に落ちる衝撃を緩和する。卵に衝撃を与えない。後者の理由があるとするなら、高い知的能力に裏打ちされた行動だということができる。
チョッキリに近い仲間のオトシブミなども、職人的な技で巧妙に巻いた葉に卵を産み付けその葉を落とすが落ちる時の衝撃のことまでは考慮されているのかどうか? 葉っぱと実の違いはあるが、ドングリの重みを計算したチョッキリのこの知恵には舌をまく。
秋も半ばを過ぎた頃、同じ森の中を歩いていると、視界の右側に背後から前方に一枚の葉が一直線に飛ぶのが見えた。ほとんど風が吹いていなかったこともあり、葉は進路を変える様子もなく僕の目の前5~6メートル先の地面に落ちた。この時期早い樹種は紅葉し落ち始めている頃。しかし、それらは風がなくても揺れ舞うように落ちる。滑空はしない。しかし、その葉は見事に飛行した。ちょっとしたイリュージョンであった。 地面に落ちた葉を拾い上げてみるとコナラの葉であることがわかった。どうしてあのような飛び方ができたのか不思議で、葉をじっくりと観察してみるとあることがわかった。葉の軸に木の枝の部分が下向きに数ミリ付いており、紙飛行機のように重みのバランスがとれるようになっていたのだ。ちょっとした戦闘機のフォルムである。掴んだ葉を落として飛行能力を確かめてみると小さな戦闘機は見事に前方に滑空した。そしてもう一度。3回目も絶妙なバランスであった。 葉は枝と軸の付け根から離れたのではなく、枝の一部分から切り離されている。枝の切り口を見ると折れたものではなく明らかに切り取られているのがわかる。ちょうどチョッキリの齧ったもののように。
そこで、はて、と思った。チョッキリの産卵の時期はもう過ぎているはず。しかも葉にはドングリは付いていない。だれが何の目的で切り落としたのか、と立ち止まって考えた。しかし、そんなことはわかるはずもなし。その時、ある妄想が僕の頭の中に浮かぶのであった。ひょっとして産卵後のチョッキリの遊びであろうか?と。子孫を残す大仕事を終えた後の娯楽として落葉がすすむ前に得意の齧り技でもって葉を飛ばして遊んでいるのかも・・・ ドングリを葉を残して巧妙に齧り落とす知能を持った虫たちである。葉を落として遊ぶことだってしかねない。より遠くへ葉を飛ばす切り取り方を工夫しながら・・・
まったく幼稚でバカバカしい妄想ながら、それは愉快であった。 僕は最後にその葉を橋の上から落とし飛行させた。チョッキリがするように。 葉は円を描いて滑空し、深い谷の木々の中に消えていった。
タマムシ