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山登り・身体・感覚

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 しかし、身体的変調はそんな心理の後に起こることになる。疲れた身体ながら食欲はいつもに増してあり、夕食はどんぶり飯をお代わりするほど。食前のホットウイスキーと胃袋いっぱいの温かい夕食に身体は温まりほっこりしたかと思ったのもつかの間、寝床の蚕棚に戻って寝転んでいると急に心拍が速まり妙に息切れがするようになった。一時的なものかとしばらく様子見をしていても治ることはない。心拍を測ると90。いつもより速いが心配していたほどには速くはない。不整脈もないようだ。しかし、気分は落ち着かず、不安が高まるばかり。この3年間、山に登っていてもこんな症状が出ることはなかった。心臓の冠動脈に狭窄が起こっているのかもしれない、などと考えているうちに、もう高山はやめた方がよいかもしれないなどと考え始めた。おさまらぬ症状に翌日の山頂への行程を逡巡の後、断念することにした。翌朝は山荘からそのまま下山すると決め就寝。浅い眠りで何度も目覚めた長い夜が明けた朝は快晴。昨夜の不穏状態は治まっていたこととあまりの好天と朝陽照る錦の山肌の誘惑に、エコーラインの大地の上までと足を伸ばしたことで結局山頂まで登ってしまうことに。昨夜の不安感を押しやる青い空の下の紅葉白山の景観は期待通りであり、登って良かった、登れてよかった、と心地よく体を冷やしてくれる風の山頂で噛みしめた。ただ、下山後に不調が続き病院を受診することになるのだが。
 
 3年前の9月。それまで経験がない胸焼けに始まった胸の違和感は夕食後には強い締め付けに変わり、そして嘔気と脂汗を伴う耐え難いものにまで増強。妻に救急車を呼んでもらい病院に救急搬送後に緊急手術を受けた。急性心筋梗塞だった。2晩ICUで絶対安静状態で過ごした。医師より病状説明を受け、看護師からは心臓が豆腐のような状態になっているので寝返りでさえしてはならぬと強く言われた。夜間何度か不整脈によるモニターアラームの音で看護師が駆けつけてくれた。危ない波形が出ていました、との声かけにまさに棺桶の縁を跨いでいることを実感した。しかし、病院での適切な処置と看護により2日後には一般病棟に、そして少しづつリハビリを受けながら2週間後に退院することができた。心臓の冠動脈には3本のステントが留置されたことで心筋への酸素と栄養は確保された。そして心臓の豆腐の部分は瘢痕化が進んで危険な状態は脱した。
 4ヶ月後、緊急手術時に様子見とされていた狭窄部にもう一本ステントが入れられた。術後、最初の入院時に僕が山登りを趣味としていたことを話していた主治医は、「もう山、大丈夫ですよ」と言ってくれた。この時、実はすでに自宅近隣の山野をリハビリを兼ねて歩いていた僕は医師のお墨付きをもらうことができ、本格的な山登りは諦めねばならぬと考えていた山への欲が膨らんだのだった。山のリハビリにと近くの三上山(432メートル)などにに登っているうちに、前から登ってみたかった雪の八ヶ岳赤岳を登る算段を立てるのであった。命拾いはしたもののそう長くは続けられないであろう山登りのことを考えると、今のうちに登り残していた山を登っておこうという魂胆だ。
 3月末を狙ったものの腹具合の不調続きで4月中旬に延期。それでもたっぷりと残った残雪の赤岳を天候にも恵まれて登ることができた。一泊した赤岳鉱泉から地蔵尾根から山頂、文三郎尾根経由の下山。妻の足の不調もあって車を置いてある美濃戸口まで12時間もかかった行程であったが胸の不調など微塵もない山行であった。
 その後、6月末から7月にかけて北海道を旅し、大雪山の黒岳と旭岳、樽前山の3山も登った。いずれも日帰りではあったが、天気も体調も快調な山行が出来た。

 病院の定期受診では、主治医は必ず登山のことを尋ねてくれる。

「山は登られましたか? 」

「先月八ヶ岳に登りました」

「八ヶ岳って何メートルぐらいの山ですか?」

「2800ほどです」

「えっ、そんなにあるんですか…」

 その反応は明らかに想定外に対するもののようである。表情には驚きと心配が感じられた。僕は瞬時にまずかったかな、と思い、若い主治医は僕の山登りをハイキング程度のものだと思っていたかもしれないと思った。また、山のこと、登山のことはほぼ知らないようにも感じた。ただ、その後の登山について止めろとも制限的なことも言わなかった。大雪山登山の後の受診時にも同じように登山をしたかどうかを尋ね、大雪山の標高を聞くだけであった。しかし、僕の方は「この先生、登山にOK出したこと後悔してるのと違うかな?」と勘繰るのだった。
 以後しばらくは高山には足をのばしはしなかったものの、ちょくちょく近隣の鈴鹿や琵琶湖周辺の山には登っていた。そのうち新型コロナ禍に突入。小屋泊が必要な山は1年余り控えていた。しかし、感染状況を見計らいながら、初春の乗鞍高原での雪原スキーや残雪の白馬の八方尾根歩きなどにも出かけるようになった。そして今回の秋の白山。ここに来てそれまでなかった胸の症状の出現である。そろそろ高山や長丁場のルートはやめておいた方が良いかと考えるようになった。でもそれはやっぱり寂しいことで未練も残りそうだ。登りたい山はアルプスあたりにいくつか残っている。悩ましいところだが割り切りが必要なんだ、と自分に言い聞かせているこの頃である。



4、山と匂い

 

 雪に匂いはあるだろうか。雪の降らない故郷を出て以来幾度も降り積もる雪を体験し、また雪山に登るようになって20年以上が経つが雪というものの匂いを感じたことはない。雨に匂いを感じてこなかったように。しかし、どうも雪には匂いがあるようなのだ。
 長男が5歳になるかどうかという時のこと。その年のまだ雪が降りだす前の初冬、外出のため家の玄関を息子と一緒に出た時に息子はすぐさま「おとうさん、雪の匂いがする!」と言った。空は薄曇りで雪は降りそうでなかった。へえ、雪が…と聞き流していたら、間もなくチラチラと雪が本当に舞い出したのだ。息子の嗅覚に感心し、そして雪に匂いがあることに感心した経験がある。息子が雪の匂いを記憶していたことにも驚きであった。幼児の感覚受容の能力はすごい。ピュアで繊細な受容体の感度によるものだろう。ちなみに幼児の味覚の感度も鋭い。それは大人では舌や喉頭などの部分にしかない味蕾が幼児では口の中のいたるところに存在していることによるらしい。受容体の数自体が違うということだ。
 すでに嗅覚が鈍磨している僕でも山では色々な匂いに出会う。匂いに出会うとはおかしな言い回しであろうが匂いを発する木々や残り香を残した動物など発信源との出会いでもあるのでそう言ってもよいだろう。スギやヒノキ林ではスギやヒノキの匂いがする。笹原では笹の、苔の谷では苔の香りを感じる。地面の落ち葉には場所ごとの匂いがある。鹿や猪、正体はわからないが動物の明らかな野生臭、これらは明瞭に知覚できる。山中にはもっと様々な匂いがあるはずだ。きっと僕が知覚できていないものに溢れていることだろう。石や岩も発しているに違いない。幼児なら岩質ごとに感じ取ることが出来るかもしれない。
 
作品名:山登り・身体・感覚 作家名:ひろし63