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山登り・身体・感覚

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 ところで、山で嗅いだ匂いにまつわる不思議な体験がある。先日登った大御影山でのこと。大御影山は滋賀県と福井県の県境にある奥深い山で、僕が登った登り口からは頂上まで3時間かかった山だ。その山頂近くの尾根でパンを焼く香りが漂ってきたのである。思わず我が鼻を疑い辺りを嗅ぎまわったのだが確かにパンの香りがする。見渡す周囲の山に人家はなく、山小屋などもない。風に乗って町からやってきたのかと考えもしたがあまりに現実的でない。こんな経験は過去にもあった。どこの山かまでは覚えていないがその時はクッキーを焼く匂いだった。匂いは鼻に残ることがある。数時間前に嗅いだ匂いがするはずのない所で急に蘇ることがある。感覚記憶の想起が自動的に起こることがあるということなのだろうか。山中でのパンやクッキーの匂いも記憶だったのだろうか? 登山中に起こる頭中での音楽のリピート「イヤーワーム」  とともに不可解な出来事というか現象である。







5、山と聞こえ

 

 山を登っていてあるところまで登るとそれまで聞こえていた下界の音がすっと聞こえなくなる。逆に山頂から降りていてあるところまで降りると急に電車や車の音が聞こえ出すということがある。聞こえる聞こえないの境目が割とはっきりしているのだ。空気の振動が山の斜面を這い上がるうちに拡散消滅、または上からの風に迎え打たれて消滅する、其処が丁度そういう位置になっていたからなのかもしれない。それは面白い現象ながら、場に似つかわしくない音のことがほとんどで面白くはない。時にその音が水上バイクの空気をつん裂くエンジン音などの場合には不快極まりない。
 
 鈴鹿の山でのこと、山頂や尾根で大砲音を聞いたことが何度かある。一定の間隔で聞こえるドーンという音は遥か遠くから風が運んでいる響きに感じた。初めて聞いた後に知ったことだが、その大砲音はどうやら琵琶湖を挟んで対面にある陸上自衛隊の演習のものだということだった。比良の山中から湖上と近江平野の上空を遥々と運ばれてくる。遮るものがないとはいえよく響くものだと感心する。山頂付近の高さが波が伝わる丁度良い大気層のレベルなのかも知れない。僕は聴覚に若干の問題を抱える。と言っても日常生活に支障があるわけでなく、聴覚検査で時に高い周波数の音が聞こえないことがあるという程度のものだ。これは結構若い時からのものなので老化によるものではない。しかし、大砲の音は良く聞こえる。つい先日も聞いたばかり。いく度目かの大砲音を下りの支尾根の石に腰掛けて聞いていると、ふとかつて調べてみた聞こえの知覚ついての知識断片が思い出された。下山後に確認したメモをもとに、以下に覚え書き意味でエピソードとともに記しておきたい。

 まず、聞こえの発達面。新生児の聴力は大人の難聴レベルだと言われている。3ヶ月くらいから音への反応が顕著になって、6ヶ月くらいでいろんな音の聞き分けが出来るようになるらしい。胎児期にお腹の中ですでに音を聞いてても、音の聞き分けができるのは6ヶ月頃からということになる。そして、1歳くらいになると言葉をしゃべるようになる。聴力は生まれてから徐々に発達していくもので、最初の白紙の状態では高い感受性があるようだ。乳幼児には日本人には聞き分けが難しい英語のLとRの発音の区別がつくと言われる。これはほかの感覚や脳の機能と一緒で、赤ちゃんの時点にどっさり作られていた神経と神経同士の接合を刈り込みながらネットワークを整えていくことで、育った環境の音や言語理解をしていく。ある意味引き算で得ていく能力と言っていいようだ。その代わりある時になると聞き取ることが出来ていた音声の区別ができなくなる。
 
 ここまで復習すると自身のかかえるある意味特殊な事情を思い出した。和歌山県民は「ザ」行と「ダ」行の区別が出来ず、特に「ザ」「ゼ」「ゾ」が言えない人が多い。和歌山県南部出身の僕もザ行とダ行の区別がつかないことが多い。今でも意識しないとザ行をダ行で言ってしまうことがある。例えば、座布団を『だぶとん』、絶対を『でったい』、『ゾンビ』を『ドンビ』とか・・・。言い間違えを意識しすぎて混乱したこともある。学生時代、なにかのテストのとき、『どうぞ』と書くべきところこんがらがって『ぞうど』と書いてしまったことがある。また、かつての職場であった施設の行事でのステージでシンセサイザー奏者の演奏があって、そのプログラムに『シンセサイダー演奏』って書いてしまった。それを見た後輩の女の子は『シンセサイダー』ってどんな新しい飲み物かと笑い転げていた。
 自分のエピソードではないが有名な話で県庁内の笑い話っていうのもあって、予算説明時に担当者が予算を増額したと説明するのだが、増額を『どうがく』と言うものだから『増額』のはずなのに『同額』とは何故か、と説明を受ける者から問い詰められるというものがある。
幼少時からザ行を聞いて育たないと聴覚の世界からザ行がなくなってしまうんだろう。すると文字の世界からなくなる恐れも出てくる。中学1年生の最初の国語の授業で、先生が黒板に『ザ』の文字と『ダ』の文字を書いて違いをしつこく言っていたのを思い出す。
 また、聴覚の身体の仕組みでは耳小骨に関心を持った。何故あのような仕組みになったのかまことに不思議である。鐙(アブミ)骨なんていう骨はまさに鐙というかホームセンターにある金具みたいできわめて人工的な形だ。形もそうだが何故3つなのかという数についてもだ。
 聴覚受容の仕組みは複雑だ。外耳の鼓膜が振動して中耳の3つの耳小骨に振動が伝わり、内耳の蝸牛の中のリンパ液が動いて有毛細胞が揺れる、それが電気信号に変換されて知覚される。耳小骨というのは進化的には顎の骨らしい。魚類時の顎の骨の一部を聴覚機能に転用したと考えられている。哺乳類以外は1つで哺乳類だけは3つある。哺乳類の聞こえの感度がいいのはこの3つの骨の構造によるものということのようだ。てこの原理で振動が増幅されるようにできているとのこと。

 
 さて、山の話に戻るが、山では時に聞こえが悪くなってほしいと思う時がある。自然の音ではなく人間の発する音で、それは山小屋での他人のいびきが気になって眠れない時だ。一旦気になり出すと気持ちをそれから離すことができなくなり眠れなくなる。音源が近いと悲惨であるが、意外に遠くのものが気になり始めるとそれはそれで意識を外せず始末が悪い。雑多な音環境の中でも自分への呼びかけや特定の相手との対話ができるというカクテルパーティー効果なる機能が人間には備わっているらしいが、これは逆に働く機能というものだろうか。意識したくない刺激に意思に反して集中してしまうのだから。こういう機能(心理と言った方が良い?)はできれば退化してくれればいいのに、と思ってしまう。そうした都合の良い老化作用の起こりに期待してみよう。




6、見るということ(覚え書き)

 
作品名:山登り・身体・感覚 作家名:ひろし63