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女教授の暗黒文学

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大学の特異な空間にいて、女がどう生き抜いてきたのか、男は想像をめぐらせた。
「不遇の日々、という意識がほんとうの自我をもたらすことがあるわよね」
「20代やったら、そうだったかと」
「そのころは、暗号だらけやからね」
「ついていけまへん」
「暗号解読のヒントは、永井荷風にあるわ」
「うーん、なんとか日記でしたか」
「日々欠くことなく筆とらむ、ルサンチマンは残る」
女の記憶は明晰で、思考は際限なく広がっていき、男は翻弄され続ける。言葉遊びのようにも思うが、女の思考スピードについていけない。
「荷風は娼婦を描いてますね」
「しょうふ、ばいた、しょうばいおんな」
女はなぜか同義語を繰り返した。憤怒を感じつつ、男はそのメッセージが投げかける意図を受け止めようと懸命だった。
「全否定されたら、謎は解け、人生が残る」
女の謎めいた言葉を解読しようとするがむだな行為だった。それでも女教授への興味はいっそう深まった。

琵琶湖の失敗にもめげず、男は女を、瀬戸内海を一望できる温泉に誘った。
食欲を満たして布団に入り、男は花芯にそっとあてた。
「だめ、だめ」
女は抗う。この場に及んで何事か、勢いを失いそうになる。入口で立ち往生する。女の意志を感じていた。玉門をどうしても開けないのだ。欲望のさなかに強固な意志に突き当たるとは、思いもかけない経験で、展開が全く読めない。
「だめ、だめ」
と拒まれると、男根は戦意を失いかける。玉門を突き抜けるのは硬度が必要だ。男は、性欲だけでは足りない、攻め続ける意志が必要なんだとさとった。まるで意志と意志との正面衝突ではないか。
「入り口だけで」
男は自重しながらなんとか快楽のさわりに到達しようとした。
「包みこむ感じ」
「そうなの、よくわからない」
「下のお口で舐めてもらってるみたい」
「さああ」
女は返事に窮しているようだ。男はしんぼう強く動きを止めた。密着感が生まれる。女の肉の硬さがしだいにほぐれていくようだ。腰が微妙にだが、動きだす。反応はかすかだが、大きな変化への兆しなのだろう。
「動かないでね」
女は欲求を告げた。
男はここががまん、と言い聞かせる。動き出したら女は行く手を失いそうだった。入り口での静止には強い意志が要った。そのうち女の中はゆっくりとうごめきだした。それは相手の動きを誘い出すようでもあった。花芯から愛液があふれてくる。男は耐えて、がまん、がまんと言い聞かせる。
「だめ、だめ」
となおも繰り返す。情熱のたかまりに冷や水を浴びせるようだ。男は迷いを捨てて官能のうねりに身をゆだねた。女の言葉が宙に舞っている。女のからだとあたまとの二重構造は、男の性欲をかきたてたから不思議だ。性交欲求は閉じられ性欲だけが昂進する。

まるで未経験の恋人同士の初体験のようである。2度目の小旅行も成就することなく終わったが、男はまことに奇妙な心地であった。実は女もそうであったから物語は未完なのだ。性交なしの快楽には既視感があったがそれは記憶の底の出来事であった。男は頭の中で今日の女とのセックスをトレースしながら、瀬戸内海の食材に舌鼓をうった。赤穂の銘酒も飲みながら、女は新しい話題を提供した。
「我が魂をここに鎮めん嵯峨しぐれ風おさまりて澄める夕月」
「どなたの作でしたか」
「飯野哲二、若生小夜」
「わかりません」
「落柿舎の12世庵主、辞世の句」
「激情を秘めたものがありますね」
「そうでしょう」
「飯野は大学教授、小夜は人妻、二人で京都へ駆け落ちするが、飯野は家族へもどる、小夜は一人残って、独身を貫く」
「すごい話やね」
「そうでしょう」
女は淡々と話し続ける。男は今日、女のうってかわった存在感に振り回されている。
「大地を駆け回る獣のように、伸びやかな感性が輝いている、裸足で踊る姿はしなやかそのもの、解き放たれた、躍動感、あでやかで色っぽい女王のよう」
なにかの暗黒小説の一文なのだろうか、言葉だけが情熱的だ。

昨日の夜の出来事が思い起こされてくる。柔肌に赤いシュプール、男の指のあとだ。

女は過去の記憶を辿りつつあった。ふと、言葉が勢いをもっていて体が空転することがあった映像が蘇ってくる。
女は49歳、学者としてピークを迎えている。転機だ。生理が終わろうとしている不安、解放されるという期待もあるが、当てのない旅のようだ。フェラだけで終始した院生時代、年上の指導教授との遊戯にはどこかさめたところがあった。射精するとおとなしくなる、男性のこの変化に気づいてセオリーを思いつく。抜けばよい、抜かせたらご機嫌なのだ。射精すれば、男性から指導教授に、本来の研究室に戻る。恋人とはセックスごとに愛情が深くなるので、セオリーが不要だ。セックスが全開すれば、前頭前野、第三の目、共感脳をテストする。体験がなければ、共感できないはず、研究室では共感をもたらさない性欲であった。
指導教授との秘密は、愛情など感情的な要素がないため、興味というか好奇心がエネルギーとなる。男根も対象化される。いつも頭が働いている。男根の味わいが変わることに気づく。男根をコントロールできるようになる。冷静なのだ。多いとか少ないとかもわかってくる。指導教授の体調にも考えが及ぶ。男が変われば味も変わるのだろうと思うと、なぜか性欲が高まる。相手のない共感である。
研究テーマは女を耳年増にした。指導教授のせいもある。暗黒小説を話題にして酒を飲めば、頭がまず反応する。言葉で高めあうようだった。しかし、官能は頭の中にとどまり、からだが付いていかない。
性交がないから、力強い言葉やうそを交えたセリフを話せるようになり、言葉そのものの話、指導教授との秘め事のラストは卑猥な言葉の一群である。
女は成長するたびに、推理小説のようにその言葉の意味が何なのか、少しづつ明かされていく思いだった。夢幻能のような、生きるという直接的なメッセージをからだが表現する。
「やりまくっている」
女子大生の言葉が気になってしかたがない。例のごとく類型分析を試みる。田舎から出てきて解放感を得た女性の心理か。中学生で初体験したような奔放で早熟な都会の子か。いずれのタイプであれ想像がたくましくなる、映画のタイトル、快楽をむさぶる本能が繰り返されるセックスシーンとともに思い起こされた。

映画の主人公の女性も大学教授、家庭があるにもかかわらず、性欲を科学すると称して、男たちとセックスを重ねる、破綻へ向かう構造だ。女は「シンプルな情熱」の映画について、語り続けた。人間は感情の動物だ、モラルもそれを変えられない。主人公は男を待つほかはなにもしなくなった。謎めく男、男の気まぐれな誘いに抗えない。買い物でさえ、凡庸な行動なのに特別な時間となっていく。選ばれし者の恍惚か。恋の病には中毒性があり日常生活すら、危うい。
精神科医は解剖学者の手つきで情熱のメカニズムを凝視する。熱いのに冷めた、この不条理。優雅な野獣。男は堂々と性器を誇示する。冷めた瞳の美しき野獣。手なずけるのに成功するか。ジャンヌモローは、男は美しければそれでけっこう、と。名言か。女性が言ったから納得しないのか。美と権力関係の性差についても、考えさせられる。
危険だがあまりに魅惑的な恋愛観察の記録。
作品名:女教授の暗黒文学 作家名:広小路博