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女教授の暗黒文学

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更衣室の外に不ぞろいに置かれた色とりどりのブーツや、舞台裏の隅に干された傘たちが目に留まる。幕が下りれば、彼女らはブーツを履き、劇場の外に待つそれぞれの生活へ、春雨の中、傘を差して戻っていくのだろうか。一人ひとりの人生に、想像を巡らせてみたくなる。
戸外は春雨、というタイトルの絵を観ながら女は解説した。役者志望が、なぜ沈黙の芸術表現を選んだのか?その抵抗の原点を探って、若きマルソーに内在している悲しみにふれながら、ブラックユーモアを語りもした。女教授の博識には感嘆するほかなかった。

あまりに饒舌な女を持て余しながら、男の頭は全く違うことを考えている。
祇園のクラブのママ、60歳をすぎている。息子がようやくひとり立ちして、ほっとしたら、気が抜けてしまい、なんの人生だったのかと、自虐的になる。この世界に入って30年、さまざまな男たちを相手にしながら、かわしつづけてやってきた。
「一人は寂しい」と独り言。「選んでよ」とママが声をあらげるが無視。「息子の嫁の浮気はぜったい許せない。男の浮気は許せる」
「それはおかしい」「おかしくない。風俗の子とつきあうのもだめ」「なんで、おかしいやん」「風俗の仕事を否定するのは、女性の否定や」「わからん、なに言うてんのかわからん」
「あなたは3回も結婚したから」
と言ったきり、ママは黙ってしまった。

祇園のママとのやり取りを思い出したら、男は恋人気分でつきあったメンエス嬢のことが蘇った。
彼女は本番なしの風俗ではないメンエス店の人気者、友人に勧められてメンエスの世界に踏み入れた。そこでは性交の他はあらゆるパターンで客を楽しませる不思議な空間だった。それが可能なのは性的サービスを強要するような客を出入り禁止にできるからだ。メンエスは客を選べるというわけだ。しかも始めから最後まで徹底して女が主導権を維持する。彼女が解説するには、客の男性はⅯ、メンエス嬢はSである。
惚れ込んでしまい、
「私は、愛してるなんて、言わない」
男がセックスのさなか、愛してるとささやくとメンエス嬢は言い返してきた。彼女のさめ方は見事だ。錯覚している方が悪い。週3日ながら、年間およそ500回として、男性を遊ばせる。3年以上らしいから、つごう1500回以上になる。彼女の経験と知恵には到底かなわない。
考えてみれば、人気者の風俗嬢の基本的な要素は共通している。疑似恋愛感情が生まれるかどうかだ。

男は暗黒小説の出だしを想像する。女教授と二人でポルノビデオを見るのはどうか、と思いつく。ポルノビデオに目を見はる女教授を想像し、主人公に作者をダブらせながら、頭の中で書き出してみた。

夕方からの授業なので、昼過ぎに会いましょうとメールでやり取りして、京都駅のホテルで落ち合うことにした。
京都市街とその周りの山並みを一望できる部屋だったから、女教授は盛り上がった。男はなにか変化球を投げようかと、考えて、ベッドの上に、誘った。女を後ろからだきしめた。まわりくどいが、なかば投げやりな気持ちで、女の頸に唇を這わせてみた。ところが女の反応は深く、これまでにないものだった。吐息をついて官能を示したから、男は肩へとすすみ、軽く歯を立てた。女は声をあげて反応する。良い変化だ。
「感じてるのか」
「いいわ、そこ」
女はすなおに感覚を伝える。それならと、男は皮膚を噛んだ、歯で挟み吸った。
「大丈夫か」
「大丈夫よ」
キスマークをつけていく、女の反応は深まるばかり、その変貌に驚かされる。女は上半身をかがめて、下半身をさらしてきた。男の眼前に花芯がある、大胆な光景だった。花弁にそっと口づける、女はため息をつくような深い官能をあらわした。男は舌をはわせる。腰が揺らぐ。
突入したい、との気分が抑えきれない。しかし女は腰を振りながら、男根を口に含み、味わっているではないか。革命的な変化である。人がかわったように、積極的だ。男はいきそうになる。からだをずらして時間稼ぎしようとしたがたまらず、結合を急いだ。
女の腰使いは見事、男根を味わい尽くそうとしている。
「ちょっと待って」
女の動きを中断させると、まもなくほとばしりでた。からだが2度、3度跳ねる。あっという間であった。
今日は徹底して女のペース、自信を失いそうになる。
「よかった」
女に声をかける、
「いきそうって、わかったわ」
女は自信満々に解説した。
「起承転結の転、やった」
そうなら、結があることになる。女の変わりようにあれこれ想像を巡らせる。うなじや肩に性感の発火点があるにちがいない。激しいセックスの過去がよみがえり、女を発情させたにちがいない。それは、女の体の、記憶だった。女には体験がからだに刻みこまれているようなところがある。
肉体に刻まれた過去、その痛みと快楽。女は過去を再現しながら、その痛苦を乗り越え、新たな体験へ昇華できたのだ。
まずは講師を目指していた院生時代、親しくなった指導教授は、奇妙なセックスを求めた。うなじを偏愛した、女を後ろからだきしめて甘噛みするのだった。オーラルセックスは妊娠不安対策になると女に言い聞かせた。日本酒をしこまれながら、アメリカの少女はフェラの上達に励むといくども繰り返した。
素知らぬ顔をしていても、指導教授は顔が紅潮していると、女をなぶる。足をすり合わせているんだろう、とも。女は指導教授のわいせつな話を聞きながら、自然に足を閉じ、花芯を刺激していたのだ。悟られたに違いない。まるで映画のシーンのようだ。
女にとって、うなじもフェラも、どこか不完全燃焼。からだとことばが分離したままだった。しかし、今日は屈折を克服して、自ら快感に達しようとし、成就できたのだ。

男と女の立場は逆転した。
「SMの定義は?」
と問われ、男が答えられないでいると、女教授は、
「調和しない要素の併置」
と説明した。
「さっぱりわからへん」
さらに深く尋ねようとしたがあきらめた。SMどころか、女の正体がわからなくなっていた。

自分は今こうして生きているけれど、孤独であり、孤独のままやがてこの世を去るのだろうか。それを思うと悲しいが毎日の出来事にあくせくしている自分の姿がおかしくもある。暗黒小説はブラックユーモアと言えるかもしれない。祇園のママが息子の嫁には浮気させないと話していたが、これはまさにブラックユーモアである。ナンバーワンのメンエス嬢に、愛を告げるのもブラックユーモアだろう。ブラックユーモアは反語と言える。言葉が力を持つのだ。それは日常に欠かせない。自らの人生を笑うことができる遊び心こそ力になる。力の本当の源泉は喜びではなく悲しみである。

作品名:女教授の暗黒文学 作家名:広小路博