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やさしいあめ8

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 それでも、自分には彼を気にする義務があると思っていた。誰もが彼を十八未満と思っていながら、そうは扱わない。社会に出たら、年齢なんて関係ないのかもしれない。それでも、大人は子供を守るべきだと、自分の中にあるちっぽけな良心と正義感が言うのだ。そうでないと、ギリギリで保っている自分という存在も意味をなくしそうで。

 設定では大学生。そして就活中。彼はいつも徒歩で出勤する。どこから来ているのかは、従業員名簿の住所じゃないだろうと、勝手に予想している。彼が冗談だと言っていることにきっと少しの本当が混ざっているだろうことも。どこまでが冗談でどこからが本当なのかはともかくとして、そんなにすらすらと嘘がつけるだろうか。

 本当は、飯田亮太のことより、とっ散らかりつつある自分の生活をどうにかするべきかもしれない。娘が生まれたと思ったら、娘を連れて出て行った嫁。そしてもう嫁でもない。どうしたものかと、ずっと足踏みしていた。自分としては頑張っているつもりなのに、家族のことも愛しているつもりなのに、まったく世界は上手くいかない。まったく世界は理不尽なのだ。けれど、足踏みしている間に考えることとして、飯田亮太という問題は適しているようにも感じていた。

「今度、酒でも飲もうよ」

「僕、飲めないんで」

「どっちの意味で?」

「どっちってどっちですか」

「なんでもないよ」

 彼を見守り、さらに一年が経って、彼はなんとかっていう会社に就職を決めて、ここを辞めることになった。自分がよく聞いてなかったから企業名が分からないわけじゃない。彼が就職が決まったので、としか言わなかったから。

 春からそこで働くから、三月上旬で辞めるという。彼が抜けると穴は大きいな、正直そう思った。彼は設定を変えながら、なんだかんだ、自分と同じように足踏みをしている人間なんじゃないかと、どこかで期待していたのかもしれないとも考える。もしかしたら、就職が決まったというのも、設定の一つなんじゃないかなんて。

 その期待は良い意味で裏切られた。

「片品さん、お世話になりました」

「いや。こちらこそ」

「片品さん、お世話になりました」

「いま聞いた」

「片品さん、お世話になりました」

「三度目だよ」

「冗談です」

「嘘ばっか。泣くなよ」

「泣いてないです」

「そうだね」

 いまは、彼が泣いていようがいまいが、笑って送り出してやりたかった。

「ぼくさ、ここの副店長になることになったんだよね。娘に胸が張れないとかさ、それって自分に胸が張れないってことなんだよね。守るべきものを守る。ぼくの場合、きっと職種は問題なくて、自分に自信がないんだよ。自分に自信があれば、どこにいったってやっていけるし、自信がなければどこにいてもやっていけないんだ」

「そうですね」

「飯田くんはきっとやっていけるよ」

「片品さんだって」

 結婚して、娘がうまれて、早々に別居して。別れて。人生がジェットコースターだ。そして、これから先、養育費を払うためにも、ここに残ることを選んだ。仕事の種類はこの際なんでもよくて、ただ、ちゃんと父親として残されているできることをやりたい。それがお金という形でしかなくても。自己満足でも。

 娘がうまれたとき、この世に天使は本当にいるのだと知った。けれど、妻に唐突に別れたいと言われた。娘には先天性の疾患があって、それを理由に。妻に謝られて、自分のせいだと責める妻を見て、妻の両親からも別れてやってくれと言われて。そんな理由で、そんな結末に? そう思った。けれど、自分が守ってみせると言い切ってやれなかった。本当にそんなことが可能なのか、自信がなかった。流されて、言われるままに、別れてしまった。守りたいと守るの果てしない違いを知った。自分はしたいと言う気持ちしかなく、実行力がない。それではどんなにそうしたいと望んでも、現実にはならないのだ。守りたかった。そんなことを言っても、後悔する権利すら自分にはないのだろうか。そうできることをしなかったのと、できもしないことだったのでは、やっぱり違う気がする。

 けれど、娘は娘だ。いつまでも、変わらずに。自分の血を分けた娘なのだ。

「片品さん、これ、あげます」

「どれ?」

「これ」

 差し出された手の平には何にも乗っていなかった。

「気持ちです」

「キモッ」

「冗談です」

 その引っ込めようとした手首を掴んだ。

「やっぱりくれ」

「どうぞ」

「うわー。生温かい」

「取り出したばかりなので」

 飯田亮太は、曖昧に笑った。同じような笑顔を作ってみようとしたけれど、彼のようには笑えなかった。一朝一夕で作られたものではないことを思い知る。いや、知っていた。だから、彼のことを気にして、彼のようになれたらと思っていた。こんな風に、あきらめに似た笑顔を浮かべて、やり過ごせるようになりたかった。彼が、それで本当にやり過ごしているかどうかは分からない。けれど、周りにはそう見てもらえる。そんな風に思ってもらえる。自分はそれが欲しかった。

「飯田くん、ぼく、大人になるよ」

「僕もなりたいです」

「きみは子供になりなさい」

「ありがとうございます。でも、そうも言ってられません」

「そういう」

「僕にも守りたいものがあるんですよ」

 遮るようにして飯田亮太は言った。

「聞かれたんですよ。幸せってなに?って」

 なにを言い出したのかと思った。お構いなしに、彼は続けた。いままで見てきた中で類を見ないほどに真剣な顔をしていた。

「愛ってなに? 家族ってなに? 生きるってなに? 死ぬってなに? お金ってなに? 命ってなに? くだらないってなに? 楽しいってなに? 正しいってなに? 間違いってなに? そう、聞かれたんですよ。最後に、わたしってなに?って。お前はお前だって言ったんですけどね。違うんですよ。そういうことじゃないんです。求めている答えは、たぶんそんな曖昧なことじゃなくて、自分が何者であるかを言い表す、明確な単語を探してるんです。分かり易くて、納得もできるもの。辞書を引いて調べて、それで理解できるような。数学の公式を使って解ける、たった一つの正答みたいな」

でも、人生はそんなに簡単じゃない。

「それでも、一つ一つの問いに答えをやれるような存在になりたいんです。自分が答えだと言ってやれるような存在。彼女が泣いているときに、手を差し伸べられるような存在に」

 飯田亮太の瞳は、遠くて、明日にでも死んでしまいそうで、なのにとても強くて羨ましかった。彼は、もしかしたら持つべきじゃないものも持っているのかもしれない。それでも、持つべきものもちゃんと持てているのだろう。だからこそ、あんな風に笑えるのだ。

 でも、彼は何もあきらめてなんかいない。死んでしまいそうだなんて撤回する。遠くを見ている気がしたのは、遠い未来を見据えているだけのことだ。もしくは、今はそばにいない大切な人を想った、それだけこと。飯田亮太は、自分とは違って、きっと守りたいものを守るだろう。

「きみに愛されている人は幸せだろうな」

「そうだといいんですけどね」
作品名:やさしいあめ8 作家名: