殺意の真相
「おかしな性癖というと?」
「SMのような性癖があって、社長はMのようなんですが、叩かれたり少々であれば傷つけられることもいとhないという話でした。どこまで本当なのか分からないんですが、あくまでもウワサです」
という話だった。
「それは、本当なのかな? 社長の死体には、傷つけられた痕はなかったような感じなんだけど」
「じゃあ、相手のパートナーがうまくて、傷が残らないようにしていたのかも知れないですね。何とも言えないんですけど」
それを聞いて、坂口は、
「なるほど」
と感じた。
性癖があるのであれば、麻薬を使うというのも分からなくもない。セックスに関しては淡白だという話をウワサでは聴いていたが、そういうSMの趣味があるのであれば、麻薬を使ってまでのプレイに意味があるというのも分かる気がする。
「今ここで、性癖の話を持ち出したのは、調べればそのうち分かることだろうから、今のうちに性癖の話を自分から出すことで、相手にパートナーを自分ではないと思わせる含みがあったのだろうか。もしそうであれば、彼女が思い出したように話したのも納得がいく。いずれはどこかで話そうと思っていた最初からの計画を、いかにも今思いついたかのようにいうと考えれば、彼女の話のすべてを鵜呑みにすることは危険だと言えるのではないだろうか。
どうも海千山千というか、百戦錬磨とでもいえばいいのか、この女と話をしていると、どこまでが本当なのかは分からない。しかし、こちらに必要な話はしてくれるようだ。小出しではあるが、それはあくまでも自己防衛。ひょっとすると、彼女は自分の話を繋いでいくと、最終的には主犯に繋がると思っているのかも知れない。
直接的に話をしないのは、主犯に対しての敬意からなのか、彼女の中で裏切りという理屈を超えた何かが芽生えているのかも知れない。
――この女、もしお互いにこういう立場でなければ、いい友達にはなれたのではないだろうか――
と坂口は感じていた。
事件の真相
坂口刑事は、この時の如月祥子との話において、事件の全貌がほとんど明らかになったような気がした。彼女がどこまで自分の立場を分かっていて真相に坂口刑事を導いてくれたのか分からない。坂口刑事の目を少なくとも節穴だとでも思っていたのだろうか。
もしそうであれば、ここまで話をしても、彼が事件の真相を看破できないのだとすれば、彼のレベルで事件の真相に辿り着くことはできないと考えてある程度のカマを掛けたのか、あるいはその程度の相手であれば、こちらの術中に嵌めることができるとでも考えたのか、それでもまるで探偵小説の中でのいわゆる、
「叙述トリック」
のようではないか。
だが、相手を巧みに誘導し、自分の犯罪をごまかさなければならないほどのことを彼女が犯しているとは思えない。もちろん、犯罪や訴訟についてまったく素人であれば、自分がこの事件で果たした役割がどの程度のものなのか分からず、絶えず怯えているのだとすれば。仕方のないことであるが、そんな受けられない。そんな状態であるなら、きっと主犯に相談しているだろう。そして主犯は決してそんな不安に感じていると思う女に、刑事にミスリードさせるような危険なことはやらない。
それに彼女がどこまで自分の立場を理解しているのかが坂口には疑問だった。この犯罪計画で、実行犯が二人に、主犯が一人、この状態で主犯があとの二人を集めて、三人で犯行会議をしたとは思えない。明らかに主犯からの一方通行だったはずだ。
では、如月祥子が言ったアナフィラキシーショックの件は、彼女の意志が言わせたのだろうか。それとも本当に偶然だったのか、結果として果てしなく真相に近づくことになった。
しかし、坂口は一つきになっていた。
――本当に僕は今感じていることが事件の真相なのだろうか――
という疑問である。
どの事件にも言えることだが、
「事件の真相」
と言われるものが、どこまでをして真相と言い切れるのかというのを疑問に感じていた。
行われた犯罪に対し、ここにその真相を暴いて、その前後や動機、そして犯人に繋がるあらゆる証拠に矛盾がなければ、それが真相ということになる。
だが、それは事実を重ね合わせたことであり、目に見えていない事実はもっとたくさんあるのではないかと思えてくるのだった。
確かに裁判で犯罪を立証づけるに十分すぎるくらいの事実を突きつけることはできるのだが、もし、犯罪を生き物だとすれば、時系列的に刻々と変わっていく事情のようなものをまったく考えることもなく、事実関係だけをつなげていくのだ。これを真相と言えるのだろうか。
真実と真相が同じものなのかどうかという発想にも結び付いてくるが、世の中には、
「知らなくてもいい真実もたくさんある」
という話を聞いたことがある。
「真実を知ることが、決してその人の幸せに繋がるとは限らない」
ということもあり、知らなくてもいい人には教えないことが当たり前ということも事実であろう。
しかし。こと犯罪に関してはそうはいかない。真相を暴いて、その責任を犯罪者と呼ばれる人に負わせなければいけないのだ。
「知らなくてもいい真実」
を、被害者側が知ることもある。
例えば、殺害された被害者がひた隠しにしてきた、自分の身内の、
「知らなくてもいい、知ってしまうと不幸になりかねない真実」
まで暴露しなければいけなくなる。
刑事や検事、弁護士と言えども、その真相が被害者にどれほどの傷を残すかということをどこまで分かっているのか、裁判が進み、犯罪が曝け出されるにしたがって、分かってくるようであれば、
「一体何が正義だというのだ」
ということになる。
あまりのショックに自殺でもしてしまったら、裁判というもの自体の正義がまったくなくなってしまうのではないだろうか。まさに本末転倒な出来事になってしまう。
「ひょっとすると、如月祥子は何かを知っていて、自分の中で許せない何かがあったというのか、それとも、このあたりが引き際だと考えたのか、それとも主犯のあまりにも自分勝手なやり方に、も振り回されるのが嫌になったのか、事件の真相を自白という形ではなく、ヒントを与えるという形で坂口に与えているのかも知れない。
だが、考え方によっては卑怯である。しかし、その裏にどういう彼女の真実が隠れているのか分からないということで、彼女を追求することはできなかった。一度、自分の失敗で冤罪を作り出してしまったという罪悪感が、坂口の刑事としての情熱に、「待った」をかけるのだった。
この事件においての一番の発見は、
「アナフィラキシーショック」
という言葉であった。
正直、ハッキリとはしないまでも、殺害に二度の同じ効果が活用されたことは、被害者の苦しみであったり、薬物反応が身体に及ぼしたものであったりして、何となく分かっていたが、ショックという概念までは分かっていなかった。
ショックが殺害による本当の死因であれば、裁判などでも、そのショックが殺意に結び付くかということが大きな問題になるだろう。
「まさか死ぬなんて思ってもみませんでした」
と証言すれば、犯罪が立証できるものではない。