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短編集104(過去作品)

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 と思ったきっかけは何だったのか、ハッキリとは思い出せない。しかし、きっかけなどというのは、いつでも曖昧なもの、思い立ったが吉日とばかりに、出かけてみたくなる衝動に駆られるのも、ひょっとすれば父親の遺伝なのかも知れない。
 父親にもそんなところがあったようだ。あまり自分から行動する方ではなかった父がつりを始めたのは、友人に強引に誘われて出かけたのが原因らしい。
 そんな父を母は、
「あの時は私も友達の方のお誘いをありがたいと思ったわ。引っ込み思案のあの人が表に出るようになれば、少しは雰囲気も変わってくれると思ったのよ」
 勝則が生まれる前から厳格な性格ではあったようで、
「いつも家に閉じこもってばかりいるから、精神的にストレスが溜まるんじゃないかしら」
 と、ずっと感じていたらしい。友達の誘いをこれ幸いと、目立たないように後押ししていたことを父が死んでから告白してくれた。
 だが、父の性格からして、そんな母親の気持ちは分かっていたように思える。ストレスを溜めようが、イライラしていようが、冷静な判断力や洞察力はそれほど衰えない。それどころか、イライラしている時の方が、却って相手を見る目が確かだったのではないかと思えるふしもある。うちに篭ったストレスの中、何とか表を見ようと考えるのは無理のないことで、ただ、なかなかストレスに打ち勝てないために、表に出ようとする気持ちを無意識に自らで否定しようとしているのが、普通の人の考えではないだろうか。
 勝則も同じことが言える。時々ストレスを溜めて爆発寸前になることがあるが、そんな時でも気持ちだけは冷静で、何とか思いとどまることが多い。さすがにそれでも子供の頃は溜まったストレスを見続けることで爆発を起こし、
――俺って天邪鬼じゃないのかな――
 人の意見に逆らうことが快感になってしまっていることさえあった。それこそ、精神的な悪循環が呼んだ弊害と言えるのではないだろうか。
 人から意見されて、それに逆らうことが快感になるのは、自分を悲劇のヒーローに仕立て上げたいという気持ちの表れでもあった。ストレスが溜まると、まわりの人が鬱陶しく見えてきて、一人でいることが一番自然に感じられる。しかし、ただ一人でいるだけでは溜まったストレスを解消することができず、何とか自分を正当化したくなる。
 それが自分の習性ではないかと感じ始めると、人に逆らうことで生まれるエネルギーがストレス解消に役立っている。
――何とか精神的な辛さを逸らそうとしているという気持ちの表れではないだろうか――
 と感じるが、
――まるで、平和な時代の軍隊が、士気を高めるために仮想敵国を作り上げているようだ――
 などと、物騒な発想が頭を擡げる。
 どこかに無理が生じると、余計なエネルギーは外へ放出しなければならないと考えるようになる。天邪鬼ではないかと思ってしまうくらいに表に対しての自分のメッセージは、あるいは、誰かに分かってもらいたいという無言の意思表示なのかも知れない。素直ではなく、気の弱さが招いているものではないかと感じると、同じ思いで父親を見ている自分がいることに気付く。その時にだけ、なぜか父親の気持ちが一番よく分かるように感じるのが不思議でならなかった。
 父が以前によく行っていた宿を見つけるのはそれほど苦にはならなかった。父が自分に来た手紙は大切に保管していたからだ。
 クッキーの缶の中には、来た順番に並べられていた。そんなクッキーの缶は数箱あったが、その中なら見つけるのはさすがに容易ではないと思われた。
 生前から父は手紙のやり取りの多い人で、書中見舞い、年賀状、お祝い事のお礼状、訃報の知らせと、手紙を通じての知り合いは非常に多かった。
――年賀状に搾ってみればいいかな――
 まずはがきだけに搾り、そこから年賀状だけを探してみると、さがすのは難しくなかった。毎年のように年賀状のやり取りはしていて、それは勝則が生まれる前から続いていた。
 内容はどこにでもある年賀状、他の人から来る年賀状もさして変わりのないものだった。
 毎年の年賀状のやり取りを見ていると、なおさら行ってみたくなった。生きている時は鬱陶しさだけしか感じなかった父だが、死んでから父が日頃何を考えていたのか知りたいように思うのは皮肉なものであろう。
 年賀状は五年前くらいからやり取りをしていない。五年前というと、父が最初に入院した時だった。
 それまで身体の丈夫さが自慢だった父だけに、顔は涼しい表情をしていたが、心の中ではショックだったに違いない。
「たまには心の洗濯も必要だ」
 入院に際して話していたが、それが強がりに見えないところは、それまで肩肘を張って生きてきたことを裏付けるものに勝則には見えた。
 普通であれば逆に感じるであろう。だが、厳格な父しか見たことのない勝則には、病人としてベッドに横たわっている父親がまるで他人のように見え、背中が丸くなってきているのを感じていた。
 見舞いに来てくれた人に笑顔を振りまいていたが、そのほとんどが会社での部下だったようだ。
 仕事の話がほとんどだったのだが、ベッドの中で仕事の話をしている父の姿を想像すると、いつもの厳格な表情が浮かんでこなかった。
 入院は数ヶ月ほどだった。命に別状のあるものではなかったので、まわりも安心していたが、退院するといつの間にか表情は以前の厳格な父に戻っていた。
 だが、入院中の父の顔を、それ以前にも見た記憶があったのはなぜだったのだろう。
 入院する少し前だったように思えたが、小さい頃の記憶だったようにも思える。
 入院中の表情が懐かしい表情だと感じたのはかなり後になってからだ。最初からどうして気付かなかったのかと言われれば、
「きっと、あまりの表情の違いに戸惑っていたのかも知れない」
 としか言えない。まるで言い訳のようだが、そうとしか表現できなかった。
 その時の表情に懐かしさを一番感じたのは、退院する直前だった。
 退院が決まって、先生からその話を聞いた父親が一瞬寂しそうな表情になったのを、勝則は見逃さなかった。その表情に一番懐かしさを感じたのかも知れない。
 寂しそうな表情など、今までの父親にはなかったものだ。
 少なくとも、勝則の記憶にはなかった。だが、記憶にもないことが、どうして懐かしいと感じるのか不思議だと思っていると、病院での表情すべてが懐かしいと思えるようになったのである。これが父親の表情から、
――前にも見たことのある懐かしい表情――
 という発想が生まれたと言っても過言ではない。
 それがちょうど五年前、それからの父は少なからずも、性格が少しずつ変わっていったことも否定できないだろう。
 表情こそ厳格であったが、どこか忘れっぽいところが出てきた。
――父も人間だったんだ――
 当たり前のことだが、父親に対しての厳格なイメージは小さい頃から絶対だっただけに決して大袈裟だったとは思えない。
 お茶目などという言葉は似合うはずもないのに、使いたくなるほど忘れっぽくなっている。
 自分では忘れているつもりもなく、いまだに人に対しても自分に対しても厳しいと思っているだけに、見ていて滑稽に見える人もいるだろう。
作品名:短編集104(過去作品) 作家名:森本晃次