短編集103(過去作品)
と感じた。彼の目には他の男たちとは違った眼差しがある。
景子の方も男たちに悩ましい視線を送っていたので、そんな視線に気付いた男たちしか近づいてこない。軽い気持ちの男たちが多かったのも事実で、
――きっと別れる時は、後腐れなんてないだろうな――
と感じていたほどだ。確かにその予感は当たっていて後腐れのないことだけが、別れの時にアッサリした気分にさせてくれた。
だが、本当に好きな人との別れとなるとそうも行くまい。景子は大村の表情を見ながら感じていた。
――どうして付き合う前から別れのことなど想像しているんだろう――
不思議だったが、それほど彼からの告白は嬉しかったのだ。
すべてを順風満帆として考えられないのは景子のくせである。どうしても自己防衛の気持ちが働いてしまって、それが高校時代までの自分を彷彿させる。高校時代まであまり目立たなかったのは、自分の中の自己防衛だけが表に出ていたからだろう。
――まだ成長期で精神的に不安定なので、目立つ行動をしないようにしよう――
自己防衛だということを無意識に考えていたのだろう。高校時代にはそこまで考えなかった。短大に入ってその頃を思い出すと、自分が結構冷静だったことに気付く。かといって今が冷静でないとは言えないが、同じ冷静という言葉でも、種類の違うものだということを景子は自覚していた。
大村とのデートは大村がリードしてくれた。今までの男たちとのデートは、男たちがリードしたがっているのを抑えるように、結局は景子の方が主導権を握る恰好だった。
それもすべて計算のうちで、最初からシュミレーションができていたのだ。
もちろん相手によって若干違うのは当たり前だが、それでも基本線に変わりはない。元々デートのバリエーションなど、それほどたくさんあるわけではない。少々パターンが違っても、景子の中では、ほとんどが一緒のパターンだった。
だが、大村のリードは違っていた。景子の考えていたバリエーションとそれほどの違いはないが、相手に従うということが自分の中で安心感を感じられたり、相手に任せるということで、抱擁を受けているという感覚が守られているという気持ちにさせてくれるのが嬉しかった。
今まで人に任せるということは自分の中で許されないことだと思っていたが、遅まきながら
――相手に任せることができるというのが女というものなのだ――
と感じたものだ。
まわりの女の話を聞いていて、すべてを男に任せてしまっていることをまるで自分の役得でもあるかのように話すのが不快感だった。
――この女は自分にプライドなんてないのかしら――
と思ったほどで、しかもそれが計算づくというところが情けなかった。そんなことを自慢げに話す女は、
――もはや女ではない――
と思ったほどで、自分は決してこんな女になりたくないと思っていた。それが嵩じて、相手に任せることが罪悪のように感じてしまったのも無理のないことだろう。
だがその考えが間違いであることを教えてくれたのが大村だった。
――女も悪いのかも知れないけど、男もきっと悪いんだ――
どちらが余計に悪いかなどは分からないが、付き合っていく上での打算が少なければ少ないほど、きっといい付き合いには違いない。景子は今まで打算が先に立って男を見てきた。そんな中で男の何たるかを理解してきたつもりだったが、それも一部の軽薄な男たちしか理解していなかったことに気付かせてくれたのも大村だった。
男たちはきっと景子に恨みを抱いているに違いない。軽薄であるのは、勇気がないからだということを景子は分かっていないのだ。本当は景子のことがとても好きで、恥ずかしさや勇気のなさから軽薄を装っていた人もいるだろう。いや、ほとんどがそんな人たちばかりなのかも知れない。
男女の関係の中で身体の関係を異常なまでに意識してしまっている景子の気持ちはどこから来ているのだろう。高校時代まで目立つこともなく、あまり余計なことを考えないようにしようと意識的にまわりを見ないようにしていた。そんな景子の高校時代に見ていた夢は、やはり同じ夢が多かった。
――夢では何でもできた――
と最初に感じたのは小さい頃からだったが、思春期になると、身体が反応してしまうような夢を多く見るようになっていた。男に抱かれる夢を見て、実際に最後まで愛される夢を何度見たことか。
中には嫌な相手に言い寄られて、押し切られるように抱かれてしまったこともある。いくら夢の中とはいえ、そんな自分が嫌で嫌で仕方がなかった。
そういえば、その時の男を夢の中で衝動的に殺してしまったのを思い出した。実際にはクラスメイトの男で、元々いやらしい眼つきが気になっていたのだが、それは景子に対してだけではなかった。女性と見れば、視線を逸らすこともなく。じっと見つめている。
「嫌ね。あの視線に見つめられると、気持ち悪くて、鳥肌が立っちゃうわ」
という女性側の噂はよく耳にしていた。
「ああいうのを本能だけで生きてるっていうのかしら」
噂は留まるところを知らない。
本能という言葉、景子は嫌いではない。本能を押し殺してまで行動することはないと思っているからだ。しかし、それも理性があって成り立つこと、皆はそのことを分かって話しているのだろうか。景子はまわりの噂話に関しても疑問が浮かび上がる。
ある意味、今の景子は本能に逆らいたくないという思いが強い。自分の気持ちを突き詰めていけばきっと行き当たる場所が本能という場所ではないかと思っている。それが夢となって現われるのであれば、他の人がいう、
「夢とは潜在意識が見せるものだ」
と言っていた意味が分かってくる。
他の人が、できないと感じたことは夢ではできないのは、潜在意識は本能とは違うものだと思っているからだろう。しかし景子は違う。潜在意識とは、本能をも含んだものだと考える。他の人が潜在意識と感じるのは、本能から理性や一般的な常識を外したものだと思っているのではないだろうか。
――いや待てよ――
景子が最近感じるのは、見ている夢は皆同じで、見た夢の中から起きるまでにどれだけのことを忘れてしまうかということではないだろうか。自分に必要ではない部分や、忘れてしまいたいと無意識に思っているものは完全に夢から覚めると消えている。
夢の続きにしてもまず見ることはできないが、本当はすべてが続いていて、一旦目が覚めて忘れてしまうからすべてが白紙になってしまうのではないかと考えるのはあまりにも突飛な発想であろうか。
大村とお互いの気持ちを正面から見つめ合っていると、男を殺してしまう夢を見ていたなど今からでは信じられない。さらに、
――自分は処女だ――
と思っていることでも、高校時代に見た夢の中ですでに処女ではなくなっていることに気付いた。
夢の中で男たちを殺すという本能が、軽薄だと思っている男たちから恨まれて、ずっと同じ夢から抜けられなくなっていた。流れているはずの夢は、すべて景子の本能を先に進ませないという感情に結びついていた。
――本能が見せる夢――
作品名:短編集103(過去作品) 作家名:森本晃次