Jolt
「諸々捨てるのも込みで、安く譲ってもらったらしいんですけど。兄貴は面倒くさがりなんで、置きっぱなしにしてるんすよ。まあ自分は弟なんで、性格は兄譲りっつーことで」
刈田はうなずきながら、倉庫の中を覗き込んだ。人生に接点のない部外者だからか、話すことに抵抗を覚えない。鴨山がその控えめな姿勢に笑いながら、言った。
「あ、見てくれていいっすよ。やべー人形とか、心スポぽいの見つかったら、教えてください」
刈田が言われるままに倉庫の中に入ると、鴨山は農機具を再び拾い上げて、赤い屋根の家へ戻っていった。刈田は微かに残る当時の姿を呼び起こしながら、思い出そうとした。
あの日だけ、何かが違っていたはずなのだ。
「別人みたいだった」
昼ごはんの準備をしながら、麻衣は江美子に言った。記憶に残っていた、溌剌と問題を解いて解説する姿。あまりにも違っていて、顔に面影がなかったらそもそも気付かなかったかもしれない。
「刈田さん?」
「うん。なんかもっと活気があって、話すのが楽しかったって記憶しかないんだ。顔は覚えてた通りだったけど。でも、あんな冷たい感じじゃなかった」
「人間は、変わるよ」
江美子は火を緩めながら言い、少し残念そうに目を伏せる麻衣の背中に触れた。
「予習、手伝ってもらってたんだっけ?」
「うん、徳田先生ってのがいて、厳しかったから。顔を見たら色々思い出してきた」
麻衣が言ったとき、江美子は皿を用意していた手を止めた。
「冬休みに入る直前だったと思うけど。照内さんと刈田さん、あと朝川さんの上の子と。三人とも、怪我をして病院に運び込まれたのよ」
「そうなの?」
麻衣は目を見開いた。最後に塾で会話したのも、冬休みに入る直前だった。休み中はカリキュラムが変わるから時間も合わないが、年が明けてからも、その姿を見ていない。江美子は当時子供だった麻衣の記憶を補うように、言った。
「赤い屋根の家の呪いは覚えてる?」
麻衣は首を傾げた。
「冬はダメなんだよね。でも、呪いとかあるんだっけ?」
「そう。あの辺は、冬に近づいてはいけないの。特に、赤い屋根の家に入ると、呪われるのよ。何をしても上手くいかない、運の悪い人間になってしまう。刈田さんから、そういう感じはしなかった?」
「したよ。朝川さんが仕事してないのも、関係あるのかな」
麻衣が言うと、江美子は確信を持ち切れないように小さくうなずいた。
「朝川さんの上の子は、水泳部のエースだった。でも成績が出せなくなってしまって、大学を辞めたわ。お医者さんから聞いたんだけど。あの三人は、赤い屋根の家で肝試しをしたって、言ってたらしいよ」
キッチンタイマーが鳴り、麻衣は飛び上がって驚いた後、高鳴る心臓を押さえるように胸に手を当てた。
「びっくりした。ちょっと怖くなってきたよ。心霊なんて子供だましだと思うけど。やっぱりあるのかな」
「昔は、心霊ハンター麻衣だったでしょ。絶対いるって、譲らなかったじゃない」
「思い出した。将来の夢に書こうとして、パパに止められたやつだ。お爺ちゃんは感心してなかったっけ?」
麻衣が言うと、江美子は笑った。
「お爺ちゃんは、そういうのに理解があったからね。あの三人からしても、命の恩人だと思うよ。軽トラに乗せて病院まで運んであげたんだから」
麻衣はお玉で鍋の中身を混ぜながら、忙しなく瞬きを繰り返した。
「お爺ちゃんが?」
「そう、やんちゃ坊主でも冬は凍死するから放っておけないって」
江美子が言い、麻衣はその言葉を祖父の口調に置き換えて頭の中で再生した。
「言いそう。優しかったもんね、お爺ちゃん」
麻衣が笑顔で呟くと、江美子は同じことを試していたように笑った。
「お爺ちゃんは、麻衣のことになると、ほんとにダメだったね。愛されてたよ」
― 十四年前 ―
「どうですか?」
人差し指に『ざんねんオチ』と書かれた付箋を貼った宮市が言い、本を手にした刈田は首を傾げた。
「なるほどね。霊に出くわして気を失った後、違う場所で目が覚めたのか」
実録、怖い話。毎月一冊の本を出せるぐらいに、巷には霊が溢れ返っている。刈田がわざとらしく怖がったのも気に入らないようで、宮市は強調するように言った。
「幽霊を見て、気づいたら違う場所で目が覚めたって。その間の過程を飛ばしちゃったら、怖くないですよね? そんな都合のいい話、あります?」
冬休みは目前。付箋の数が少ない日は心霊系の話が増える。刈田は残念そうに眉を曲げる宮市に言った。
「まあ、分かるけど。でも、そうでもしないとさ。幽霊に、じゃあまたって言って別れるわけにもいかないでしょ」
宮市はその場面を想像して少し笑顔を見せると、それでも自分の意見が正しいことを主張するように、『ざんねんオチ』と書かれた付箋を再び元のページに貼った。刈田が本を返すと、ページをパラパラとめくりながら呟くように言った。
「お爺ちゃんは、こうやって敢えて余白があるのは面白いって」
「お爺ちゃんは、霊とか信じてるの?」
「いや、ほんとは全然だと思います。私が言うから聞いてくれるのかもしれないです」
宮市が口角を上げたまま言い、刈田も自然と笑顔になって言った。
「理解者だね。まあ俺も、気づいたら他の場所で目を覚ますってのは、よく分からないな」
それからもしばらく会話を続けて、授業の時間が来て教室に入った後、刈田はふと思いついた。幽霊を見て気絶したということは、その間何をされていても分からないし、本人は自覚できない。それはそれで、怖いのではないか。先生の都合で少し早めに授業が終わり、家までの道を歩いていると、照内からメールが入った。
『とりあえず空き地に来た』
今日、先生が早めに切り上げるというのは、事前に分かっていたことだ。刈田は早足で歩きながら、耳が隠れるように帽子を目深に被った。いつもより三十分早く出ているし、先生に分からないところを聞いていたと言えば、一時間は稼げる。朝川と家の前で話し込んでいたと言えば、さらに三十分。計二時間。今は夜の八時だから、十時までに家に滑り込めばいい。早足で歩き、空き地にエンジンが止まった状態のバイクと照内がいるのを見つけた刈田は、手を振った。合流して間もなく朝川がジョギングの恰好で現れ、白い息を宙に吐きながら言った。
「で?」
「赤い屋根の家だよ」
刈田はそう言って、真っ暗な中に影絵のように浮かび上がる森へ目を向けた。
「冬に行くと呪われるらしい」
「いつも行ってんだろ」
そう言って朝川が笑い、その少し甲高い声が響き渡った。照内が補足するように言った。
「いや、夜は行かないじゃん。肝試しだよ。そんな噂聞いたら、試すしかないだろ」
「心霊スポットだってのは刈田から聞いたんだっけ。どこ情報?」
朝川が向けてきた視線を跳ね返すように、刈田は静かに言った。
「塾で一緒になる子から聞いた」
「そーなんだ。あれが心霊スポットなのか」
朝川はそう言うと、屈伸を始めた。照内が顔を引きながら笑顔で言った。
「何してんだ?」
朝川は足を伸ばすと、元の体勢に戻って言った。