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オオサカタロウ
オオサカタロウ
novelistID. 20912
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Jolt

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「なんでそんなとこに?」
「そういうのを守らないから、クビになったんだと思う」
 照内は元々ルールを守らないタイプではあったが、危険から距離を置く術も心得ていたように思う。朝川が青信号に合わせて車を発進させ、刈田は記憶を補うように流れ始めた景色を眺めながら、言った。
「慣れてきたら、危険に気づかなくなるのかな」
 返事はなかったが、仕事に関係のないことでこれだけ長い時間人と話すのは、大学を卒業して以来なかった。しばらく無言を貫いていると、準急すら見向きしない最寄り駅が遠くに見えてきて、いよいよかつての地元に帰ってきたという実感が湧いた。刈田は朝川の方を向いて、言った。
「実家に行くのか?」
「そうだよ」
 朝川は短く答えると、田んぼに挟まれた農道に折れて、民家がまばらに並ぶ方へ車を進めた。先のほうに、かすかに県民の森が見えている。おぼろげな記憶の中の景色よりも、はるかに目の前に感じた。
「あんなに近くだったんだな」
 刈田が言うと朝川は小さくうなずき、実家の裏手に車を停め、エンジンを切るなり降りた。
「うちの人間は全員、会館に集まってる。焼香だけだよな?」
 刈田はうなずいた。ここでは、ひっそりと死ぬことは許されない。通夜から葬式までが必ず決まった場所で行われる。話していて改めて思ったのは、三人全員が、何をしても集中力が続かないぼうっとした人間になったということ。朝川がターンできなくなったというのは初耳だった。今もそうだが、車酔いが酷くなったような気がする。
 静かなあぜ道を歩いていると、朝川が太陽の出ている方角を指差した。
「宮市家はまだあるぞ」
 刈田は、朝川が指した方向に目を向けた。ちょうど、開いていた二階の窓が静かに閉じられるところだった。
      
 宮市麻衣は、去年大学院を修了した。二十七歳で、今年の春から製薬メーカーに就職する。代々、製薬にゆかりの深い仕事に関わっており、麻衣の進路も高校で理系に進み、薬学部を志した辺りでおのずと決定されていたようなものだった。自分の体の延長のような、居心地のいい実家。よく交流があった祖父は、麻衣が大学に進学したのを見届けて安心したように亡くなり、両親は健在だが年齢は確実に刻まれている。
 三月に引っ越しを控えているから、この家にいるのもあと二週間ほど。一階の居間でコーヒーを飲んでいると、一階へ降りてきた母の江美子が言った。
「今日は告別式ね。喪服の人がいっぱい歩いてる」
 麻衣はコーヒーから上がる湯気に目を細めながら言った。
「工事現場で亡くなった人?」
 江美子はうなずき、町内会の回覧をスマートフォンで開いた。麻衣は昔と変わらない仕草で首を伸ばし、江美子の手元を覗き込んだ。
「照内って、聞き覚えがある」
「バイクでよく走り回ってた子だね」
 江美子が言うと、麻衣は記憶のどこにも接点を見いだせないように、困ったような表情を浮かべた。
「バイクか。いつぐらいの話?」
「麻衣が中学校に上がったころかな」
 昨日のことのように言う江美子の口調に、麻衣は笑い出した。
「いやいや、大昔だよそれ」
 当時は、公民館で開かれる『塾』に通っていた。厳しい先生で、怒られるのが嫌だったから、事前に大学進学を控えた高校生に勉強を教えてもらい、予習していたのを覚えている。確か、刈田という名前だった。
「三十二歳ってことは、私が中一のときは十八だったってことか」
「宮市麻衣、十三歳。心霊動画に熱中してた時期よ」
「えー、そんな時期あったっけ?」
 麻衣が言うと、江美子は苦笑いを浮かべた。母親は娘が生まれてから今までずっと大人だったから、ほとんどの出来事を大人の頭で覚えているが、娘は成長過程である分、その記憶にはかなりの濃淡がある。
「パパが全然怖がらないから、お風呂に入る前を狙い撃ちにして怖い話を聞かせてたでしょ」
「あー、思い出してきた。ちょっと恥ずかしいかも」
 麻衣は頬を紅潮させながら、顔を伏せた。江美子は呆れたように笑いながら、仏壇の方に目を向けた。
「お爺ちゃんは、随分熱心に聞いてくれてたわね」
 母方の祖父である梶山時雄は、麻衣の話を否定しなかった。大学進学が決まったときに七十五歳で亡くなったから、怖い話を聞かせていたころはすでに七十歳。中学生が早口で話すまとまりのない内容に、辛抱強く付き合ってくれた。麻衣は少しずつ蘇ってくる記憶に目を細め、コーヒーをひと口飲んだ。
「怖がることもなかったけど、それは私のスキル不足か」
「人生経験が長いから、多少のことでは怖がらないわよ。怖い夢を見たって言ったら、いつも富士、鷹、なすびって言ってたの、覚えてる?」
 江美子が言うと、麻衣は笑い出した。
「思い出した。私、フジタカなすびって名前の人がいるんだと思ってた。ちゃんと一富士二鷹三茄子 って言ってくれたらいいのに」
「気が早い性格だったからね」
 江美子はそう言って、家の外に意識を向けた。
「麻衣、当時は本当に霊障とか呪いはあるのかって、すごく気にしてたね」
「色々、思い出してきた。あるわけないよね」
 麻衣は段ボール箱の中に整然と収められたDVDのことを思い出し、二階を見上げた。刈田は自分が一年生のときによく教えてくれたが、二年に上がってからはその姿を見かけなくなった。怖くない先生に変わったことで予習の必要もなくなり、いつしかその存在を完全に忘れていた。
「私、刈田って人にもよく怖い話してたと思う。確かこの辺にも心霊スポットあるよね?」
 麻衣が言うと、江美子は麻衣の記憶を試すように、笑顔を見せながら言った。
「刈田さんね。塾で勉強教えてくれてた子でしょ。確か、赤い屋根の家だったかな?」
「そう、そうだよ。思い出したー。冬に行ったらダメなところ。その話も、刈田さんとした気がする。でも、あの人確か、冬休み明けたら来なくなっちゃったんだ」
 麻衣はそこで現実との接点に初めて気づいたように、顔を上げた。
「亡くなった人と同い年なら、友達かな?」
 江美子は答えを求めるように宙を見た後、うなずいた。
「刈田さんは、照内さんと朝川さんの両方と仲が良かったわ。もしかしたら、帰ってきてるかもしれないね」
     
 会場には、知らない顔と、知らないことにしておきたい顔が半々ぐらいで、刈田は足早にロビーを突っ切ると、ちょうど列ができていない会場の中に入り、飾られた写真を見上げた。そこに写っているのは高校時代の照内で、自分が死んだということに気づいていないような笑顔を見せていた。そのときは生きていたのだから、当然と言えば当然。焼香を済ませ、朝川が続いた。刈田は誰とも目を合わせることなく会場から出て、時計を見た。朝の十時半。とりあえず用事は済んだ。朝川に駅まで戻してもらうのも悪い気がする。
「メシとか食べたのか?」
 追いついた朝川が、隣で言った。
「腹は減ってない。帰るわ」
 刈田はそう言うと、返事を待つことなく歩き出した。あまり長居すると、あっさりと見つかるかもしれない。朝川がすぐ後ろをついてきているのが、足音で分かった。
「帰りはどうするんだよ」
「歩く」
 刈田が短く答えると、肩越しに朝川が笑った。
「日が暮れるぞ」
「暮れたらその辺で寝るよ」
作品名:Jolt 作家名:オオサカタロウ