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HERRSOMMER夏目
HERRSOMMER夏目
novelistID. 69501
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* シュトルム文人交遊録: 恩寵と秘蹟の物語より

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 施設では、彼は生き生きしているらしい。というのも、施設の関係者がよく理解し、彼の心持をくみ取っているからだ。つまり、彼にいろいろとマニュアル的に指導していくよりは、聞き手に回ってとんぼくんの云うことを受け止めている。彼は教職の経験もあるから、いつも教官兼、研究者の立場になって、言説を振り回し、教え込むという立場に身を置いている。そうすることで彼は健全さを取り戻し、気分がすぐれて日々送っているらしい。
 いや、僕の云うことを聞く耳を持って施設の教官はよく聞いてくれますし、彼らは僕から知識を豊富に受け取って満足しているよ。などと彼は充実感を味わっているらしいのだ。こうくれば施設の教官が逆に、何倍も理解を示し、人間が上回っていると思えるのだが、事実はいざ知らず、職務上ということもあるのかもしれない。施設に入ってくる人の健全化が任務であるからだが、やはり苦労は並大抵ではないだろうと察しはつく。
    *- * )

 じゃあまた、手紙を書くから、きみのほうからもいろいろな経験を書いて聞かせてくれよ、待っているから。では、Wiedersehen!いや、Auf Wiederhören!
くりかえすが、とんぼくんは才能もあり、日頃は、健全ではあるのだが、その圏外に時おり飛び出してしまうのがいけないとは彼もちゃんと分かっているのだ。だから、その健全な彼と付き合うのが至上ということになる。彼のいつも穏やかでシャイで、笑顔だったのが目に浮かんでくる。・・
     
【桑子道之助氏の優雅な青春交遊・抄 より】

   * - )) *- 

リュッケルト ;Rückert :Du bist ein Schatten

 綿雪のように白く穏やかで、いつも、にこやかな渡邊美沙貴くんの専門はドイツ前期ロマン派の詩人ノヴァーリスNovalisである。その彼女に道之助はある時、大学近くの喫茶店APFELで珈琲を飲みながら訊いてみる。きみはこんな詩を知っているかい。こんなのを、と云って口にしたのはリュッケルトの詩の一節である。:

晝間に きみは 陰なれど  
夜には きみは 耿となりぬ;
 わが嘆きのうちに 生をなし
わが心奥にて 死ぬることもなし

いいえ、知らないわ。でも、いい詩なのね、と彼女は誰の詩なのとも訊かずすぐに乗ってきた。彼女のいいところは素直さにある。リュッケルトと云って19世紀の詩人だが、この詩人は東洋学者でもありオリエント文学にも造詣が深く、いろいろと研究もしている。ぼくはこの詩にdtvのDeutsche Lyrik vom Barock bis zur Gegenwartを読んでいて出会ったのだが、ほかの気に入った詩とともに訳してみたんだよ。短い詩で、容易な詩だから直ぐに理解は出来た。だが、なかなかうまい語彙が浮かんでこない。いつもは語彙の解釈が難しく、なかなかうまく訳せないのが多いのに、この詩は逆だった。訳は簡単なのに、いい訳語が浮かばない、美しい語彙の詩にはならない。どんなものかなと思いあぐねていると、日夏耿之介という難解でエロスに富む西洋風な詩を書く詩人が思い浮かんできた。耿之介の耿が光という意味だと嘗て、読んで知っていたのを想いだしたんだな。すると、光を耿と置き換えただけで、素晴らしい詩に思えてきたんだよ。こういうことって、よくあることだろう、翻訳にも長けたきみのことだ。ええ、ないことはないわね、いい訳語が浮かんでくると、訳文まで輝いて見えてくることが。私は詩の訳より小説や評論を読んで訳すことのほうが多いのだけれど、わかるわ、その気持ち。と美沙貴は微笑んでいる。私、でも、19世紀のものには弱いの、ロマン派には少しは詳しいと思いますけれど。リュッケルトは、ですから、知りませんでしたわ。 またまた、そんな謙遜して、でもまあ、きみはよく論文は書いて論集に発表している才媛だからね、なかなか奮闘しているじゃないか。嬉しいわ、そう言ってくれて。この後には、こんな風につづくんだよ:

 われ きみを訊ぬれば  
きみより 知らせの 届かぬはなし 

 きみ わが嘆きのうちに 生をなし 
わが心奥にて 死ぬることもなし

 ほんとう いい詩だわ 短いリフレインで 出来ているのね ほんとうにいい詩だわ あなたの訳語に対するこだわりも、よく分ります、と彼女は嬉しいことを云う。ところで、学者詩人のことをフィロローゲン・ポエッテンというのは知っていると思うが、リュッケルトもそんな雌雄具有の詩人なんだ、他によく知られた詩人でいえば「色彩学」Die Farben-Lehreなど研究書も数多く書いているゲーテもそう言えるな。
       * - ( ((

   この才媛の彼女は、ある時、話題につられて漏らしたことがある。わたくし、結婚は考えてはおりませんのよ。しないまま研究生活に没頭しているわ、ずっと。愉しいですもの、充実した時間がもてますもの。道之助はそれを聞いた時、へえ、と思ったに過ぎなかったが、それから10年近くたって同窓の斎木くんが結婚もし、男の子が一人いても児童翻訳で奮闘しているのをみるにつけ、美沙貴の意思は堅く、惑わされてはいないのを知って驚いていた。
  今時の女性で結婚しないで溌剌と勤めている女性を道之助は何人も身近に知っているが、彼女は色々な面で恵まれすぎているからだろうか。あたりの柔らかく爽やかで、笑顔がなんとも魅力的な彼女なのだ。・・
 彼女の叔母は聞けば、若いころS.湘海岸で準ミスになったとか。美人の家系かといえば、朗らかで悪戯っ気もあり頓着しない年下の叔母はそうでもない。彼女は何でも隣に住むよく知られた歴史家H.羽五郎と大声で庭の垣根越しに、ああのこうのとふざけてはやり合っていたらしい。ほんとかいな、名の知れた歴史家がそんな相手にしてくれるかいなと思うのだが、それが若いころからの馴染みであれば、また性格的にも自由磊落で明るく頓着しなければありうることかもしれぬのだ。 桑子道之助氏の優雅な青春交遊・抄 より

    *- *- )) : エラリ・クイーン

道之助は、話題を決めると、徳丸くんを摑まえて日本語を使わずに話しかけることがある。徳丸くんも、それを待ってましたとばかり、流暢に話題に乗ってくる。或る時は、珈琲を飲みながら、彼の助手室でこんな話を持ち掛けていた。
 Herr Tokumal, du kennst ja natürlich den Verfasser Ellery Queen ,nicht wahr?
Ja, gewiss, Er ist der berühmte Kriminal-Schriftsteller. Ist das richtig ?
Du kennst ja dann also freilich ,wo er bewohnt hatte ,Herr Tokumal?
Ja, ja, natürlich . Er ist amerikanisch .Ist das richtig, Herr Natsuzato ?