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HERRSOMMER夏目
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* シュトルム文人交遊録: 恩寵と秘蹟の物語より

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   そんな西山とんぼくんに、ある時、道之助は訊いたことがある。きみはよく詩も書いているから、勿論、シュトルムは知っているだろう。まあな、それくらいは、わが国では翻訳もでていて、よく読まれているから。ところが、こんなことを書いている著名な評論家K.周一もいるから面白い、つまり、シュトルムはよく読まれ、愛読者も多い。だが、それはわが国と生まれた国ドイツに限ってということである。他の国では、寧ろ、まったく無名と云ってもよい。ね、実に面白く鋭い見解じゃないか。なるほど、実におもしろい、だが、ばかばかしく聞こえないこともない。評論家の一種の自己韜晦的言い回しでもあるし。だから、真に受けなくてもいいと、とんぼくんも負けてはいない。
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  ところで、シュトルムの文人交遊録だが、ちと面白いと思ってね、結構、幅広く、当時に名を馳せた詩人や小説家との。聞こうじゃないか、きみのその蘊蓄を。まあ、蘊蓄と云えるほどのこともないが、シュトルムは38歳の時には13歳年上のメーリケと文通して知り合い、その5年後にはメーリケを訪ねてもいる。 メーリケは知っているだろう、「画家ノルテン」Maler Noltenなどを書き、そこに数々の詩文もちりばめた教養小説だが。優れた抒情詩人が小説を書くと、そんなふうになるいい例かもしれぬ。 同じように小説に詩文を散りばめている詩人にアイヒェンドルフ Eichendorffもいるがね。
 彼のよく読まれているものには「幻の大理石像」Das Marmorbildがあって、まあ、翻訳の腕試しに訳したこともあるのだが、このアイヒェンドルフとは、シュトルムが37歳の時に知り合っている。 勿論、アイヒェンドルフは19歳も年上の円熟した詩人なのだが。この二人との出逢いもあって、シュトルムは抒情詩人として出発もし、影響も受けている。特徴はきみも好きなように、素朴な内面性であり、音楽性にも富み、くらい北ドイツの郷里への愛着からくる憂愁に満ちている。そんな特徴が語彙にもよく表れていてwehmutigだの、innigだの、stimmungshaftなどの形容詞がよく使われているところにもあらわれているんだなあ、と道之助は少し一気呵成にしゃべりすぎた。すると、案の定、とんぼくんは其処をついてきた。なるほど、わかった、だが、ちと、先を急ぎすぎているせいか、薄っぺらに聞こえる、なんて細かいことは云わぬことにするが、無論よくわかる、その通りだと思うよと、とんぼくんはにやりと表情を崩して言った。
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シュトルムは1852年には、2つ年下のフォンターネFontaineとも出会っている。きみ、知っているかい、彼のことは。いや、ちと、知らんなあ。どんな作家なのだい。うん、フォンターネはフランスの亡命新教徒で小説に関しては遅咲きだが晩年になってユニークな大作を次々に発表した。まだ若いころは、バラードに優れた才能を発揮していたにすぎない。文学サークルのシュプレートンネルに入って。彼はもともと、通信員だったらしい。それがのちに大作を書くのに役立ったんだね。若いころの見聞が大いに生かされているいい例かもしれぬよ、とんぼくん。そうだな、参考になる。
それで、その大作とはなんだい。
 彼は59歳にして初めて長編「嵐の前」Vor dem Stormを書いたのだが、この作品の特徴は、筋らしきものは遅々としてあまり進展せず、ここらはシュティフターの「晩夏」に負けず劣らずなのだ。
 「晩夏」Der Nachsommerといえば思い浮かぶのが、毀誉褒貶が極端だった、知っているだろう、批評家ヘッベルは認めなかったが、ニーチェは褒め称えたことでこの作品は、よく知られるようになる。

    「嵐の前」は、或る村の村人の生活を対話を通してつぶさに描いて、ナポレオンの敗走を背景に、歴史的洞察にも長けていた。きみの好みそうな作品じゃないかと道之助がいうと、まあな、機会があればやってみたい手法だと、とんぼくんは意外と素直に頷いて見せる。期待していいかな、というと、きみこそ、やってみたらいいじゃないかと妙な掛け合いになって、二人とも、にやりと笑った。
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 因みに、シュトルムは48歳の時、一つ若いロシアの文豪ツルゲーネフと知り合い書簡を交換しているが、それはともかくも、ドイツの文豪に戻ると、60歳の、謂わば、還暦の時には、2つ年下のケラーとも知り合い書簡の交換が始まっているし、68歳の時には14歳も若いブラウンシュヴァイクの文豪ラーベW.Raabeとも出会っているのである。この両文豪についてとんぼくんに訊いてみると、ゼルトヴィラのケラーは知らぬこともないが、ラーベに関しては皆目、耳にしたこともなく初めてだなどと心細いことを云う。おいおい、と思ったが、道之助は少しだけつけ足してみた。
ラーベは「青春彷徨」ペーター・カーメンチントや「車輪の下」Unterm Radで知られているヘッセとも出会っているのだがね、というか、デビューして今を時めく壮年作家ヘッセが年上のラーベに書簡を送っている。彼はラーベの作品を何冊も愛読し、少しく違和感を覚えつつも尊敬の念を示したのだね。いや、素晴らしい出会い、真情の吐露が翻訳しつつ聞けてよかったものだが、というと、とんぼくんはヘッセはいい、ぼくも好きな作家だ、作品も人生の生き方もというのである。

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とんぼくんとは何度も手紙や電話で話すことも暫くはつづいた。が、それがぱたりとやんでから7、8年後のことである。久し振りに電話をしてみると、彼のお母さんが出た。そして云うには、いま、あの子は施設のお世話になっていまして、家にはおりませんの。週末には戻ってまいりますけれど、という。施設とはと怪訝に思ったが詳しくは聞かないまま、道之助は手紙を書くことにした。すると、とんぼくんから手紙が10日ほどして届いた。文面はしっかりしていて元気のようだが、字体がナメクジのはったように読みづらく、可笑しな、いや、可変なのに気付かされる。おいおい、・・

  とんぼくんは聞くところによれば、普段はおとなしく、孤独を好み、読書を好み、いろいろと研究成果を披瀝するのを好みすごしている。時には旅にも出る。ところが、なにかの折り、大声を出し騒ぎ立て手に負えないことがあったという。それが一度きりで済めば何ということもないのだが、度重なると、ついに、施設の世話になっていたのだ。
  本人によれば、いや、至って普通ですよ、精神も肉体も健全で、ちゃんとすごしていますから、と書いてよこす。寧ろ、理解してくれない周りのほうが無知蒙昧、浅く詰まらない気がしてなりません、などと健全ぶりを云う。本当にそうならいいのだが、そして、その通りだとは思いたいのだが、世間は意外と、そうはいかないのだ。そこがなんとも、嫌らしい。