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やさしいあめ4

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 自分が触れないこと、関わらないことが一番だと思っていた。何が大切か分からないから、何にも触れられない。けれど、それでは自分は会社で何もしないことになってしまうのも分かる。働きもしないで給料だけはもらう、お荷物で邪魔な社員だ。けれど、勝手な話だが会社を辞めることはできない。弟は大学に行くのだ。優秀な国立大に行く。予備校のお金もかかる。大学に行ったら、弟は一人暮らしをすることになるし、そのための生活費も、弟が伸び伸びと学業を行うために、バイトをさせて自分で稼がせるなんてことをさせるわけにはいかない。けれど、この自分の不甲斐なさ。せめて、この仕事が大切なものではないと言う確信さえあれば踏み出せるのに。それなら何も問題なく、その仕事に従事できるのに。

「なんなの。大事な仕事じゃなければ問題なく行えると思うとかさ。大切じゃない仕事なんてないよ。仕事馬鹿にしてるの?」

「そんなつもりじゃ……」

「きみ、病院行った方がいいよ、メンタルの方の。嫌味で言ってるんじゃないよ。きみのためを思って言ってるんだよ。潔癖すぎて、仕事にも支障出てるでしょう。マトモに働いたことないじゃん。このままじゃやっていけるところなんてないよ。そのこだわりをどうにかしさ、それからじゃない? 迷惑かけてるのも分かるでしょう? ここ辞めたって、同じことの繰り返しだよ。潔癖くんさ、きみ、末期なんだよ、いろいろとさ」

 でも、辞めるわけにはいかないんです。弟が大学に行くんです。

「こっちもさ、慈善事業じゃないんだよ。おかしいでしょう。働かない人間を雇い続けるなんてさ。大切な仕事じゃなければこなせますって、ふざけてるよね? 仕事はどれも大切だよ。そしてチームワークだよ。きみ、チームもワークも無視して。みんな迷惑してるんだよ。そんなにお金が欲しいならさ、誰にも迷惑かけないで作れるまとまったお金、あるでしょう? きみにはその方が簡単なんじゃない? ああ、僕に言われたからしましたとか言わないでよ、絶対。パワハラじゃないからね、なあ、至極当然のことしか言ってないよなあ?」

 部下たちに尋ねた課長に誰もが頷いた。心から納得して賛成しているようだった。それも当たり前だ。僕は迷惑しかかけていない、給料泥棒なのだから。

 その通りだ。自分なんて死んでしまえばいい。死んで、そうして少しでもお金が残せるのなら。生命保険に入っていたはずだし、死んでしまおう。首を吊ろうと思って部屋にロープをつるすのに適した梁がないことに気がついたけれど、ドアノブでも首を吊れることを思い出して、そうしようと決めた。ロープを買った。これから死ぬために使うロープが大切じゃないはずがなかった。ロープが壊れてしまわないか気が気じゃなかった。それでもなんとか首を吊ることに成功して、両親や弟に何か声をかけてからそうすればよかったと思ったのも後の祭りだった。

 気がついたら病院のベッドの上にいた。もしや、生きている?

「お前、何をしたのか分かっているのか」

父が唸るように言った。

 自殺に失敗した。分かっている。申し訳ない。生きていて。

「どうしてそんなことを言うんだ。気づいてやれなくて申し訳なかった」

「兄さん、ちゃんと言ってくれなきゃ分かんないよ。兄さんが苦しんでいるのに、僕はぬくぬくと大学に行くことなんかを考えてたんだ」

 弟は泣いていた。弟にとって自分は臆病だが優しい兄という地位を保っているらしかった。弟は見当違いのことを言っている。大学に行くこと、それは弟にとって当然の権利であ優秀さ故の義務でもあるのだ。

「僕は自分の命が大切なのか試してみたんだ。分からなかったから、大切なのか違うのか」

「でも、もう分かったでしょう。助かったんだから、大切なんだよ」

 いや、それは違う。僕が真正面から触れようとして壊れなかったのだから、大切じゃないのだ。それが分かった。

 命が尊いと言う言葉は自分には当てはまらない。でも、自分では壊すこともできないらしい。誰かに壊してもらうしかない。それを待つしか。絶望的な気持ちだった。

 心配していたのに、優秀な弟はバイトをはじめて上手くやり出した。大学に合格し、しっかり通っている。

 僕はと言うと仕事をやめて、相変わらず触れたものが壊れるのだと怯えていた。それなのに自分のことは壊せないと悩んでいた。誰かに壊してもらえる日を待っていた。そうして一年が経ったある日、ハッとなにかが切れた。

 僕は本当に何かを大切だと思っていた?

 僕なんかに何かを大切だと思える心があるだろうか。あまりに劣った僕がそんな尊い思いを持てたりなんかするはずがない。僕が触って壊れたものってなんだ? 僕は何も大切だなんて思ってなんかないに違いない。壊れたものは壊れる運命にあったから壊れただけで、僕が大切だと思い僕が触れたせいで壊れた大切なものなんて一つもないのではないか。僕は何一つ本当に大切だなんて思ってなかったのだから。

 触れて壊れたものを探す。トイレットペーパーは無意味に細かくちぎれるじゃあないか。僕はトイレットペーパーなんかを大切に思っているのか。いや、誰にとっても大切なものだ。生活必需品だ。いや、論点はそこじゃない。僕が本当に、そして特別に大切に思っているのか、それ故に壊れたものなのか、だ。答えは否。僕はそれほど大切には思っていないはずだ。なかったらなかったで別のもので良い。じゃあ、昨日割ってしまったコップはどうだろう。あのコップがそんなに大切だったか? 否。思い返してみて、僕の特別に大切なものが壊れた姿というのは見たことがないと気づく。触れないようにしてきたと言うこともあるが、壊れた大切なものはない。壊れたものは本当に大切なものだったと言う仮定の下に、触れて壊れたものがトイレットペーパーや家に何個もある変哲のないコップだけだったとしたら、僕にとってすべてのものがそれ以下と言うことになる。それより大切に思っていないなんてことがあるか。否。つまり、壊れたものはどうであっても壊れるものだった。僕が触れたせいで壊れたわけではないのだ。

 じゃあ、僕はやはり何も大切に思っていないのだろうか。僕に触れた大切なものを壊してしまう能力があるなら、むしろ触れて壊れるものが何かを知りたい。壊れた瞬間に、それが僕にとって本当に大切なものだったと分かる。僕も大切だと思う心があったと知れて安心する。安心するのか? 僕は何一つ大切だなんて思うべきじゃないのに? でも、もう何にも触れないで生活するなんて無理だ。

 僕はこれからいろいろなものに触れてみせる。それで、壊れたものがあったらそれを抱いて死を待つ。寿命まで生きなければならないのかと思うとうんざりする思いだが、誰かがちょうどよく僕を殺してくれるとは限らないのだから仕方ない。けれど、大切なものを胸に死ねるなんてなかなか良い最期ではないか。

 美鈴にも触れてみようか?

 しかし、暗い部屋を出たとき、美鈴がもうこの世にいないことを知った。美鈴は奔放さ故に手を出したドラッグの過剰摂取で亡くなっていた。
作品名:やさしいあめ4 作家名: