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やさしいあめ4

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 金輪際、弟に触れないようにしようと誓った。弟にはなにも叶わない。ひれ伏すしかないのだ。中本家のためにも、香椎家のためにも、優秀な弟の邪魔をしてはいけない。

 弟にはもちろん、弟の使うものにも触れないようにしようと気を配った。弟そのものが壊れてしまっても困るが、弟の使うものが壊れてしまっても、弟が怪我をするかもしれないし、それが使えないことで弟が困るかもしれない。弟の邪魔をしないようにしなければ、それだけだった。

 きっと自分のこだわりに意味はないだろうことも、自分に触れたものを壊すなんて言う特殊能力がないだろうことも、その頃には分かっていたと思う。それでも、頑なに大切なものに触れないようにする、を守っていた。そうじゃないという保証はないのだから、触れないことが最善だと思った。大切なものが壊れてからでは遅い。壊して後悔するなら、近づくことを我慢した方が良い。大切なものには触れない。それが生きる上での最重要課題になっていた。

 弟の、難しい課題を簡単にこなす頭脳にも、感受性豊かな心にも、賞を取るような素晴らしい絵を描いたり整った字を書く手にも、鍛え抜かれた技能を発揮する運動神経にも、触れない。触れて壊さないようにしようと、弟から遠ざかった。

 そして、自分の気に入っているものにこそ、触れないようにと生活した。
日常にも不便を感じたが、何もできないわけじゃない。大切に思っていないものは触れても壊れないのだから、大切じゃないものはどうでもよかった。とは言え、アンテナを張って見張っていたわけでもないから、どれも壊れていないと言う確証はなかったけれど、大切でもないから壊れていても困らないし構わなかった。

 触れると言うことに酷く怯える僕に弟が不思議そうな顔をしていたから、「壊してしまうんじゃないかと不安なんだ」と言うと、「繊細なんだね」と鋭い思考をする弟には珍しく見当違いのことを言った。それを気を使っていい感じの言葉を言ってくれたのだろうと気づいたのは、だいぶ後になってからだった。

 高校を卒業したら就職して欲しい。両親に言われて従った。その方が弟のため、中本家のため、香椎家のためだと思った。両親が稼ぐことのできるお金に限りがあるなら、僕も働いて、弟のために譲る。それが一番良いと本気でそう思っていた。美鈴はそんな僕に、頼りになるんだね、と言った。同時に冷めた視線もくれた。自分の可能性を試そうとはしないのか、と。それでいいんだ。僕は優秀ではないから。地元の無難な会社に就職を決めた。

 美鈴にも優秀な妹がいる。だから僕らは似ているのではないかと思っていた。けれど、優秀なきょうだいを持っていることだけは同じだけれど、他は全く違った。美鈴は、妹に劣等感を抱くこともできて、妹のくせに、と妹に負けないように自分も頑張ろうとか、そんな風に思える、美鈴は向上心の塊だった。僕は、弟にひれ伏し、負けることを良しとした。それが当たり前なのだからと。美鈴はそうは思わないし、思えないらしい。僕には優秀な弟にはどうやったって敵わないとしか思えなかった。僕らは似て非なるものだった。

 けれど、僕は自分とは真逆の美鈴に憧れ、幼いころと変わらずに好きなのだろう。美鈴はふらふらとしていたけれど、その美鈴の生き方を認め、むしろ自分にできない生き方をしている美鈴に憧れ、自分は愛しているのだと思う。みいちゃんをお嫁さんにしてあげるね、そう言ったときと変わらずに、美鈴のことが好きで大切なのだろう。美鈴の生き方には本当に憧れる。自分と正反対に何にでも手を伸ばし奔放に、縛るものなど何もない。けれど、幼い頃に泣き虫だったあの美鈴の姿が思い出され、美鈴は守ってあげなくちゃ駄目なんだとも思う。今だって、見守って、いつだって手を繋いであげていなければいけないのだと。手を繋ぐなんて僕にはできない芸当だけれど、どこかで僕が守ってあげなければとまだ思っていた。美鈴がふらふらしているのだって理由がある。その理由が認められるか認められないかは、その人の受け取り方次第だと思うし、僕にとっては十分正当な理由だった。揉めていると聞けば、僕には揉め事の起こし方さえ分からないと、そんな美鈴にさえ憧れた。優秀なきょうだいを持ってしまったが故、その反発心。そんな心にすらも僕は憧れた。

 けれど、もし美鈴が僕のことだけを見てくれたとしたら、途端に僕は自信を失うだろう。欠片ほどにしかない自信なのに、それすらを失ってしまう。僕には何も残らない。美鈴が触れて欲しいと言ったら、僕は狂ってしまうかもしれない。美鈴を愛しているのに、美鈴を恐れていた。僕の弱々しい人生の灯を、美鈴は一瞬で吹き消すことができる。

 そして、きっと僕が触れた瞬間には、美鈴は壊れてしまうのだ。

 触れたものが壊れるという呪い。それが、おもちゃをすぐに壊してしまう息子へ、普段から乱雑に扱う上に、癇癪持ちで手が付けられなかった自分への注意を促そうと言う意図でかけられただけの言葉だったとしても、これ以上物を壊されるのが面倒だと疲れて言い放っただけだったとしても、僕はもう二十年以上、それを守って生きてきたのだ。それに縛られているのだ。今更、違う生き方はできない。呪いだ。僕は呪われている。

 就職先では「潔癖くん」というニックネームをつけられた。最近、どれが大切なものでどれが大切じゃないものなのか区別がつかなくなってきていて、どれが触ってはいけないもので、どれが触っても大丈夫なものか分からなくなっていたから、何もかもが壊れてしまうような気がして、何にも触れることが出来なくなっていた。「潔癖くん」というニックネームだって、陰口とは取らずに、好意的なニックネームだと思うことにしている。大切に扱っていたら壊れるのかもしれないし、壊れないと言うことは、僕が本当は大切には思えていないと言う証拠だ。触れて壊れるのは、物だけじゃない。心だけじゃない。ニックネームだってきっと壊れてなくなるのだろうし。でも「潔癖くん」は一向に壊れない。つまり、大切なものじゃないのかもしれない。

 触れると言うのは、手や体が直接当たると言う意味だけではない。言葉でも触れられる。心と心の触れ合いもある。頭脳と頭脳のぶつかり合いもある。すべてが触れ合いからなる。いつ間にか、僕の生活は立ち行かなくなっていた。

「潔癖くんさー、仕事にも触れないの?」

「自分が関わったら駄目になる気がして」

「つまり、働きたくないと」

「そうじゃないんです。本当に僕が関わったら壊れてしまう気がするんです」
作品名:やさしいあめ4 作家名: