短編集101(過去作品)
欲と湧き水
欲と湧き水
欲というのは、人間にとって一番果てしないものかも知れない。
食欲、物欲、金欲、性欲、いろいろあるが、それぞれが微妙に密着しているのかも知れない。
強欲というのは、あまりいいイメージで受け取られることはない。それは三郎の思い込みかも知れないが、小さい頃からの育ってきた環境から、
――禁欲こそが、人生を生き抜くためのものだ――
と、自然に思ってきた。
そのおかげで、三郎は食うに困らないだけの遺産を手にしたのだが、さすがに父親が死んで、しばらくして母親にも死なれた時はショックだった。
高校を卒業すると、田舎の生活が嫌になって、都会の大学を受験し、都会で一人暮らしを始めた三郎だったが、そのことへの後悔など一度もしたことはない。むしろ、初めての一人暮らしを堪能していたと言ってもいい。あまり細かいことを考える必要のない大学時代を都会で楽しく過ごしたのである。三郎にとって、至福の四年間だったに違いない。
それでも中学生の頃までは考え込む性格だった。考えても所詮世間知らずの中学生が考えること、浅はかであったに違いない。だが、何かを考えていないと不安だったということでは、中学生だったからこそと言えるだろう。
どちらかというと三郎は天邪鬼な性格であった。人から指示されることを嫌い、特に先にしようとしたことを言われてしまうと、意地でもしないような強情さがあった。いくらそれが正しいことであっても、自分の意志に水を差されたことを嫌うのだ。
人間誰しも天邪鬼なところはあるだろう。特にやる気になっている時に水を差されるのは、梯子を掛けて上ったはいいが、その梯子を誰かに外された時に感じる気持ちになるのと同じである。
恥ずかしくもある。誰かにそんなところを見られると、どうしていいか分からないようなバツの悪さを感じるからである。最初のやる気があっという間に恥ずかしさやバツの悪さに変わるのは、三郎でなくともたまらない思いになるだろう。
ただ、どれだけの人がそこまで考えるか分からない。意外とあっさりとその状況を受け止めてしまうのではないだろうか。三郎には他の人が何を考えているか興味がある。それは自分に対してということではなく、自分が考えていることに対して、他の人がどれほど同調できるか、あるいは、他の人の考えていることにどれだけ自分が同調できるかということだった。
だが、それも平行線ではどうにもならない。大学に入って何気ない会話を友達と続けている中で、一層平行線のイメージが強くなっていった。案外他愛もない会話の中にこそ、見えないものが見えてくるなどという皮肉なことが往々にして存在しているものなのかも知れない。
三郎はあまり身体が大きい方ではない。いっぺんにたくさんのものを食べることができない方であろう。しかも、最初の数ヶ月は一日二食がほとんどで、あまり朝食を食べることをしなかった。
田舎で親と住んでいる頃は、キチンと三食食べていた。しかも、そのほとんどが決まった時間で、一日の生活リズムは食事の時間を中心に決まっていたと言っても過言ではないくらいだ。
元々田舎ではいろいろなことが起こるわけではない。同じ二十四時間でも、余裕がある二十四時間なので、食事の時間がキッチリと決まってくるのも当たり前といえば当たり前だ。
だが、三郎の身体はあまり決まった時間に決まったことをすることに耐えられなくなっていた。元々苦手だったのだろう。それを序実に表しているのが、食事の時間の苦痛だった。
特に朝食は嫌だった。
朝起きてから顔を洗って歯を磨いてからの食事になるのだが、毎日がご飯に味噌汁、さらに海苔に生タマゴ。海苔と生タマゴはまだいいのだが、毎日同じ味付けの味噌汁や、水分が多めのご飯はきつかった。飽きが来たと言ってもいい。
田舎に住んでいると、農家の生活にも密着していて、昔からモノを大切にしなければいけない精神というのは、暗黙の了解のようになっている。子供心に分かっているので、改まって言葉で言われることを嫌った三郎は、嫌でも仕方なく食事を無理やり喉に通していた。
時にはお茶で流し込んだり、嘔吐を我慢しながら味噌汁を流し込んだりしたものだ。一人暮らしを始めるに当たって、一番嬉しかったのは、苦しい朝食を食べないで済むことだったくらいである。
しかし、不思議なものである。あれだけ嫌だった朝食なのに、大学に入学して数ヶ月で好きになってしまった。
大学の近くには喫茶店が多い。大学通りと言われるところは得てしてそうなのかも知れないが、朝の七時くらいから開けている喫茶店も珍しくない。
「モーニングサービス」
という看板が目立つ。大学入学当時は、自分が結構単純な頭をしていることに驚いたが、それも新鮮であった。「サービス」という言葉に過敏に反応したのである。
田舎から都会に出てきて、別に田舎の純朴さをあからさまにしようとは思わない。だが、逆に背伸びして都会に染まろうと思うのはさらに愚の骨頂だった。普通に行動しようと思うと、その時に感じたのが、
――意外と俺って単純なことが好きな性格だったりするんだな――
ということであった。
駅を降りてからの大学通りまでは、駅前の狭い道を歩いて出ることになるが、その間に喫茶店やブティック、軽食屋と軒を連ねている。中には小さな雑居ビルに数件の店が入っていたりして、若者の街として名高い店が凝縮されていたりする。
そんな中で地下に入っていく喫茶店があるが、三郎はその店がお気に入りだった。入学してすぐに、クラブ勧誘の目的で連れて行かれたのが最初だった。
田舎から出てきて、ただでさえ大学通りに仰天していた三郎にとって、大学の先輩から連れて行かれた喫茶店では、まさに緊張のため、最初は受身だった。
その時には、同じような新入生が数人一緒だったので、まだ何とか聞いた話の端々を覚えているが、二人きりなら、きっと舞い上がってしまって、何を話していたか覚えていないだろう。
さすがに、入学してすぐで、クラブやサークルまで頭が回らなかったこともあって、質問する話題すらなかった。一緒についてきた人の中には熱心に質問している人もいたが、そこまでどうして熱心になれるのかと思うと、滑稽な感じがしてくるくらいだった。
先輩の話には、失礼ながら、これといってためになる話はなかった。ありきたりな話ばかりが口から出てくるので、却って退屈してしまい、時間がなかなか過ぎてくれなかった。
最後の方にはだいぶ余裕もできてきて、少しあたりを見渡せるようになった。すでに受身ではなくなっていたが、かといって、興味のある話ではないため、時間をもてあまし始めたのだ。
最初に入ってきた時は、暑いと感じていたが、次第にぐっしょりと掻いた汗が乾いてきて、風を感じるくらいになっていた。
店の名前は、喫茶「モノトーン」、シックな雰囲気と、店内に流れるクラシックのメロディが印象的だ。
地下にいて窓もなく、入り口の扉もしっかり閉まっているのに、風を感じるのもおかしなものだ。別にクーラーが入っているわけではない。換気のためのファンが回っているだけだ。
作品名:短編集101(過去作品) 作家名:森本晃次