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エクスカーション 第4章 (磁気変動の始まり)

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「俺の理解では、アフォーダンスは、例えば人がドアとそれについているドアノブを見た時、ドアノブは回すという情報、すなわちアフォーダンスを提供する。ドアノブは回すという行為を提供、すなわちアフォードする。この理論では、客体からアフォードされた人はあくまで自分の意思でノブを回してドアを開けるということらしい。決して客体から押し付けられるようなことではないそうだ。先ほどの自由意思の件からするとアフォードを受けた主体である人は意思が生じる前にすでにノブを回す反応をしているということになる。自由意思の実験結果をアフォーダンスの理屈に入れてアレンジしてみたんだ。そうした方がすっきりする」
麻衣は田島の話にキョトンとしている。岸田は察して言った。
「それが登山の衝動にも当てはまるっていうことか?」
頷きながら田島は麻衣に向かって話を続けた。
「僕には5歳になる子供がいるんですけど、確か1歳になったばかりのことだったと思うんですが、外食に連れて行ったときに店の畳の間でテーブルに伝い歩きをしていて、店の人を呼ぶボタンを見つけたんです。するとしきりに押そうとするんです。初めて見たものなのに押すものだということがわかっているようなんです。さっきの理屈をはめてみると、ボタンが僕の子供に押す行為を誘いかけていたのかもしれないと考えてみたんです。ボタンを擬人化する言い方はいかんですが、息子には押すものだとという理解や意志の起こる前にあるべき行為を促しているという風にです。こんなこと考えていると、自分たちの当たり前に自分の意志でやってる行動も、実は意識に上がる前にすでに起こっているものに理屈付けの処理をしているということになります。言い換えると無意識下で捏造しているんです。山だって実は自分が登ろうと思う前にすでに頭のなかではもう登ることになっている。僕の患者さんも樽前山を初めて眺めた時、もうその時点でアフォードされ準備を始めていた。木下さんのジャンダルムもそれに近いものがあるんじゃないですかね。飛躍するようだけど、人間の行動の本質は案外そこにあるのかもしれないって思うんです。脳の古い回路か何かで処理してるって言うか、意識と反射の間にあるレベルで動いているって言うか・・・」
「後半の話、なんとなく分かるような気がします。私も科学者の端くれですけど、石の研究を抜きにして山に登りたくなるのは理屈で説明が出来ないですものね」 麻衣はそう言うとビールジョッキを持ち上げて一口ビールを飲んだ。田島も岸田もジョッキを手にした。
ジョッキのビールを3分の1ほど残してテーブルに置いた岸田は話題を変えた。
「ところで、木下さん、磁場の逆転とエクスカーションのことなんですが、あれ以降何か新しい情報はありませんか? 日本だけじゃなくて世界的にでも」
「オーロラのような特にこれと言った情報はないんですが、研究室の教授から聞いた話ですとレース鳩の帰還率が近年低下しているのがもしかすると磁場の変動が絡んでいるかもしれない、と言ってました。教授も伝え聞きの情報だと言うことですが」
「レース鳩ですか?」今度は田島が聞き直した。そして、ズボンのポケットからスマートホンを出すと2人にことわりを入れて検索を始めた。日本伝書鳩協会のホームページを開いてレースのデータ表などを見てみるが帰還率の変動はにわかには見て取れない。田島は検索を止めて画面を戻した。その時、1通のメールが入っているのに気が付いた。送り主は精神科医の玉木からだった。開くのを後にするかどうか迷った田島は木下に断りを入れ開いてみた。メールの文書は簡潔だった。
「画像を添付する、読んでくれ」とだけあった。田島は添付された画像を開いた。9月28日の新聞記事の一部であった。

ー鳩レース、258羽帰らずー
 日本伝書鳩協会が主催する秋季レースにおいて、参加鳩の94パーセントにあたる鳩が帰還しないままとなっている。レースは9月26日、富山市において放鳥され、各350キロの距離を飛んで帰巣するものであったが、参加数275羽のうち帰還したのはわずか17羽であった。残る258羽は翌日の27日になってもいまだ帰還していない。協会によるとレースにおいて帰還できない鳩は微増する傾向にあったが、これほどの数の鳩が帰還しない例はかつてないものだという。近年、鳩の天敵である猛禽類が増えていることはあってもこれだけの被害は考えにくく、鳩が帰巣の頼りとしている磁場に大きな変化が出ている可能性があると協会理事は言う。

 田島は新聞記事を読むとスマートホンの画面からしばらく目が離れなかった。そして、ようやく目を離すと画面を岸田に向けながら差し出した。スマートホンを差し出す田島を怪訝な表情で見やった岸田は、スマートホンを受け取ると記事を読んだ。読み終えた岸田は麻衣に「こんな情報が」とスマートホンを差し出すのだったが、麻衣の視線は岸田には向いていなかった。岸田は麻衣の視線が琵琶湖の上方にあるのを認め、岸田もその先に視線をやった。湖面のはるか上空には薄い緑のカーテンのような帯が微風に煽られるかのように揺れていた。それはびわこ花噴水に照らされたライトの反射でないことは明らかであった。

  2

 玲子が住むマンションの自室からは比叡山から比良山にかけての山並みが見渡せる。それらの山々の下方にはわずかだが琵琶湖の一部も見え、天気が良い夕方には遠目ながら湖面のきらめきも見える。玲子はこの光景が好きだった。そして、窓外の景色とともに手すりによくやって来る鳩を見ることも楽しみにしていた。鳩はたいていは2羽だったが日によっては5羽ほどやってくることもあった。糞を落とされることは嫌であったが手すりに並んで止まる姿から感じる穏やかな雰囲気が玲子の心を和ませるのであった。
また、鳩の首の周りの瑠璃色や紫色の輝きとその変化を観ることも好きだった。首の動きや光の当たり具合で変わる明確でないながらもなんとも目を惹きつける輝きが気に入っていた。それは、タマムシや蝶で見られる構造色と言うものだろうか、などというようなことを考えながら見つめることもしばしばであった。
 その日、玲子は休日であった。時々一緒に山に登る友人の真理子と、山ではなくショッピングモールを歩いた。湖畔に立つ巨大なショッピングモールはウインドーショッピングをするだけでもかなりの距離を歩く。2人は最後に入ったアウトドア用品の店で登山用の上下の服を購入し、屋上の駐車場で別れた。屋上からはびわこの南湖が見渡せ、その向こうには逆光のなか比叡山と比良山の連なりが来た時よりも遠くに見えた。