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エクスカーション 第4章 (磁気変動の始まり)

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第4章  磁気変動の始まり

  1

 近年の夏は長い。9月に入って虫の声が盛んになっても蒸し暑さはしっかりと残っている。岸田はどこからともなく聞こえてくる松虫の鳴き声を聞きながら病院の駐車場に向かっていた。夏は長くなっても太陽の軌道は変わらない。8月のそれよりは確実に低くなり、日の入りの位置もまた比叡山の山頂を指標に南にずれていくのがわかるのであった。西空の茜の陽の帯は上から押し縮められるように細まり、そして比叡の稜線に沈んだ。もう一人の男が岸田の後を小走りで駐車場に向かっていた。追いついた男は岸田の肩を軽く叩き、「あとでな!」と声をかけ駐車場の奥に停めてあった車に乗り込んだ。岸田と田島は夏を終わらせるために大津の湖岸にあるホテルのビアガーデンで時間を示し合わせていた。岸田はもう一人の参加者を大津駅に迎えに行く予定だ。
岸田が大津駅前のロータリーに着いたのは7時半を回っていた。待ち合わせのロータリーで減速した岸田は、駅出口正面に立つキャリーバッグを持ち小さなデイバッグを背負った女性を見逃さなかった。木下麻衣は8月に支笏湖畔のホテルで会った時と同じ細かい赤のチェックの山シャツにジーンズ姿で、飾り気のない雰囲気はそのままであった。
 ビアガーデンは今季最終日で客の入りも多くほぼ満席の状態だった。3人は丸いテーブルを正三角形に結ぶ位置に座った。席からは大津港を見下ろし、その向こうに琵琶湖南湖が広がっていた。
岸田は麻衣に再会できたことに気持ちが高ぶり気味であった。田島は岸田の麻衣に対する口調や仕草にそれを見透かしていた。麻衣は北海道で出会った時と変わらず、繕わない笑みと一見無防備とも感じられるほどの屈託のない接し方で2人との再会を喜んだ。そうした麻衣の発する雰囲気に2人の麻衣への好感はますます増すばかりであった。
「琵琶湖の夜景もなかなかのものでしょう? 北海道には函館という名所がありますが・・・」
「広い湖と湖岸を縁取るような夜景がいいです。あの噴水のようなものもライトアップされててきれいです。それにやっぱり大きいんですね琵琶湖は」
「あれは『びわこ花噴水』っていう、なんでも世界最大級の長さがある噴水だそうです。それと、琵琶湖はここから見えるのはほんの一部ですよ。あの向こうにこの南湖の11倍の湖が広がっています」 岸田は正面にすぼまる琵琶湖の北を指し示しながら麻衣に答えた。
「11倍もですか」
「この南湖もいいですが、琵琶湖の魅力は北湖にあります。北の奥琵琶湖って辺りは昔の琵琶湖の自然景観がまだ残っていてなかなかのものですよ。沼とか内湖などもあちこちに人間の手の入らない状態で残っています」 今度は田島が麻衣に話した。
「内湖に手を入れるって護岸工事かなんかですか?」
「いやいや、干拓ですよ。南のものでは干拓されて農地になっているところもあります」
琵琶湖の話をしているところにテーブルにはビールジョッキが3つ運ばれてきた。3人は再会を祝して乾杯をした。乾杯の後、岸田は滋賀県の2人の患者の症状回復と治療の経緯、全員が回復した札幌の小学生のこともかいつまんで麻衣に話した。加藤は5回目の磁気治療の後ほぼ完全に元の色覚を取り戻していた。また、札幌の教育委員会や厚生労働省からは、貴重な情報としてのお礼と専門家等へも検証の依頼を行った旨の返信があったことも加えて話した。麻衣は事の解決に安心を覚えたものの、原因が根拠を示せぬ推論のままであることに一抹の心残りを感じるのであった。それは、岸田にしても田島にしても同じであった。
田島はそうした引っかかりを打ち払うかのように話題を変えた。
「先月北海道で話していた穂高のジャンダルムって、いつ頃から憧れを持つようになったんですか?」
「ジャンダルムは・・・最初見たのはテレビの登山関係の番組だったと思います。確か穂高に山小屋を建てた何とか重太郎という人のことを紹介してました。ロープを肩にかけたそのおじさんの写真の後ろにジャンダルムが写っていました。鮮明な写真ではなかったんですが、その後全容が見て取れる現在のジャンダルムの画像も出たんです。その時ですかね、あれに登ろうって、というより『登らなければ』っていう感じで、瞬間的なものでした」
「今田重太郎さんですね。穂高岳山荘を建てた人。岳沢からの登山道も整備した人です。重太郎新道っていってかなりハードな登りの道なんですが」 岸田が教えた。
「今田重太郎さんですか。それにしても、私その時の惹かれ方って今でも不思議に思います」
「そういう感覚ってありますね。よくわかります。穂高の涸沢なんかに行くと、ガ~ンと見える穂高の連山を目にすると理屈じゃない強い衝動が起こるんですよね。なんかこう、起こるというより、起こさせられているって言う感覚の方が合ってる感じで・・・」 岸田がそこまで話すと田島が後を受けるように話し始めた。
「低音が聞こえなくなった僕の患者さんに最後の外来で聞いてみたんです。なんであの樽前山に登ろうと思ったんですかって。そしたら、最初は支笏湖を観光して午後の飛行機で帰るつもりだったらしいんだけど、前日に支笏湖に着いて湖畔からあの山を見たら、登らなければ!って思ったと言うんです。それで宿に戻るとすぐに従業員に登山道などの情報を聞いて教えてもらったそうです」
「そうなんですか?」 麻衣は興味深そうに相槌を打った。
「ちょっと込み入った話をしてもいいですか?」 田島はこれから話そうとする内容を再会のこんな場でするのはどうか、と躊躇いを覚えながらも切り出した。岸田はなんとなく田島の理屈っぽい話になる予想はしたものの特に嫌な感情はいだかなかった。
「自分の山のことやその患者さんの話を聞いて考えたことなんですが、人間の意思や行動には無意識のレベルの知覚が大きく左右しているということです。型破りな心理学者と呼ばれたギブソンっていう人が考え出したアフォーダンスっていう理論があるんですが、それを少し修正して人間の自由意思問題を絡めて考えてみるとうまく落ちると言うか・・・」
「自由意思問題と?」 岸田が問った。
「そう、人間にはほんとに自由意思はあるのか?ってやつ。木下さんは聞いたことありますか?」
「いえ、知らないです。その、アフォー何とかって言うのも初耳です」
「そりゃそうですね。地学とは縁のない分野ですからね。自由意思って言うのは、人間が自分の意思で何らかの行動しようとする前にすでに脳のなかではその行為を起こしているというもので、実験結果では行為をしようとした0.35秒前に脳は準備に入っています。だから、意思は実際の脳の活動の後から生じるもので後付けだというものです。極端な言い方だと意思は捏造されたものということになります」
「それがアフォーダンスに結び付くのか?」 岸田がはさんだ。